2007年 08月 09日
先日、随分前に買った「本の雑誌」を読んでいたら、“いつだって小説”という言葉を遣っている文章に出会って少しおかしかった。 例えば『世界の中心で愛を叫ぶ』片山恭一や『冷静と情熱のあいだ』江國香織なんかが、その類の本らしく、“いつだって僕たちは心に闇を抱えて生きてきた”みたいな文章が挿入されているらしい。“いつだって僕たちは・・・”が似合う小説=“いつだって小説”。 実は、評者はどちらの本も未読なのだが、こういう小説には、もうひとつ特徴があるらしい。それは、小説内でプチオカルトが登場することである。そうなると、評者が既読の『そのときは彼によろしく』『いま、会いにゆきます』市川拓司なんかも“いつだって小説”に入るのかなあと思うわけで、“いつだって”なんて文章があったかどうかは憶えていないが、似合うっちゃあ似合うし、プチオカルトが物語の構成に大きな影響を与えていたことは間違いのないところである。 本書『ビザール・ラヴ・トライアングル』は、短編集である。浅倉卓弥の文体が“いつだって小説”だとは言わないが、評者が読んできた浅倉卓弥の紡ぐ物語は、すべてプチオカルト小説だったし、本書の短編たちもすべてプチオカルトな小説たちなのである。で、決め付けると、浅倉卓弥はプチオカルティックメーカーなのである。 本書の初版には、もっとオカルトな誤植があって・・・写真を載せておこう↓。『雪の夜話』は既読だが、『雪の世話』とはなんざんしょ。雪下ろしのことかな?根雪が融けないように世話するのかな?ちょっとした誤植だが、意味合い的には大笑いである。(20070802) ※最初の一編を読んだとき、夏にあわせて出版した怪談物と勘違いした評者である。(書評No735) 書評一覧 ↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
by kotodomo
| 2007-08-09 07:57
| 書評
|
Trackback
|
Comments(0)
|
アバウト
カテゴリ
ことどもカテゴリ
意外と書評が揃っているかもしれない「作家のことども」
ポール・アルテのことども アゴタ・クリストフのことども ジェフリー・ディーヴァーのことども ロバート・B・パーカーのことども アントニイ・バークリーのことども レジナルド・ヒルのことども ジョー・R・ランズデールのことども デニス・レヘインのことども パーシヴァル・ワイルドのことども 阿部和重のことども 荒山徹のことども 飯嶋和一のことども 五十嵐貴久のことども 伊坂幸太郎のことども 伊集院静『海峡』三部作のことども 絲山秋子のことども 稲見一良のことども 逢坂剛のことども 大崎善生のことども 小川洋子のことども 荻原浩のことども 奥泉光のことども 奥田英朗のことども 香納諒一のことども 北森鴻:冬狐堂シリーズのことども 京極夏彦のことども 桐野夏生のことども 久坂部羊のことども 黒川博行・疫病神シリーズのことども 古処誠二(大戦末期物)のことども 朔立木のことども さくら剛のことども 佐藤正午のことども 沢井鯨のことども 柴田よしきのことども 島田荘司のことども 清水義範のことども 殊能将之のことども 翔田寛のことども 白石一文のことども 真保裕一のことども 瀬尾まいこのことども 高村薫のことども 嶽本野ばらのことども 恒川光太郎のことども 長嶋有のことども 西加奈子のことども 野沢尚:龍時のことども ハセベバクシンオー様のことども 初野晴のことども 花村萬月のことども 原りょうのことども 東野圭吾のことども 樋口有介のことども 深町秋生のことども 『深町秋生の新人日記』リンク 藤谷治のことども 藤原伊織のことども 古川日出男のことども 舞城王太郎のことども 町田康のことども 道田泰司大先生のクリシンなことども 三羽省吾のことども 村上春樹のことども 室積光のことども 森絵都:DIVEのことなど 森巣博のことども 森雅裕のことども 横山秀夫のことども 米村圭伍のことども 綿矢りさ姫のことども このミス大賞のことども ノンフィクションのことども その他全書評一覧 最新のコメント
最新のトラックバック
|
ファン申請 |
||