2005年 06月 14日
第126回芥川賞受賞作である。どういう傾向の作品が芥川賞候補になるとか直木賞候補になるとかの前提はさておいて、評者の心に位置する両賞のありかたを振り返ってみたい。 中学時代にそれなりの本は読んでいた評者であるが、何を読んでいたかと考えたとき、明らかに肩入れして読んでいたのが星新一のショートショートであった。その頃はまだ、芥川賞も直木賞もその存在は知っていても、大人の読む小説の位置付けでしかなかった。高校時代、太宰治に傾倒していた評者は、太宰の作品を我慢して読んでいた。「人間失格」「津軽通信」「パンドラの函」「正義と微笑」以外の作品は、評者にはまだ理解できず、でも我慢して読むことこそが読書などと勘違いしていたのである。すると、高校の教科書に安部公房の「壁」が抜粋掲載されていた。いやに面白いと感じた。どうやら芥川賞受賞作品らしい。帰宅して、両親の古い文学全集を調べると、運良く収録されていた「壁」。むさぼるように喜々として読んだ初めての芥川賞作品である。へえ、物を見つめるだけで対象物を消し去る青年が主人公なのか。動物園でラクダを眺めただけで、そのラクダを目に吸収してしまうSFチックな設定に驚愕しながらページを繰って、芥川賞って面白いんだな、と単純に思った評者なのである。気をよくした評者は、その古い文学全集に収録されている芥川賞受賞作品を片っ端から読み始めた。苦しい我慢の読書の再開である。「壁」以外は全然面白く感じなかった。それでも、評者の純文学傾向は続く。大江健三郎も受賞作は面白く感じなかったのに、他の作品も我慢して読んだ。その他の作家も。だから、大江健三郎がノーベル賞を受賞し、本屋で平積みされてバカ売れしたとき、きっと最後まで読む人は10人に一人だと、評者は予言してはばからなかったのである。多分、この予言は当たっただろう。 一方、直木賞。向田邦子が「思い出トランプ」で授賞。母親が本屋で買ってきて、面白いからと言って評者に薦めた。読んで面白かったのだが、短編集、結局これってショートショートじゃないかと思ったのである。他に、あの「ブンとフン」なんて中学時代の評者を狂喜乱舞爆笑の渦に誘った本の作者井上ひさしとか、意地悪バアサンお笑い芸人の青島幸男の受賞を聞き及ぶに、直木賞=大衆文学=娯楽文学≠読書(にあらず)の図式が、評者の内側に出来上がってしまったのである。結局、直木賞に見向きしなくなり、芥川賞も読むと苦痛を感じるので読まなくなってしまったのである。でも、つい純文学系を読んでしまい、評者の苦しい読書生活は続くのだが。 その苦行から救ってくれたのが、町田康であり、藤原伊織である。最近、意識してエンターテイメント、ミステリー、ハードボイルド、その他面白本を読むようになった手始めは、「法律事務所」ジョン・グレシャム「リヴィエラを撃て」高村薫のあたりが転換期だったのだが、決定的だったのが「龍の契り」服部真澄と、直木賞受賞「テロリストのパラソル」藤原伊織だったのである。藤原伊織の受賞で直木賞を見直し、今日でも受賞作を気にしている評者である。そこに、顔を出した町田康。「きれぎれ」で芥川賞を受賞。読みたいのだが、なかなか図書館や古書店で手に入らない。仕方なく「夫婦茶碗」を読み、その日本語の斬新な操りに驚愕、そして「きれぎれ」を読んで、現在の芥川賞作品を見直したのである。両賞とも、評者の知らない間に進化していたのである。長々とダラダラと、どうでもいいような評者と両賞につき書いてきたが、要するに芥川賞も直木賞も面白いよ、面白くないときもあるけど、面白い本は面白いよ、と結論にならないような結論を言いたかったのである。ご静聴ありがとうございました。 で、本書「猛スピードで母は」は、やはり面白い。パラパラとページをめくっていただければわかるのだが、ゆったりした行間(1頁が14行)に平易な日本語で書いてある。「サイドカーに犬」と表題の「猛スピードで母は」の2短編が収録されているが、なんのケレンもなく、あっさりと、それでいて温もりを伝えてくれる両作品であある。 「サイドカーに犬」は、高校を卒業してから数年会っていない弟と久々に再会する姉の視点。その視点で、まだ小学校だった頃の夏休み、母が出ていった夏休み、代わりに父の愛人と過ごした夏休みが回想される。麦チョコ、山口百恵その他の懐かしい時代背景が、中年読者の評者の心をくすぐる。 「猛スピードで母は」は、母親と小学校5年生の息子の物語である。この母親、ハードボイルドな母親である。多くを語らず、的確にボソリと言葉を生み、息子に対しても心を開いているのかどうかわからない。父親参観の学校案内を持ち帰っても、あたし、父親じゃないしね、と言う。先生からどうしても参観への出席を強要されて出向く母。回りの子供たちがあとで言う。"お前のかあちゃん、カッコイイじゃん"。屈託のない母のセリフもある。"男のトイレって面白いね。私が目の前を通り過ぎるたびに、ざざーっと便器から水が流れるの"小便器のことである。なるほど、我々男性陣は、最近のセンサー付きの、人が前に立ったら感知し、人が去った時点で水を流す便器に、当たり前のことと思っていたが、そうか、知らない女の人が見たら不思議なのだな。これを読んでも意味のわからない女性陣は、気軽に話のできる男性の方にお尋ねを。 誰が読んでも面白い一冊である。読め、読め、読めの一冊である。ただし、感性の違いや読者の年齢によって、評価は変わってくるとは思うのだが。(20020922) ※鹿児島県立図書館でたまたま見かけて借りた本。芥川賞作品は、あまり題名が頭の中に残っていなかったりするのだが、本書はその独特の題名が印象に残っていた。ちなみに「猛スピードで母は」の「母は」は、漢字変換前は「ははは」である。どうでもいいけど、評者の感性に訴えるものがあったので(笑) 書評一覧 ↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
