2005年 02月 02日
評者は単身東京赴任を前にして、GW中にやっと下の娘との約束である、鹿児島の老舗「うなぎの末よし」でうなぎを一緒に食べるということを果たしたのである。実は嫁さんと娘二人はよく繁華街へ出向く。通いの音楽教室があるからである。たまには違う通りを通ろうと嫁さんがすると、下の娘が“お願いですから、後生ですから「うなぎの末よし」の前を通ってください。においだけでもいいですから”と頭をペコペコ下げるもので、嫁さんも必ずその店の前を通る次第なのである。で、たまに下の娘が言うらしい“ああ、一度でいいから、ここでうなぎを食べてみたいなあ”って。ところが、評者の家族、隣に住んでいる義母を加えても、うなぎを食するのは評者と下の娘だけなのである。だから、下の娘にとっては“いつか、パパと「うなぎの末よし」に行くんだ♪”というのは夢だったのである。 当日、家族四人で出かけ、嫁さんと上の娘はケンタッキーへ、評者と下の娘は「うなぎの末よし」へ。娘に問うと、うな重がよいという。ご飯とうなぎは別々のほうがよいという。評者はうな重を食うときも、結局は最初でうな丼状態にしてしまうので、はなからうな丼を注文することが多いのだが、娘にあわせてうな重を二つ頼む。うな重がくる。 言い忘れていたが、下の娘は小学校一年生だが、からだがちっちゃくって、大抵の場合、幼稚園生に見られる。その上、お人形さんのように可愛い。もうひとつ言い忘れていたが、評者はダンディでかっこいい。おまけに少し高貴な雰囲気を漂わせている。要するに何が言いたいかというと、高級レストランでクリスマスに食事をとるグラビアの中の父娘が、突然老人ご贔屓の老舗うなぎ屋に現れ、うな重を前にニコニコ食しているの図は、すごく違和感溢れる高貴な風景であったことを報告したい次第なのである。 えっ?高貴の意味がよくわからない?じゃあ、例を挙げて説明しよう。先日下の娘と公園に行った。娘はアスレチック的な遊具に挑戦。これ、途中トンネルがあったりして、親としては中盤子供を見失ってしまう。戻ってくるのが遅いなあと心配する評者。神隠しに遭いませんように。祈りが通じ、娘が戻ってくる。“楽しそうだね。でも遅かったね”というと“うん、途中のトンネルのところでお友達がなかなか前に進まなくて”。勿論、このお友達と娘に呼ばれているノロマ君は、娘とは全然お友達ではない。でも、育ちのよい娘は、こういう言い方が当たり前なのである。そう、例えば皇太子と全然友達じゃなくても、同じとき学校に通ったというだけでご学友と呼ばれるのと同じなのである。高貴というのは大体そんな雰囲気じゃ。 ・・・・・続きを読みたい方はMoreをクリック(^.^) で、ここからそろそろ本の話題と段々リンクさせねばいけないわけで、こういう全然関係ない枕を最初に持ってくると中々に難しい。 本書『GMO』は、遺伝子組み換え作物を題材にした小説である。評者としては、知の巨人、立花隆の論調に賛成で、遺伝子組み換え大豆とか別にいいんじゃない、消化すれば一緒なんだからといった立場だったのだが、本書を読むと、ムムム、ちょっと待てである。うなぎを食ったから体がクネクネなったりヌメヌメなったりするわけじゃないし、馬肉を食ったから足が速くなるわけでもないし、魚食ったから泳げるわけじゃない。しかしなあ…。 遺伝子組み換え大豆。遺伝子をゴチャゴチャ組み換えて、育てやすい改良型の大豆、なんとなくそんなくらいに思っていたのだが。ところがである。例えば寒さに耐性を持たせるために、寒い深海に住む魚の遺伝子を大豆に組み込んだりするわけなのである。品種改良とかそんなのではない、別の生物同士の合体が行われているのである。動物的に想像するなら、RPGの敵役でお馴染みの翼の生えた珍獣キメラのようなものである。天才バカボンのウナギ犬のようなものである。うなぎに犬の遺伝子を組み換えて、飼い主に従順で扱いやすい生物にして、そんなのをウナギ屋で出されたとしたら。うなぎはうなぎ。でも犬の遺伝子が入っているって聞いたら、食う気も失せるだろう。だから遺伝子組み換えうなぎでも、遺伝子組み換え大豆でも一向に構わないのだが、なんの遺伝子を組み込んだのかは、大いに気になるところなのである。そして、遺伝子組み換えは当たり前のように広がっている。グラビアから抜け出したような高貴な雰囲気の父娘の前に出てきたウナギが、遺伝子組み換えウナギになってしまう将来は、決して可能性ゼロとは言えないのである。 消化すれば一緒。でも、○○を食っていたから風邪をひかなくなったとか、あの人△△を食べて肌が綺麗になったらしいとか、そういう話はあるわけで、そんなこと考えると、本書に書いてあることは実に色んな示唆に富んでいる。 非常にエンターテイメントな小説で、いろんなとこで評価もよいようだが、やはりデビュー作『龍の契り』は超えられなかった。各所の仕掛けはエンターテイメントなんだけど、そうだなあディズニーランドの紹介番組を見たような感じかな。すごく楽しそう、面白そう的な部分は充分なのだが、実際に乗ってみる楽しさを実感させるほどには、作者の筆に深味がないような気がする。相変わらず、取材が行き届いていて、コカインなんかも題材にあって、お勉強的には大変ためになる良書ではある。読むべし、じゃあないな。読んでみるべし、の良書である。(20040506) 書評一覧 ↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
by kotodomo
| 2005-02-02 12:31
| 書評
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Comments(2)
はじめまして。ここに書かれているとおり、服部真澄の最高傑作は龍の契りだったと思います。鷲の驕りも悪くありませんが。その後の作品は、だんだん質が落ちている気がします。
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三毛ネコさん こんにちは(^_^)
『龍の契り』は頁を繰る手が止まらなくなった本でした。 当時は今ほど読んでいなかった時代、やっぱ読書はいいなあと感じた楽しさでしたね。 『鷲の驕り』は確かにまあまあ。最近、積読の『ディールメーカー』をそろそろとも思っています。でも、そろそろと思って、もう半年近く(^^ゞ |
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