2008年 02月 11日

◎「おそれずにたちむかえ-テースト・オブ・苦虫5」 町田康 中央公論新社 1680円 2007/11

b0037682_8405769.jpg 単身赴任を終え、鹿児島の家族の元へ帰ってきたのも嬉しいが、何より鹿児島という文化的な都市に帰ってきたことが、今後の壮年及び老後における充実感を予感させる。

 っていうか、はっきり言えば、その他の文化施設も勿論だが、図書館が充実しているのである。鹿児島?鹿児島市?って、馬鹿にすることなかれ。人口60万。そんじょそこらの地方都市には負けない人口。ついでにいうと面積はさほどない。つまり、人口密集都市なのである。だから、狭い地域に充実した住民サービスが存在するのである。

 図書館についていえば、県庁所在地なので、まずは県立図書館がある。蔵書数は・・・知らん(笑)。知らんけど、凄い!ない本はない!ない本はないからない。じゃなくって、ない本はないというぐらいに凄いということである。今まで利用していた、駿東郡清水町図書館にはなかった佐藤優(元外務省員:代表作『国家の罠』)の著書もすべて所蔵してあるからにして、これは借りんといけんと思っている。もっと凄いのが、鹿児島市立図書館。多分、貴重資料は県立のほうが上のような気がするが、一般図書(小説、文芸等々)蔵書数は県立の数倍ではないだろうか。実際の蔵書数は・・・知らん。知らんけど、凄い!!!おまけに、分署の図書館を市内に11も抱えているので・・・凄すぎるのである。

 休みの日、評者はまず県立図書館に行く。借りたい本が脳裏に浮かばなくても、書棚を見れば、うほほ、5冊は借りる。県立図書館の特徴は、ポケミスの充実度かな。ポケミスは県立で借りよとういうのが、評者の座右の銘である。次は、市立図書館へ。小説、文芸等の充実度は凄まじい。借りたい本が山積。しかし、ここでは制限の5冊は借りない。帰りに、分署である伊敷図書館に寄るので、せめて1冊枠は空けておきたい。で、この市立図書館の特徴は、文庫本の充実度かな。文庫本は市立で探せというのが、評者の座右の銘である。

 結局、過日は、県立、市立、伊敷分署と、借りるつもりもなく、眺めようと思って4年振りに訪問したのだが、8冊も借りてしまった。新任の挨拶回りや、夜の会食等、読書するには忙しすぎる日々を想定していたので眺めるだけよ、なんて自分に言い聞かせて行ったのだが、欲には勝てず、読めんかもしれんけど8冊借りてしまったのである。まずは、県立。読みたくても駿東郡清水町図書館には置いていなかったP・G・ウッドハウスの『比類なきジーヴス』『よしきた、ジーヴス』『それゆけ、ジーヴス』の3冊を借りる。続いて市立へ。ジェフリー・ディーヴァーの『12番目のカード』、荒山徹の『忍法さだめうつし』、レジナルド・ヒルの『異人館』、そして町田康の本書『おそれずにたちむかえ-テースト・オブ・苦虫5』を見つけて、くほほ。その後、伊敷の分署にて海堂尊の『ブラックペアン1988』を拾って・・・一週間経って、結局、今現在読み終わったのが、本書のみの1冊なのである。読めないのはわかってはいたが、くやしい。よし、今週は飲まずに頑張るぞ、っと。ということで、今後の「本のことども」by聖月の更新をお楽しみに。本も充実、家族の愛も充実なので、以前のような家族話を含めたダラダラした文章を認(したた)めようぞ。

 そういうわけ(どういうわけ?)で、本書『おそれずにたちむかえ-テースト・オブ・苦虫5』の書評なんぞを書こうと思うのだが、うむむ、わかる人にはわかると思うが“いつもの町田節健在!”としか言いようがない。エッセイ集なのだが、すべて机上の空論、町田康由来の空想話、ゴミ箱行きの法螺話集なのである。書評、感想なぞ書けやせんぞ。と思っていたら、今朝の地元紙南日本新聞に、町田康の文体について触れてあったので、それを借用することにしよう。元々は、今回の芥川受賞作家、川上美映子『乳と卵』について書いてある、文芸評論家・石川忠司氏の文章で、川上美映子の文体は非常によい、似たところで町田康なる文筆家がいるが、川上美映子が上で、町田康は似ている文章を書くとはいっても、品や可愛げの部分で違いがあると、町田を少しばかり否定した内容である。

 では、引用、借用。「ワンセンテンスが異様に長く、ときに話題の脱線を繰り返し、大阪弁も交えてひたすら冗舌な文体。と言うとすぐ町田康が連想されるかもしれない。しかし町田の冗舌さが自意識に起因する、すなわち自分が書いてしまったことに照れを感じ、すぐ釈明してみてもそれがまた照れを呼び・・・といった事態に起因するのに対し、川上はその手の自意識とは無縁である。」

 川上文体は、未読なのでよくわからないが、町田文体への言及はある意味正しい。言いえて妙。ただし、その町田文体が、素(す)の照れなのか、照れへの照れなのか、装いの照れなのか、照れという演出なのか、そういうことに触れずに、この文章に続けて川上作品を誉めているので、町田康が可哀想っちゅやあ、可哀想である。何しろ、評者にとって、町田康は日本語の操り師としての師匠であるのだから。

 ところで、少しは本書の内容に触れておくと、シリーズも5巻目、いくら馬鹿法螺話でもネタは尽きるかもと思っても、町田節は留まるところを知らない。中でも、今回、印象に残ったのは、言葉についての言及である。

 まずは「基本的には」という言葉。これについて、町田康は、ああじゃない、こうじゃない、などと書いているのだが、それは置いといて、確かにこの「基本的には」という言葉、ビジネスシーンでも最近濫用されてはいまいか。“キミ、この仕事を明日までにお願いしたいのだが”“基本的には大丈夫です”・・・むむむ、と思うのだなあ、評者は、そんなとき。“今、抱えている仕事があるので、時間的に多少の心配はありますが、明日という期限が明日の17時くらいであって、その間、突発的な仕事が舞い込まなきゃ大丈夫です=基本的には大丈夫です”ってか?ってさ、意味のわからん単語の濫用はやめたまい、キミ!と言いたくなるのだなあ。例えば、別のシーンで、“僕と結婚してください”と言って“基本的にはOK”なんて女性に返されたら、俺は、僕は、評者は、そんな女と添い遂げられんと悩むど、多分。

 あと「軽」という言葉。軽作業、軽自動車、軽食、軽音楽・・・これについても、町田康は、ああじゃない、こうじゃない、などと書いているのだが、それはさておき不思議な言葉である。軽自動車は重いど。軽音楽より、浅田美代子が昔歌っていたあの子は何処の子かえるの子みたいなほうが軽かったぞ。軽食と普通の食事の境目って?

 まあ、そういう頭の言葉の体操的に、評者は町田康の文芸的駄文が好きなわけで、似てるけど違う、でも似てるっていう川上美映子の受賞作は読みたいと思って、少し書斎で篤姫踊りを軽く舞うて、軽睡眠をとったのことども。(20080211)

※うむむ、書斎で駄文を連ねると、結構落ち着いて長文になるなあ。書きたい意欲が復活してきたなあ。(書評No770)

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by kotodomo | 2008-02-11 15:25 | 書評 | Trackback | Comments(0)
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