by kotodomo
| 2005-06-14 07:42
| 書評
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from 本を読む女。改訂版
at 2005-06-23 08:55
タイトル : 「猛スピードで母は」長嶋有
猛スピードで母はposted with 簡単リンクくん at 2005. 6.20長嶋 有文芸春秋 (2005.2)通常24時間以内に発送します。オンライン書店ビーケーワンで詳細を見る 芥川賞受賞の表題作「猛スピードで母は」と、「サイドカーに犬」収録。 芥川賞選考会で某選考委員がこのタイトルに難色を示していたらしいが、 私にはどちらも恐ろしくセンスのいいタイトルに思える。 すごく読みたくなる気がしません?私だけ? えっと、芥川賞に感じるイメージ、「よくも悪くも文芸的」「独白多...... more
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from おもしろニュース拾遺
at 2006-01-06 17:16
タイトル : 芥川賞、直木賞の候補発表
よく書店で見かけるのが「今さら聞けないXXの話し」なる題名の本。今日は「文学」の話題だが、この世界、入門するのに別に資格が要らないのに「知っているようで知らない」、「今さら聞けない」疑問がいくつもある。門外漢の素朴な疑問として◆印をつけたので、どれかひとつでも構わないのでご教示いただければ幸いです。 「芥川、直木賞:文学賞乱立」という長文の解説記事が毎日新聞1月5日付で掲載されている。「芥川、直木賞」の候補作品が出そろったことを伝え、最近の「文学賞」事情を伝えている。 ここで最初の疑問?◆芥川...... more
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from ぱんどら日記
at 2006-05-10 16:17
タイトル : 【猛スピードで母は】&【しょっぱいドライブ】
芥川賞もの2点です。 長嶋有【猛スピードで母は】は2002年の芥川賞。 大道珠貴【しょっぱいドライブ】は2003年の芥川賞。 どちらも文庫本で買いました。 長嶋有のほうは、【猛スピードで母は】と【サイドカーに犬】を同時収録。 大道珠貴のほうは、【し....... more
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from 愛の三つ巴
at 2007-05-14 18:45
タイトル : 『猛スピードで母は』をめぐって
先日の記事で、長嶋有さんが第一回大江健三郎賞を受賞したことをお伝えしましたが、今回は第126回芥川賞を受賞した『猛スピードで母は』(文春文庫)を読んでみました。 本書は今夏映画化される『サイドカーに犬』も収録されていて、こちらは第92回文學界新人賞受賞作。どちらも賞の名に恥じぬ傑作だと感じました。 今回は『サイドカーに犬』を中心に話を進めてみたいと思います。 まず、ホントにこれが処女作かよ、という程気負いがなく、平易でありながら的確に紡がれていく、贅肉を削ぎ落としたような文章にまず舌を巻...... more
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from AOCHAN-Blog
at 2007-08-12 16:07
タイトル : 「猛スピードで母は」長嶋有
タイトル:猛スピードで母は 著者 :長嶋有 出版社 :文春文庫 読書期間:2007/06/11 - 2007/06/12 お勧め度:★★★★ [ Amazon | bk1 | 楽天ブックス ] 「私、結婚するかもしれないから」「すごいね」。小六の慎は結婚をほのめかす母を冷静に見つめ、恋人らしき男とも適度にうまくやっていく。現実に立ち向う母を子供の皮膚感覚で描いた芥川賞受賞作と、大胆でかっこいい父の愛人・洋子さんとの共同生活を爽やかに綴った文学界新人賞受賞作「サイドカーに犬」を収録 ...... more
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from そういうのがいいな、わた..
at 2009-11-01 10:47
タイトル : 『猛スピードで母は』長嶋有 を読んで
猛スピードで母は (文春文庫) 長嶋有 souiunogaii評価 内容紹介 家族のカタチを爽やかに描いた芥川賞受賞作 「私、結婚するかもしれないから」「すごいね」。 小6の慎は結婚をほのめかす母を冷静に見つめ、恋人らしき男とも適度にうまくやっていく。現実に立ち向う母を子..... more
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from ゼロから
at 2010-08-26 21:42
ご挨拶が遅れて申し訳ありません。
トラックバックさせていただきました。記事の充実ぶりが素晴らしいですね。当ブログは映画中心ですが、以後も何卒よろしくお願いします。
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