2005年 11月 22日

明日は仕事の相棒の誕生日なのだが


去年はこんなプレゼントみたいだ・・・

“繰り返すが、明日、というか本日は相棒と小樽へ。評者の鞄の中には、プレゼント本『ルール』古処誠二と青いブックカバーが入っている”

こやつには、他に『ストロボ』真保裕一だとか、『パイロットフィッシュ』大崎善生だとか与えた過去があるが・・・

今年も本にしよう(^O^)/



b0037682_11531756.jpg
 町田康の傑作、ここに極まれりである。676頁を費やした大作、本書『告白』の中で作者が何を描いているのかというと、ただただ明治を舞台にした河内十人斬りという事件の終末へ向けて、主人公熊太郎の生き様を描写しているだけなのである。人が十人惨殺される事実のために、600頁以上を費やして虚構を築き、さもあらん、十人殺すのも已む無しの世界を描くために、ただそれだけのために筆を費やしているのである。その途中には勿論、町田節、乱舞する日本語がパワーを持って配置され、一見猥雑なその配置も読むほどに精緻さが増すばかりの見事さなのである。

 今年2005年を終わったときに、本書『告白』は振り返って語られる作品であり、町田康を語るとき必ず持ち出されるべき時局的な集大成であり、文壇のこれまでとこれからを語るとき未来永劫語り継がれるべきビートルズナンバーの位置を占めるであろう。町田康が肌に合う人も合わぬ人も読んでおくべし!べし、べし、べし!

 本書を読みながらずっと付きまとっていた感覚は、淋しさであり、物悲しさである。読みながら昔話『泣いた赤鬼』を思い出した評者なのである。心優しい赤鬼は、近所の童子たちに遊びにきてもらいたいのに、鬼は怖ろし乱暴者と思われ誤解され、“お茶とお菓子を準備して待っています♪”と音符つきの立て札を立てても遊びにきてもらえず、淋しく切ない。友人の青鬼が、演技すべしと童子たちに乱暴働き、合図よろしく正義の味方赤鬼登場で、赤鬼君の信頼度はグングン上昇、童子たちが遊びにくる環境に。毎日楽しく過ごしましたとさとなればよかったのだけど、友人の青鬼君の音沙汰がプツリ。訪ねてみれば置手紙“僕とキミが仲良くしているのを童子たちが見たら、バレバレやんけやんけやんけ。だから僕はこの地を去ることにしたのさ。バイチャ”結局、最後まで切なく淋しく物悲しい物語なのである。このお話から教訓を得ようとすれば、作者が伝承者が何を言いたかったのかと深読みすれば、読み手はそこでパラドックス。

 だから本書『告白』も、じゃあ作者はなんでこれを描いたのか、何を表現したかったのかと考えても無意味なのである。十人斬りの必然性を自らの筆で生み出し、自己の持つ感覚を発露してみせたかっただけなのさ、そんなところで留めるべしなのである。本書と同様の位置を占める阿部和重の大作◎◎『シンセミア』も然り。描かれるために描かれた小説には、その意味するところなど最早無意味という意味しか存在しないのである。

 粗筋は書かない。ただ、今年はこの本を読んでおかないと語れないとだけ言っておこう。町田康ファンは読むべし、読むべし、べし、べし、べし。そうでない方も読んでおくべし、べし、べし、べし。(20050417)
[PR]

by kotodomo | 2005-11-22 19:44 | メモる | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://kotodomo.exblog.jp/tb/3808315
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。


<< スーパーサラリーマンとは      ◎◎「容疑者Xの献身」 東野圭... >>