2009年 05月 05日
評者は、最近、数年前に起きたタイの津波のことを考える。あの時の映像を。ホームビデオか何かで撮った浜辺の映像。潮がどんどん引いていき、魚が跳びはねる。浜辺の人々は、引いていく潮に、魚がピチピチ跳ねることを面白がっている。その後、津波に呑まれてしまうことも想像しないまま。 今、豚インフルエンザが日本から一番遠い地域を発信源として、全世界に広がりつつある。多くの人々は、対岸のことと思いながらも、それなりに心配しているが、それでもあのときの浜辺の映像に映る傍観者になってはいまいか。想像力に欠けてはいまいか。 嫁さんに、「早めにマスクを揃えておいたほうがいいよ」と言うと「いくらくらいのマスク?」と返してきた。「二人の娘たちの命の値段を救う値段」と評者が言うと、怪訝な顔をしていたので、想像力の違いを悟った評者は自らネットで注文をかけた。医療用の少し高いやつだったが。 いや、流行しなければ、それでいいのである。少し高いマスクも、次の流行までのストックだと思えば無駄にはなりはしないのだから。ただ、これが本格的な流行の様相を呈したときには、もう簡単にマスクが手に入らないかもしれない。そういう想像力が、今は必要なんじゃないかな。つい、先日ETCゲット争奪戦が映像に流れたように、人々が競っている姿は、あれもひとつのパニック映像なのである。ETCパニック。ETCなんて浮かれパニックなわけで、これがパンデミックな話になれば、相当のパニックが起きるであろう。命の話である。振り返ってみれば、オイルショックの際、人々はトイレットペーパーでパニックを起こしたのである。尻が汚くても死にはしないのに。 なんて言う評者は、ちょっと想像力逞し過ぎ?いや、丁度本書『運命の日』を読んでいたわけで、時代がスペイン風邪が猛威を振るうボストンの1910年代後半、主人公警察官ダニーの奮戦も空しく、市中の人々が、同僚が、次々と犠牲になってしまう物語を読んでいると他人事ではなくなってくるのである。結果、罹患する人、しない人、神の悪戯によって分かれるわけで、自分も命を落としたくないのは勿論だが、家族を失いたくないのである。神の悪戯の結果は予想できなくても、物理的に科学的に少しでも家族のリスクを取れれば取り去りたいのである。以上、想像力の話は終わり。 ところで、本書はこのミスランクイン作品だが、決してミステリーではない。また、作者が得意とする、ハードボイルドを前面に押し出したジャンルの作品でもない。ジャンルは・・・小説である。例えば、日本の作家でいえば伊集院静とか、宮本輝とか、小説家が小説を書こうと思って書いた、そんな小説である。コグリン家という警察一家を中心に、時代を描いた時代小説ともいえる。スペイン風邪、警察のストライキ、共産狩り、禁酒法、膚の色、そんな時代の風景を見事に収めきった佳作なのである。 よく、本書の紹介にベイブ・ルースの話が挿入されていることに言及されているが、それもまた背景なのである。主人公たちの生き方にニアミスするルースの挿話なのだが、この挿話がなくとも、本書は見事な小説なのだが、隠し味として全体を引き立てているのである。市販のカレーにブイヨンや粉コーヒーを入れるような隠し味なのである。コーヒーは知らなかった? そして、本書の一番の魅力は・・・心底、嫌な奴が2名登場することじゃないだろうか。黒人を人間とは思っていない警官が一人と、末端の警官のことを全く理解しない警察組織の本部長と合わせて二人。いやあ、読んでいて、嫌で嫌で仕方なかった評者なのである。でも、この二つの障碍が物語全体のリーダビリティを支えているのである。ルヘイン、天晴れである。 未読の方には、同じ作者の『ミスティック・リバー』より断然格上だとお伝えしておこう。(20090504) ※例のシリーズはもう書かないのかなあ。パトリックとアンジーの。(書評No881) 書評一覧 ↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
by kotodomo
| 2009-05-05 21:27
| 書評
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