2006年 12月 12日

〇「テースト・オブ・苦虫3」 町田康 中央公論新社 1785円 2006/11


 よく“血は争えない”なんて言うが、それはまっこともって当たり前のことであり、結局血は争えないわけで、たとえば聖月様の血が町田康の血と戦おうとしても戦えないわけで、やはり血はA型であろうとB型であろうと、争おうと思っても、って思うことも本来できない悲しい野郎なのだが、争えないのである。そういう意味で、人は“やっぱり血は争えないよなあ”なんて、不可能なことを指して言うわけなのである。

 いや!違う!もしそういう意味で使うのであれば、日本語としては“血は争ない”になるはずで、“血は争えない”という風に使う場合には、そういう解釈はできない!と吼える御仁がおらっしゃるかもしらん。評者もそう思うことにしよう。

 ということで、本当は“血は争えない”という意味は、血には訴訟能力がないということである。たとえば、O型の血がAB型の血を訴えたいと思っても、って思うこともやはりできないアンポンタンな哀しい野郎なのだが、ええと、訴えたいと思っても、地方裁判所だかなんだかが、あなたたちには、すなわち血には訴訟能力がないので却下なんてことになるわけである。勿論、血には言わない。血の代理人を気取って訴訟を起こしたナキウサギの会の弁護団みたいのが、そう言われちゃうわけである。結局、血は争えないのである。ゆえに、血は争えないとは、お前にはそんな権利ないじゃん!て、言いたいときに使えばいいのである。

 ってえなことを、町田康は書いてはいないが、そんなダラダラしたしたことを書いてはいる。とにかくどうでもいいことをダラダラダラダラ鱈鱈書いているのである。

 『苦虫1』『苦虫2』と比較すると、笑いのツボが今ひとつだったので、評価は〇なんてことになったが、それでも町田康。そして、1や2のときより、やはり進化しているわけで、新しく学んだ言葉に(今回、町田康に教わった言葉に)“内藤新宿”なる言葉がある。ダラダラエッセイ集なので、主人公が出てくるような話ではないが、少なくとも一人称視点である俺みたいな人が、最終的には内藤新宿なるとこに、飲みに行って話が終わったりするのである。

 内藤新宿とはなんど?そう思って、評者調べましたがんな。↓

 内藤新宿町(ないとうしんじゅくまち)は、東京府豊多摩郡にかつて存在した町の一つである。南豊島郡役所の所在地でもあった。内藤新宿町の範囲は、現在の新宿一丁目・新宿二丁目・新宿四丁目・新宿五丁目・内藤町のほぼ全域と、新宿三丁目・四谷四丁目の各一部(および、西新宿一丁目と歌舞伎町一丁目のごく一部)。

 なんだ、新宿じゃねえか。ギャフン。(20061212)

※多分、評者のように知能指数が190くらいないと、この面白さはわからんかもなあ。(書評No683)

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by kotodomo | 2006-12-12 14:05 | 書評 | Trackback | Comments(0)
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