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「本のことども」by聖月

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2005年 06月 18日

×「双頭の悪魔」 有栖川有栖 講談社文庫 1040円 1999/4

×「双頭の悪魔」 有栖川有栖 講談社文庫 1040円 1999/4_b0037682_13524464.jpg 評者は、他人から結構クールだと評されるし、自分でも結構クールだと思っている。そりゃ、スーパーサラリーマンだから、愛想笑いもするし、相手にあわせて"困りましたねえ"と相槌がわりの顔を作ってみせることもある。まあ、それは商売用、給金用の自分の仮の姿なので、これをもってなんと評されても、自分はやはりクールなのである。どこらへんがクールかと言うと、例えば評者が部屋で一人でビデオ映画を観ていたとしよう。多分、他人が評者のその表情を見ても、画面を見ない限り、喜劇を観ているのか、ホラーを観ているのか、悲劇を観ているのか判読できないだろう。例えば、評者が漫画の本を読んでいる横にいても、評者のウククククという笑い声を聞くことはないだろう。喜怒哀楽はある。別に感情を押し殺すこともしない。ただ、心の喜怒哀楽を、だーれもいない空間の中で表面に出す癖がないだけなのである。勿論、独り言も言わない。

 そんな評者も、たまに意識的に感情を表にあらわしてみたり、言葉を口に出したりする。例えば、ワールドカップサッカーのテレビ観戦。日本ゴールの瞬間、ここで手を叩くと盛り上がるかなと思い、一人の部屋で独りで手を叩いてみたりする。少し馬鹿みたいだが、少し盛り上がる。例えば、自分の部屋で、伸びをする瞬間。少し大袈裟な声を出せば気持ちがいいかなと思い、"ウィーグウェイイイー"と奇天烈な声を出しながら体を伸ばす。少しいつもより気持ちがよかったような気もするが、あとで必ず嫁さんに"さっき2階で変な音が聞こえていたの、あれ、あなたなの"と言われたり、娘たちが階段をダンダン上がってきて"パパ、どうしたの?"と訊かれたりするので少し困る。今回、本書「双頭の悪魔」を読み終わった瞬間、意識して声にして叫んでみた。「へのよな!」

 多分、これは鹿児島人特有の言い回しだと思うので、少し説明しよう。おそらく「屁のような」から来ている薩摩言葉だと思うのだが、鹿児島人にとってはいろんな局面で使える便利な言葉である。正しい使い方は、ゆっくり言わないことである。却下、一蹴、箸にも棒にもかからない意味を言外に含めるためには、0.5秒くらいで吐き捨てるように言うのが望ましかろう。さあ、あなたも一緒にリピートアフターミー「へのよな!」。ベリィグッ!

例1:
"パパあ、100点取ってきたから、匂い消しゴム買って♪モー娘のやつ♪"
"へのよな!パパの小さいときはなあ、100点取るのが当たり前で、99点とか取ったら、一日中家の手伝いだったぞ。"

例2:
"今度、隣の課に転勤してきた彼、相当出来るらしいっていうけど"
"昨日、一緒に得意先に行ってきたけど、へのよなヤツだったぞ。先方も気に入ってないみたいだったぞ、ヤツのこと"

例3:
"おい、キミ、ちょっとそこに車停めるから、会社に電話して訊いてみろ"
"携帯、会社に忘れてきちゃいました"
"じゃあ、そこの公衆電話からでもいいから"
"お金、持ってないんです"
"ヘノヨナ!社外に出るときは、それなりの準備するもんだぞ!ッタク!"

 本書「双頭の悪魔」は、いわゆる本格推理物である。山奥の村の、そのまた奥の橋でしか渡れない村で殺人事件が起こる。ところが、その時、橋は流されており、陸の孤島となっている。なんか、どこかで聞いたような設定であるが、それはそれでよい。停電のため電話も使えなくなる。それもそれでよい。殺された人間は、洞窟の奥で、逆さになって死んでる。意味があるのなら、それもそれでよい。ところが、橋のこちら側の村でも殺人が起こる。そして、どちらの村にも大学の推理小説研究会の一員が複数滞在していたため、アリバイやら、トリックやらの推察が展開される。退屈な話が続くが、それもそれでよい。2段組400頁の本を我慢して読み進めた評者なのである。そして吐いた言葉「へのよな!」犯人とその犯罪を構成するトリックが披露されるのだが、動機を説明されても、それが殺意につながることがわからない。そこまでの、背景の書き込みがない。逆さになった死体。なぜ、逆さにする意味があったのか言及されていない。じゃあ、逆さにしなくてもよかったんじゃないのかと思う。こちら側の村であとで起こった殺人の背景も、途中の推理は披露されるが、本当の事実は説明されない。まあ、細かいことはいい。どうでもいい。犯人が説明され、殺害した人物が特定されても、なにゆえにその人物が罪を犯さざるを得なかったのかを充分にとは言わないが、疑問を持たれない程度に描写する責任が作者にあると思うのだが。

 本書の名誉のために付け加えるが、本書はこのミス1993年度版第6位。その後、このミス過去10年間のベストのランクでも第15位と多くの人が支持しており、評者も読んでみたいなあと思っていた本なのである。多分、感性の違いなのだとは思うのだが、長さに比して書き込むべき部分が欠落しているという点は譲れない。多分、本書が1/4くらいの長さの話なら、▲の評価をつけたであろう。長さは、ときにより退屈なのだ。(20021119)


※1992年に出た単行本を鹿児島市立図書館で借りる。いわゆる「鮎川哲也と黄金の13」と呼ばれるシリーズである。「ぼくのミステリな日常」若竹七海とか「魔法飛行」加納朋子とかと、同じシリーズに位置する。

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by kotodomo | 2005-06-18 08:55 | 書評 | Trackback | Comments(0)


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