2007年 03月 16日
世の中には、そのもの自体について語らなくてもいい史実や事件が存在するわけで、小説の世界でも、しばしばモチーフとして用いられる。その最たる例が、第二次世界大戦じゃないだろうか。なぜ戦争になって、どことどこが戦って、日本は負けたのか勝ったのか、そんな事実を説明せずとも、事実を事実として、もしくは事実を前提として物語を紡いでいって、それで読み手になんら困難は生じないのである。もしかしたら、戦争があったことも、日本が戦争に負けたことも知らない世代がそろそろ出現する頃かもしれないが・・・桶狭間の戦いで、誰と誰が戦って、どっちが勝ったなんて、評者がもう覚えていないように(^^ゞ これが、第一次世界大戦だと、小説のモチーフとしては第二次世界大戦ほど磐石じゃないだろう。どういう背景で勃発して、どういう戦いだったのか、多少説明していかないと、小説の内容によっては、読者は置き去りにされ、物語も動いていかないかもしれない。 最近では、9.11の事件が、多くの説明の必要もなく物語の中で引用されている。まあ、そんな事件は知らん!でも、本は読む!なんじゃ?この9.11とかいうものは?なんて読者は考えられないし・・・でも、いるのかなあ(笑)。世間は広いからなあ。 また、読者が知ろうが知るまいが、それがフィクションとして太い骨を持つ物語であれば、事件が事件であったことに触れる必要がない場合もある。例えば恩田陸『ユージニア』と名張毒ぶどう酒事件(1961年)、桐野夏生『グロテスク』と東電OL殺人事件(1997年)。そういえば同じ1997年に起こった神戸須磨児童連続殺傷事件も、最近読んだ香納諒一『贄の夜会』で使われていたなあ。 ところが、こういう事件も段々と風化していくわけで、『ユージニア』や『グロテスク』をまったくのフィクションとして読んだ読者も少なくないわけで、そのうち9.11なんかも説明的描写が必要になってくる時期が来るだろう。 そういう意味で、本書『ピース』の中で下敷きになっている事件も、作者の中の鮮明な記憶と、一般的な人の記憶との間に、乖離があるような気がしてならないのである。確かに、評者もこの事件(というか事故だけど)は、忘れ得ない記憶である。有名人も犠牲になり、生き残った少女が話題になり・・・でも、作者が触れている重要な事項については、記憶がない。作者のフィクションかも知れないが、多分フィクションではなく、当時、この事項についての話題が世間には流れていたのだと思う。そうでないと、題名の意図するところが判明したときに、作者のこじつけと受け止められかねないからである。この終盤のところで、読者は腑に落ちなければならないわけで、そういえばそんな話題が事件の周りにあったなあと思い出さなければならないからである。評者は思い出せなかった。思い出せなくても、よくある事象なので想像に難くないが、でも上手くピースが嵌ったなあという感じがしなかったのである。 まあ、そんな部分でこの作品を否定する気もないし、そんな瑣末で精緻なことを、評者はこの作者に求めていない。評価がイマイチだったのは、これまでに読んだ三作『彼女はたぶん魔法を使う』『ぼくと、ぼくらの夏』『月への梯子』が三作とも、軽妙な会話を中心にしたハードボイルドであったので、今回も勝手な期待をしていた評者が肩透かしを喰らっただけなのである。評者が知っている樋口流樋口節が不在だっただけである。味わいがある人物を配置し、味わいのうかがえそうな小粋な料理を小道具に使ったりと全体に味わいがないわけではないが、評者が味わいたかった味と違っただけなのである。(20070316) ※さてと、次はこの作者の直木賞候補作『風少女』と行きましょうかね。(書評No703) 書評一覧 ↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
by kotodomo
| 2007-03-16 16:30
| 書評
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Comments(2)
Tracked
from 図書館で本を借りよう!〜..
at 2007-03-16 21:10
タイトル : 「ピース」樋口有介
「ピース」樋口有介(2006)☆☆☆☆★ ※ [913]、国内、現代、小説、ミステリー、秩父、田舎 前作「月の梯子」[http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/27331506.html ]を評したとき「青春ハードボイルド(?)の雄、樋口有介はどこへ向かおうとしているのだろうか」と述べてみたが、本作もまったく同じ言葉が当てはまる。読み始めてまず思ったのは、なんて古臭いミステリーだろうということ。 秩父の町にある場末のバー、ラザロというスナックに集う...... more
最近、ぼくらの知っていた樋口有介の「らしさ」がどこかに行ってしまった気がぼくもします。でも、ぼくはこの作品は唸らされましたね。読んでよかったと思える一冊でした。
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すのさん おはようございます。
「らしさ」この作家の場合、青春だったり、軽妙なハードボイルドだったりしますが、本質的にはページを繰る手を止められない楽しさでしょうか。 それが、ここにはなかったような気がします。味わいはあるのですが。 |
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