2005年 03月 21日
翻訳物ミステリー愛好家にとっての、今年2005年の押さえ本のひとつであろう。翻訳物が苦手という方にも、とても入りやすく読みやすい良書のひとつである。ただし、価格がちと高いので図書館派向けかな?内容としては、主人公の小冒険、コメディータッチのラブロマス、本格ミステリー、この3つの要素がどれも出しゃばることもなく、ほどよくミックスされたストーリー。1927年の発表作品ながら、今も色褪せることなく読ませる不朽の名作と言えよう。なんか、ずっと埋もれっぱなしの幻の名作で、既読の作品の解説やあとがきを結構読んできたバークリーファンの評者も、その存在を知らなかったのではあるが。 まずは、主人公の小冒険という観点から。出だしから、そのユーモアたっぷりの設定や描写に、読者はいとも容易く引き込まれてしまう。なぜって、この主人公、生来明るく奔放なのだが、お金の遣い方に頓着がなく、第1章でにっちもさっちもよっちもごっちもいかなくなり、従僕に告げるのである。“もう僕にはお前を雇うお金もなければ、自分が暮らしていける蓄えもない。だから、お前を解雇するし、僕は働くことになる。僕が何をするかって?従僕になるのだ。もっと驚けよ”って。で、この主人公の小冒険というのは、今まで不労所得で食っていて働いた経験もない若者が、あるお屋敷の従僕として、果たしてうまくやっていけるのか?という未知体験への冒険なのである。 次に、ラブロマンスという観点から。屋敷の従僕となった主人公の初仕事は、パーティーの準備から始まる。まさかとは思っていたが、そこは小説だからまさかが起こるわけで、主人公が思いを寄せる女性も、そのパーティーのゲスト。従僕に身を落とした主人公を蔑むような彼女の目、そんな最悪の地点から二人のロマンスは始まるが、果たして発展していくのやら。中々爽快で健康的な恋の成就を、読書しながら楽しみたまえ。 そして、本格ミステリーの観点から。シシリーが消えていなくなる話・・・の前にちょいと無駄話を。 消えていなくなったり、いなくなっていなくなったり、消えて消えてしまう話っていうのは現実世界でもあるって話。えっ?意味がわからん?例えば、ほら、奇術で人間を消してしまうやつあるけど、奇術師にとっては消えて当たり前なのだけど、結局消えてしまったあと、所定の隠れ場所からも本当に消えてしまうような、そんなお話。評者は、鹿児島でスーパーサラリーマンをやっていた頃、やっぱりスーパーなもんだから、警察にお願いされて警察署協議会っていうものの一員になっていて、よく署長あたりから色んな事件の話を聞かされていたものである。鹿児島には“おはら祭り”という行事があり、これは繁華街を占有して、踊る阿呆と見る阿呆で盛り上がる阿波踊り的行事なのである。それを、見る阿呆側で老夫婦が見学していたのだが、奥様のほうはもう見飽きたから帰ろうと言い出し、旦那のほうは自分はまだ見るからお前は帰れ、消えろ、ワシだけ残って見るでゴワスと言い、結局この奥方、薩摩人の旦那に口答えしても仕方ないので、先にバスに乗って自宅へ帰っていったのである。でね、消えたのは旦那のほう。お互い意識して離れ離れになった二人は、そのまま本当に離れ離れになってしまったのである。警察も調べたらしい。目撃証言の中には、夕刻この旦那を自宅近所の公園で見たよという証言も出てきたが、結局行方知れずの事件となったのである。少し痴呆(最近では認知症かな)が入っていた旦那だったが、日常のことには不自由するほどもなくバスにも乗れるはずの人物で、ただこの自宅近辺は裏山的な場所もあるので、なんか少し惚けて山に入って行ったことも考慮して、山狩り的なこともしたらしいのだが、とにかく消えてしまったのである。という署長からのお話。家出や浮気が出来るほどには若くない老人、直前まで祭りを楽しんでいた老人の消失を、不思議そうに語っていた。以上、無駄話。 で、シシリーが消えて消える話。昔のイギリスでは、パーティーの余興で降霊会なんかが流行っていたのだが、主人公が勤め始めた初日に、消える呪文なるものを試してみよう、それを余興に楽しもうという話になってしまう。じゃあ、誰を消すことにしようか、はい(^^)/私!ってシシリー挙手。で、本当に消えてしまって、消えたのはいいけど消えたままなのである。事件なのである。その後、色んなことが進んでいくが、誰が?なぜ?どうやって?フーダニット、ファイダニット、ハウダニット、ミステリー好きが求める要素をすべて押さえた推理物語が始まるのである。 実はこの作品、当時連載されていたものらしく、犯人当て小説で懸賞付き小説でもあったらしい。だから、すべての謎や証拠が提示されても、あなたは犯人を当てられない。探偵役の人物の解説を聞いて、ふ~ん、で終わり。それでいいのかって?それでいいのだ、バカボン。だって、よくあることでしょう。御手洗や京極堂や、作家でいえばクリィスティーが、こういうことだったのである!って言えば、ふ~ん、そうだったんだってね。西から上ったお日様が東に沈もうが、作者がこうだったのである!と書けば、それでいいのだ。読むべしなのだ。(20050320) ※ということで、次の作品は御手洗に会いに行ってみるかな(書評No498) 書評一覧 ↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
by kotodomo
| 2005-03-21 07:22
| 書評
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Tracked
from くろにゃんこの読書日記
at 2005-06-13 09:13
タイトル : シシリーは消えた アントニイ・バークリー
バークリーといえば、かのミステリー黄金時代の奇才と言われていた作家ですが、この「シシリーは消えた」は、わりとオーソドックスな作品であるとの印象を受けると思います。 私などは、ロジャー・シェリンガムシリーズの大ファンですので、この作品では、少々物足りなさを感じてしまいます。 なんてったって、読了感が爽快なのです。 バークリーなのに。 しかし、この作品が幻の1作といわれるゆえんを見てみますと、 それだけでミステリーであり、ドラマチックであります。 「シシリーは消えた」は、バークリーが華々しくミステリ作家...... more
私も「シシリーに消えた」読みました。
犯人当て、この作品では無理ですよね。 事実、私なんか全然でした(泣) バークリーにしては、ヒントが少なく、そのあたりがバークリーらしからぬところですが、トリックに奇抜なところが無くても、登場人物の豊かな個性や、ストーリィで読ませるところは流石、バークリー!と喜んで読み終えました。
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くろにゃんこさん 初めまして
仰るとおり、これが今新聞連載犯人当て小説として掲載されても、やはり犯人当ては無理かと。 むしろ犯人当てよりは、読み物として楽しいですよね。 バークリー、一時期流行りましたが、流行とは関係なく素敵な小説を多く抱えていますよね(^.^) |
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