2005年 06月 30日
“山地民とメキシコ人はおなじ日にやってきた。”の書き出しで始まる本書『ペインテッド・ハウス』は、リーガルサスペンスの巨匠が書いた普通の小説である。主人公が少年ということで、マキャモンの『少年時代』と比較したくなるが、『少年時代』のほうはファンタジーでありホラーでありミステリーであるのだが、本書『ペインテッド・ハウス』は何もない普通の小説である。1952年のアーカンソー州の綿作農家を、少年主人公の視点で、ただただ描いた作品である。それも綿の収穫時期の9月からの描写に始まり、結局はクリスマスも迎えずにこの話は幕を閉じる。要するに、綿作農家の収穫時期だけを丁寧に描き出した作品である。 書き出しにあるように、繁忙期が近づくとメキシコ人は勿論、山地民と言われるアメリカ国内の別地方の人々が集まってくる。綿作農家は、そういった人々を見つけて雇うわけなのだが、賃金は日給とか月給とか頭数とか、そういう概念ではなく、収穫した綿の重さに対して支払われる。つまり綿畑全体の面積からのおよその収穫量は一定なので、その収穫のために払わなければならない賃金は一緒。大事なことは、多くの人を集めて早く収穫を終わらせることなのである。この小説は、綿作農家である主人公一家と、雇い入れたメキシコ人グループと、同じく雇った山地民一家の微妙なバランスを描いた物語なのである。 繁忙期に人びとが集まってくる、これ自体は日本でもよくあることで、評者の場合、その昔、長野は滋賀高原で体感している。滋賀高原はスキーのメッカであり、夏場と冬場の観光客の人数は格段に違う。日帰り客も含めると、相当に違う。そこで施設を運営する者は冬のための従業員確保に迫られるのだが、これには恒常的なシステムがある。冬場の季節労働者は、大きくふたつ。まずはメキシコ人ならぬスキーインストラクターたち。スキーを教え、自分たちもスキーしまくるために各地から集まり、バイト代と宿泊代相殺でホテルなどで働くのである。でも、一番あてにしているのが山地民ならぬ青森さん。毎年11月頃にチャーターバスを連ね、青森から50~60歳くらいを中心にしたオバチャンたちの集団が到着する。そして各ホテル・旅館で、布団敷き、皿洗い、調理補助等の裏方として、一冬を越すのである。相当な数のオバチャンたち、青森さんというのは定着した用語で“今年は青森さん、うちの旅館に何人来てくれるんだ?”とか“今年の青森さんは、よく働くなあ”とか、集団の属性を指す呼称なのである。 話が横道にそれたついでに、評者の少年時代の記憶の話をしよう。幼稚園に入る前くらいまでは、家に風呂が無く隣の家で貰い湯していたし、カラーテレビになったのは小学校3年生くらいの頃だったか。電話がついたのも大体その頃。そうそう、鹿児島に2局目の民放テレビ局ができて、マスプロアンテナとコンバーターのある家が羨ましかったなあ(解説:一極集中型大都市に暮らしている方は、よく知らないと思うのだが、地方ではエリアの問題で新民放局はUHFの電波を飛ばす場合が多い。ところが、当時のテレビには1~12までのチャンネルしかなかったりして、UHF専用のマスプロアンテナで受信した電波を2チャンネルとかにコンバートする装置がないと見れなかったのである。ああ、説明がシンド)。野球が好きで、でもグローブは持っておらず、試合をするときはチェンジのたんびにグローブをポジションに置いて、各チーム交互に使うなんてのが多かったっけ。クラスの友人でバットまで持っているのは二人くらいだったかな。でも、結局はそれって試合に使われるみんなのバットみたいなもんだったけど。あまり、親から物を与えられなかった自分、しかしながら自転車だけは早くから持っていたような。当時としては、親から見れば高かったろうな、子供の自転車。 と、話をそらした上に、もっと横道まで入り込んだわけは、題名『ペインテッド・ハウス』の説明をしたかったからである。持つ者と持たざる者をあらわす言葉なのである。1952年のアーカンソー州。朝鮮戦争や自動車産業の隆盛を背景に、持つ者、持たざる者という意識が芽生えてきている米国。これは、これまでの貧富の差と違い、努力すれば持てる、そんな時代の到来を示す。“なんだ、お前の家なんか、外壁そのままじゃないか。俺の家は、ちゃんとペンキを塗った家なんだぜ” 家族小説とも言えない、少年小説とも言えない、ただただ1952年を、アーカンソー州の綿作農家を、収穫期のみを描いた普通の小説である。それだけの小説である。たまには静かに、こういう小説を読むべし。(20031214) ※鹿児島市立図書館で借りる。 書評一覧 ↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
by kotodomo
| 2005-06-30 15:29
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