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「本のことども」by聖月

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2006年 11月 08日

◎◎「カップルズ」 佐藤正午 集英社文庫 560円 2002/1


 佐藤正午との出会いを思い出しながら、足の悪い少女のことまで思い出し、ついでに嫁さんのことまで思い出し、それにしても上手い小説たちだよなあと、本当にいい読書をしたことに満足した評者なのである。

 佐藤正午との出会いは、もう20年以上も前の、雑誌「すばる」に掲載されたすばる文学賞受賞作品『永遠の1/2』まで遡る。単行本ではなく、掲載受賞作品として読んだのだけど、なぜ、単行本化される前に読んだのだろう?そんな疑問を持ったので、すばる文学賞の過去の受賞作を眺めてみると・・・なるほど、当時、人に先んじて読んだ『家族ゲーム』本間洋平を(これは単行本で)楽しく読んだ記憶がある。だからその後も期待して、次回受賞作の『三日芝居』三神弘も『沙耶のいる透視図』伊達一行も掲載時点で読んだ記憶があるし、『永遠の1/2』と同時受賞の『虹のカマクーラ』平石貴樹も掲載時点で読んでいるのである。なんか懐かしいなあ。

 当時大学生だった評者には、『永遠の1/2』がすこぶる面白かった。一時期、座右の銘は「永遠の1/2」だったくらいである。意味は無意味に近いが(^^ゞどんな話かほとんど憶えていないのだが、著者と等身大の主人公から、好きなものが江川卓とハイライトということがわかり共感し、登場人物に足をひきずる少女がいたなあと思い出し、そういえばあの少女に、今の嫁さんの姿(高校時代は同級生ながら、当時は音信不通、今は我が妻)を重ねて読んでいたよなあなんてことまで思い出し、な~んか懐かしくってしょうがない。

 その後、結構、佐藤正午を読んできた。お薦めは『王様の結婚』と超傑作『Y』かな。他に『人参倶楽部』に『スペインの雨』、『バニシングポイント』等々読んできたなあ。そうそう、本書を読みながら思い出したのが『放蕩記』でラリッタ主人公が薄れ行く記憶の中で、死と隣りあわせでフェードアウトしていくような風景で“小説が読みたい・・・”と痛切に感じながらブラックアウトする場面。そう、本書『カップルズ』に書かれているのは間違いなく小説なのである。作者は小説にこだわるのである。短編集ながら、どれをとっても小説なのである。ジャンルは小説なのである。物語でもミステリーでもクロールでも当座預金でもなく、ジャンルは狭義の意味での小説なのである。なんて書いてはみたが、じゃあ狭義の小説って何?って言われても困る。奥泉光なんかも“自分が書いているのは狭義の意味で小説である”と嘯いていたりするが、とにかく小説は小説であって、小説を書くという作者の意思で生み出される稀有なジャンルなのである。

 本書は短編集というよりは、連作短編集と呼んだほうがいいのかも知れない。ひとつひとつの話は、まったく別個のものであるが、そこには同じテイストが流れ、「私」という同じ人物がなんらかの形で登場する。「私」=著者自身の投影であるため、ああこの作者、結婚したんだと今頃知ったし、相変わらず煙草はハイライトなのねと懐かしく思う評者なのであった・・・が、ここで注意が必要。この作者の書いた色んな文章を読んできた評者は、この作者が書く私小説部分は虚構であることを知っている。小道具的な真実は混在していても、この作者は虚構を書く。そして小説を生み出すのである。本書の小説内でも「私」を通して、決して実在の知人をモデルにして小説は書かないと言わしめているくらいである。

 とにかく、上手い小説集。唸りながら読んだ評者なのだが、佐藤正午を知らない方には、いかほどに上手く感じられるのかはわからない。それでも本当の小説はここにある。読むべし、読むべし、べし、べし、べし!!!と結んでおこう。(20061107)

※実は評者が読んだのは、1785円で1999/1に買った積読本。7年間も寝かせちゃった。(書評No676)

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by kotodomo | 2006-11-08 14:36 | 書評 | Trackback | Comments(0)


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