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「本のことども」by聖月

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2008年 05月 29日

▲「私は作中の人物である」 清水義範 講談社文庫 460円 1993/7


 結局、清水義範の本っていうのは、ほとんどが短編集であり、すべてがいい意味で思いつきの駄文であり、そこが評者は大好きなのだが、だからと言ってすべての作品が評者好みというわけにはいかない。だから、これっておもろい!噴飯物!よく、こんなこと思いつくなあ!そんな作品が3つも収められていれば、この本は面白いという評価をくだしたくなるわけで、記号◎◎をつけるわけである。

 本書『私は作中の人物である』の場合、表題作はイマイチ、ただ「船が州を上に行く」だけが評者の好みであり、好み作品が一つということで評価▲である。しかし、人の好みはそれぞれなので、この作者の文章自体はどれも丁寧に書かれていることからしても、「全国まずいものマップ」や「文字化けの悦楽」などは、もしかしたら多くの人に支持される作品かもしれない。

 本文とは関係ないが、小説の中の人称って、深く考えれば考えるほど不思議である。“そのとき私は・・・”なんて、一人称の文章の場合、その私は誰に語っているの?っていうのは、小説作法の永遠の疑念だし、古川日出男の『ベルカ、吠えないのか』みたいに犬に語りかけっぱなしで物語が進んでいくのは実際にはありえない設定だし、式田ティエン『沈むさかな』の二人称文体なんかも、なんでそういう風にしたのか読者はわからないし、あの直木賞受賞作の船戸与一『虹の谷の五月』で主人公少年が時々語りかけ口調になったりするのも、読者は誰に語りかけてんの?とわからなかったりするのである。

 かく言う評者も、ブログの中で文章を書いているが、その“評者”という人物も架空の人物であり、じゃあ誰に書いているの?というと、架空の友人たちに書いているのである。だから“聖月様って、20代の女性らしいよ”という噂があれば、それもブログという世界においては間違いではないのである。架空の人物なのだから。本当の世界では、めちゃんこ間違いだけど(笑)(20080524)

※しかし、この作家、着目が面白いなあ。発想が自由だなあ。(書評No802)

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by kotodomo | 2008-05-29 09:14 | 書評 | Trackback | Comments(0)


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