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「本のことども」by聖月

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2005年 06月 10日

◎「三たびの海峡」 帚木蓬生 新潮文庫 629円  1995/7

◎「三たびの海峡」 帚木蓬生 新潮文庫 629円  1995/7_b0037682_1451330.jpg 一年前、この著者の名前を評者はまだ知らなかった。この著者の本が面白いと言っていた知人に"なんて読むの?この作家の名前。ホウキなんとか?"と訊いたら笑われてしまった。

 正解は、ハハキギホウセイである。

 ついでに言うと、うろ覚えな話であるのだが、以前新聞のニュースで"戦時中の強制労働における賃金未払いの問題"というのを読んだとき、意味が理解できなかった。強制労働に賃金があるというのも知らなかったからだし、仮に賃金があったとしてもそれが未払いになるケースというのがピンとこなかったからである。本書を読んで、納得した。

 主人公の男は、現在は釜山に住む韓国人である。過去に二度、海峡を渡ったことがある。
一度目に日本へ渡り、二度目に韓国へ戻ってきた。もう渡ることはないだろうと思っていた海峡を、過去に決着をつけるために、三たび渡ることを決意する。

 男は、第二次世界大戦における日本の敗戦から遡ること2年前に、韓国から日本へ渡った。いや、渡らされた。当時、韓国は日本の支配化におかれていた。日本国内では、男子は軍部により有無を言わさず徴兵され戦線へ送られていた。不足した物資が朝鮮半島から日本へ回されたように、徴兵で不足した労力も朝鮮半島から日本本土へ回された。有無を言わさず、強制労働に徴用されたのである。主人公も、ある日突然に、福岡の炭鉱へ送られてしまう。僅かばかりの賃金を保証されての、過酷な強制労働の日々が語られる。その内容は酷いもので、死人も出るような境遇なのだが、人間としての尊厳も奪い取られたままの死がまかり通るような地獄の世界なのである。

 2年後、終戦を迎える。当然、朝鮮半島は解放される。こぞって本国へ帰還しようというどさくさの中で、冒頭の賃金未払いのようなケースも起こってくる。主人公は、なんとか未払い分の賃金を受け取り、朝鮮半島に帰還するのだが。。。紆余曲折を経ながらも、現在の主人公は成功者としての生活を送っていた。そこへ、ある一通の手紙が舞い込み、三たび海峡を渡ることを決意する。決意するところから、この物語は始まり、過去と現在が空白行を挟まないかたちで、一緒になって進行していく。過去から現在までの時系列と、半島から日本までの三たび目の海峡越えが織り交ざりながら。

 主人公が生まれたときには、朝鮮半島はすでに日本の支配下にあった。日本が朝鮮半島で生まれ育った人々にしてきたことの一部が、ある断面が、赤裸々に描かれる本書を読んで、何らかの考えに思い至らない人はいないだろう。日本の歴史教科書に異を唱える韓国、最近まで日本語の歌は歌われなかった韓国。奇異に感じている日本人も少なくないだろう。それは、日本人の歴史認識の甘さに他ならない。

 誤解を恐れずにいえば、歴史の認識なんて各人の自由である。ひとつの歴史的事実に対して、どう解釈しようが自由である。それが、歴史という学問の成立の根源でもある。だが、記憶は別である。歴史により虐げられた苦しみ悲しみの感情は、今も生き続けている。だから、歴史をどう解釈しようが認識しようが自由であっても、歴史の向こう側にある記憶をなおざりにしていては、その解釈、認識自体が誤謬を帯びてくる。

 わかりやすく言おう。アメリカの人が、"日本に原爆を落としたのは、あれで人道的なのですよ。もし、あの時投下していなければ戦争は長引いて、もっと死者が出ていたはずですから"と言ったとしよう。そうしたとき、リベラルな考えを持てるある一部の日本の若人は、"それも一理ある。合理性はある"と賛同するかも知れない。ところが、現に原爆投下地にいて、地獄の中で生き残って、今も心の中に記憶の傷を残している人にとっては、そんなのは賛否以前の話なのである。自分の目の前に阿鼻叫喚があった、地獄があった。それ以外の、なんでもないのである。人道的なんて言葉が、介在する余地もない話なのである。

 本書では、日韓の歴史の問題が語られる。本書中でも語らていることだが、歴史は変えることが出来ないし、見ないようにすることも出来ないし、将来のために過去を水に流すことも出来ない。今、ちょうど日韓共催のサッカーワールドカップの真っ最中である。開会式で日本語の歌が流れた。新しい歴史の幕開けと単純に思うことなかれ。今でも、日本語が話せるが日本語を話したくない多くの韓国の人々がいることは事実なのである。日本語の歌が流れ、新しい幕開けを感じた韓国の若人もいれば、思い出したくない記憶を呼び起こされた人もいたはずなのである。ただ、日韓共催もひとつの歴史である。成功裡に終わったということだけで、過去の歴史が塗り替えられるものでもないが、明るい歴史の記憶の一助にはなりうる。今、この書評を書いているのは、2002年6月18日夜である。両国はともに予選リーグを突破し、ベスト16へ駒を進めた。本日、日本は残念ながら、トルコに0-1で惜敗した。しかしながら、自国だけでなく、もう片方の共催国が予選を勝ち抜いたことに、喜びを感じている人は少なくないはずである。新しい歴史が過去の歴史の清算までは及ばないが、少なくとも新しく明るい記憶が刻まれるのは確かである。

 本書は、ミステリーでもあるし、暗闇を歩くような冒険小説でもある。巻末に主人公の書簡を配置することによって、物語中語られなかった事実を明かすというミステリーの手法を取り入れている。そこが蛇足に思えて評価は◎止まりながら、読むべし。

おっと、韓国戦が今終わった。やった、やったあ(^O^)/。延長後半、劇的な勝利。おめでとう!ベスト8進出だぜ、韓国チーム。セルジオ越後も大感激だあ。次も、その次も頑張ってくれえ。もっともっと、記憶に思い出を刻みつけてくれようヽ(^o^)丿。


※鹿児島市立図書館で単行本を借りた。単行本は1992/4初版。

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by kotodomo | 2005-06-10 09:40 | 書評 | Trackback | Comments(0)


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