「本のことども」by聖月

kotodomo.exblog.jp
ブログトップ
2008年 08月 08日

最近アクセス数が急増中のことども

それはなぜかというと
b0037682_8305156.jpg

映画化の影響みたいですね・・・

ということで、おおもとの書評は↓
随分と真面目に書いた書評がよろしいのかな(笑)

○「闇の子供たち」 梁石日 解放出版社 1800円 2002/11


 読書人たるもの精神力があれば、大抵の本は最後まで読み通すことができる。途中、理解できない記述や、自分には面白くない内容をやり過ごす気さえあれば、精神力で読み続け、読破することは可能である。評者も経験がある。片田舎の高校生に、当時の教師たちは、自分でもよく理解していないだろうと思われる書物を与えていた。あれって青少年の読書離れを助長させる一端じゃないかな。でも、しかし、前向きな青年評者は、とにかく読んだぞ、当時、精神力で。小林秀雄『無常といふ事』三木清『人生論ノート』亀井勝一郎『現代人の遍歴』、ついでに井上靖『敦煌』などなど。え!井上靖?とお思いかもしれないが、彼の作品には読んでいて楽しい作品がたくさんあるのに、なぜか片田舎の教師というものは、中でも難解な作品を与えてしまうのである。これって、なんかいな?ついでに言っておくが、この片田舎の高校名は鹿児島県立鶴丸高等学校である。まだ、あるかな?

 話を戻して、精神力では読み通せない本も存在する。本書『闇の子供たち』を最後まで読みきるために必要なのは、精神力ではなく、精神の体力である。神経及び感受性の耐久力が必要なのである。評者は、毎日昼休みに40分間本書をヒーヒーいいながら読んでいた。昼休みの間、会社の同僚は「昼どき日本列島」や「笑っていいとも」で脳みそをくつろがせているわけだが、評者の頭の中では幼児が虐待され陵辱される闇が広がる。毎日毎昼ヒーヒー言いながら読んだ評者。小説としては、さほど面白くなかったが、読んでよかったと思っている。精神は疲弊してしまったが。

 著者梁石日(ヤン・ソギルと読む)は、この本の中身について、出版前から大体次のようなことを言っていた。東南アジアを中心とした幼児売買、幼児買春、幼児臓器売買について書かれた本は数多くある。実態を伝える人権のためのレポートなどもある。でも、自分(梁石日)はそこで本当に何がおこなわれているかを伝えたいと。確かに、評者が普通に暮らしていく中で、日本人が買春ツアーを組んで東南アジアに出向く話、ジャピーノの話、その他色々な話が伝わってくる。でも、この話だけでは、これは幸せな話なのである。ツアーに出て行ったおっさんは気持ちよくて幸せ、現地の女性はお金をもらって幸せ、道徳的にはよくないが、幸せが散らばっているようにしか聴こえてこない、そんな浅いところの話なのである。しかし実態は…。

 評者の上の娘は9歳、3年生、夏休み、プール、海水浴、工作、ニコニコ。本書の冒頭で親からブローカーに売られる娘は8歳である。組織のアジトに着くと、早速身体を貫かれる。8歳の娘である。貫くのは、性産業を生き抜いている男の持ち物である。想像してみるといい。あなたの鼻の穴に、キュウリが捻じ込まれると思えばいい。要するに調教とかいう世界ではない。破壊の世界である。子供たちは男もいれば女もいる。買いに来る大人たちは男もいれば、女もいれば、夫婦もいる。客の前で、12歳の少女と10歳の少年が交わる。客の男が、少女の身体をまさぐり、少年の身体をいたぶる。「なぶる」という字は、「嬲る」と書く。分解すると男女男、男二人の中で女が嬲られる。ところが、本書の世界では、男、女、少年、少女、夫婦、レズ入り乱れて嬲り嬲られる。だからレズの二人連れが少年を買いにきて陵辱することを考えれば女男女という字面で、なぶる場合もあるわけなのである。とにかく狂気までとはいかないが、異常な世界である。読み進めていけばわかるが、子供たちには苦痛や悲観はない。あるのは絶望だけである。評者の娘の夏休みの朝は、希望から始まる。さあ、きょうは何をしようかしらと。本書の子供たちの目覚めは、絶望から始まる。

 子を手離す親、子供たちを仕入れて売るブローカー、買いにくる人間、一体誰が悪いのか。すべての立場の人間がいけないのだが、行政的にはブローカーをなくすことが望ましい。望ましいのだが、警察や役人はブローカーを守るために動く。だから、子供たちには逃げればなどという希望はない。

 自分とは、関係ない世界?そうではない。あなたに子供がいたとしよう。可愛くてしかたないその子に、臓器の疾患が見つかる。なにをしてでも、助けてあげたいとあなたは思うだろう。あと一年の命。その間に臓器を移植すれば、なんとかなる。命を繋ぎとめられる。だが、米国や豪州に行って、順番待ちをしている間に命の灯火は消えかかる。そんなあなたに朗報がくる。4000万かかるが、タイに行けば2ヵ月後、臓器移植が受けられると。お金はなくても借金して申し込むだろう。そのお金の大部分が、暴力団やマフィアの資金源になると聞いても、申し込むだろう。子供の命が助かるのであれば。そのために、現地の子供の命が失われると聞けば?申し込む。それが親だ。我が子を持った責任だとなるのか、他人の命に替えてまで、と思うのだろうか。

 内容は暗く深いが、文章は教科書的、説明的と言えばよいのであろうか。初梁石日につき、ゴツゴツした益荒男(ますらお)な文章を想像していたら、どちらかというと手弱女(たおやめ)、男の臭いのしない文章にちょっと驚いた評者である。小説としての評価は△。しかしながら、やはり機会があれば読んでほしい気持ちもあり、材料を含む評価は○。評者のように毎日ヒーヒーいいながら読まなくても、立ち読み程度の流し読みでもいいし、図書館から借りてもいい。買いなさいとはいわない。機会があれば読みなさいと言っておこう。(20030718)

※図書館から借りる。実は初梁石日だが、手持ちの梁石日本はある。『終わりなき始まり』上下巻。嫁さんが出してくれた懸賞で当たってきたのである。発売後すぐに。でも読んでいない。すまん、嫁さん、今度読む。

[PR]

by kotodomo | 2008-08-08 08:35 | メモる | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://kotodomo.exblog.jp/tb/9248458
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。


<< 〇「さよなら渓谷」 吉田修一 ...      ▲「首輪物語」 清水義範 集英... >>