2005年 06月 19日
評者が、本書『航路』の紹介記事を最初に目にしたのは、日本経済新聞の読書欄である。臨死体験を主題に据えたミステリーとのことであったが、これまで手に取った日本経済新聞紹介の小説というのは、文章自体が非常に硬質なものが多く、評者も本書を読み始めるまでは手強い文体を予想していた。ところが本書の読みやすさと言ったら。限りなくエンターテイメントな小説である。 主人公のジョアンナは、病院勤めの認知心理学者である。その仕事の内容は、臨死体験者(要するに死から帰還して、何か不思議な体験をした者)に対する聴き取りと情報分析である。「まばゆい光に囲まれていました」とか「天使に出会いました」とか「気がつくと自分の体が宙に浮いていて、その下に手術台に横たわる自分の姿が見えました」などなどの体験談を聴き取りするのである。ところが、同じ病院に同じ立場にあるマンドレイクというアホがいる。アホなやつなのだが、行動は素早い。ジョアンナが今しがた死の淵から帰還した体験者に聴き取りに出向くと、そのマンドレイクに先を越され、すでに最初の聴き取りが終了しているのである。このマンドレイクというアホが、臨死体験者に記憶の刷り込みをする。つまり、光を見た覚えのない体験者に、「光とか見なかったですか?」という誘導的な質問をし、「そういえば見たような」という曖昧な記憶を植えつけてしまうのである。ジョアンナが体験者のところに出向いたときには、その体験者はすでに間違った記憶を植えつけられているのである。マンドレイクの存在は、ジョアンナの純粋な研究の障碍なのである。 一方、ジョアンナは同じ院内でリチャードという神経内科医と知り合う。彼は、薬の投与により、脳の中を臨死体験時と同じ状態にする研究を進めようとしている。被験者を集め、実験中に経験した記憶を分析して、科学的に臨死体験の状態を説明しようとしているのである。ところが、事情により主人公のジョアンナ自身が、実験に被験者として参加することになる。そこから、この物語は発展していく。 それ以上の内容説明は避けたいが、評者は本書を読んで、ふたつのことを考えた。実は本書の各章には、有名人、無名人の死に直面した際の言葉が集められている。日本では「もっと、光を」とか「板垣死すとも自由は死なず」などが広く知られているが。そういった死ぬ間際の言葉を並べられると、自分が死ぬとき何て言おうかな、果たして何か言える状況で死ねるのかな?と考えてしまう。願わくば、子供たちや残された者たちに前向きなメッセージを発したいと考える評者である。もうひとつ考えたのが、アルツハイマーという病の怖さである。本書の中にも、アルツハイマー病が進行している人物が登場する。ご存知のように、この病状が進むと、ボケ、痴呆といった有難くない症状が見られるようになってくる。こうした状況の先には、もはや死に際にどんな言葉を残すかとの考えも意味を持たない。症状が悪化するにつれ、家族にも負担、迷惑をかけ、生きていることと、かけがえのない命というそれまで同じ概念の範疇にあったものが、どんどん乖離していく結果となる。別人として生きながらえることは、家族に負担もかけるし、本人が死に直面しても、残される者に言いたかった感謝の言葉をかけられない結果となる。そういったことに思い至り、評者はこの病だけにはなりたくないと考えた次第なのである、できることなら。 本書はその軽妙な展開、文章から、楽しく苦もなく読める小説ではあるのだが、上下各400ページ超2段組の構成という相当ボリュームのある物語なので、読了まではさすがに時間がかかる。評者も連休を挟んでのひたすらの読書を敢行したが、3日間かかってしまった。でも、物語の楽しさは秀逸。評者のように多読を目的とせず、毎日少しずつ楽しい読書をしたいという方にはお薦めの本かと思う。毎夜1時間の読書ペースで、3週間は楽しめることだろう。 訳者は、SF評論家としても名高い大森望。そして著者がアメリカのSFの女王と呼ばれるからといって、SFとして読むなかれ。極上の物語小説として読むべし。訳者はそのあとがきの中で「十数年で四十数冊訳してきた中で最高」と、自分が今まで訳してきた本までをおとしめて絶賛している。評者の評価は◎。読んでみないとわからない話をあえてすれば、58章で筆を止めてほしかった。物語を終わらせてほしかった。58章を読み終えての余韻はグッと胸を突くものがあり、58章が最終章であったなら、評者は間違いなく◎◎としたことだろう。それでも本書は、極上の物語には変わりない。読み終わって楽しさを感じる本というより、読んでいて楽しい本である。(20030212) ※読書の楽しさを認識させられる、読みやすい一冊。ホワイトデーの日に読書好きの彼女へプレゼントするのに最適かと。 書評一覧 ↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
by kotodomo
| 2005-06-19 22:51
| 書評
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