「本のことども」by聖月

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2005年 06月 30日

◎「アマチャ・ズルチャ」 深堀骨 早川書房 1700円 2003/8

b0037682_20354972.jpg いわゆるバカミスである。お馬鹿なミステリーである。バカミスがわからない?じゃあ評者作『桃太郎殺人事件』(そんなの書いてないけどさ)を例にあげて説明しよう。馬鹿売れしたから(そんなの売ってないけどさ)皆さんご存知だと思うので概略だけ。桃太郎のおじいさんが殺された。犯人と思しき鬼を追って桃太郎は鬼が島へ。ところが、この鬼メッチャ強い。キジも猿も犬のチワワもかなわない。ということで、桃太郎は鬼の弱点を研究して、ついに判明。この鬼は、イチゴジャムの壜に弱い。なんで?って思うかもしれないが、バカミスなので仕方がない。で、イチゴジャムの壜を使って鬼を退治した桃太郎が、家に帰ってみると、お婆さんがこう言う。“おじいさん、今度村の劇に出ることになっていて、それが喜劇なもんだから、ズッコケの練習毎日してて、実は死んだのも殺されたんじゃなくて、ズッコケの練習中に失敗して打ち所が悪くて死んだみたいなの”???バカミスだからしょうがない。

 本書は、バカミス短編集である。「バフ熱」を読んで、まあこんなものだろうと思う。風邪だと思って医者に行った主人公、バフ熱と診断される。この病気にかかると、いずれバフバフという言葉しか喋れないようになるという。困った困ったと思いながら、食べられる洗濯ハサミの開発に余念がない…というような変な話。こんな話ばかりだったら、多分評価は〇だったのかもしれないが。

 「隠密行動」と「闇鍋奉行」が面白い。特に「隠密行動」のほうは、すこぶる。新しい文法、思いもかけない奇想、なんじゃなんじゃの低レベルに、評者はグフグフ笑いを堪えながら読んだのである。バッカみたいって思いながら、楽しく読んだのである。ただ、このあたりのツボは人によると思うので、評者とタイプの違う読者には単なるバカミス以上のものではないかもしれない。とにかく評者は、この「隠密行動」が好きだ。結婚してほしい。

 一方「闇鍋奉行」のほうは、これは設定からして面白い。江戸の時代、北町、南町奉行所とか著名な奉行所以外に、鍋奉行やら闇鍋奉行というのがあったとのお話。してその仕事の中身はと言うと、皆様のご家庭、お茶の間での鍋奉行の仕事と一緒である。“肉を入れるのはまだ早い!”とか、“春菊はちょっと煮えたくらいが良いんだ!”とか、そういう指導係りである。評者は特にそんなことには頓着しないので、我が家でも鍋奉行呼ばわりされていないが、灰汁(あく)はせっせと取るほうで、そこから家庭内では悪(あく)代官呼ばわりされている。

 実はこの短編集、この10年に書かれた作品を収録しているので、作風も作品ごとに結構違っていたりする。また、合わない、理解できないという人もいるかもしれない。だから、例えば図書館などから借りて、最初の2作くらい読んで、面白くない、もう返そうと思ったら、もう少し我慢して「隠密行動」と「闇鍋奉行」だけは読んでから返しなさいと、こんな風に書いたら誰も読む気にならんかもしれんが、「隠密行動」だけは、これは、読むべしなのである。新しい小説、新しい文法がここにある。(20040319)


※ハヤカワSFシリーズコレクションという叢書の一冊。

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by kotodomo | 2005-06-30 19:32 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2005年 06月 30日

〇「街の灯」 北村薫 文藝春秋 1762円 2003/1


 評者にとって、日常の謎を書いたミステリーというのは、イマイチしっくりこないようである。既評のその手の作品の評価記号を見ても、加納朋子『螺旋階段のアリス』くらいじゃなかろうか、◎◎の評価をしているのは。誰も死なない(本書『街の灯』では死人が出ることは出るが)とか、犯罪を書かないとかの制約の中で書かれたこの手の物語っていうのは、何か持ち味がはっきりしないと、その日常の謎自体を取っ払ってしまったときに、物語として味気なさを感じるからかも知れない。本書は、昭和初期のいわゆるお嬢様方(公爵とか子爵とか旧武家の子女)の世界を舞台にして、一種独特の雰囲気こそあるのだが、それでもやはり評者には、イマイチ面白さを感じなかった小説である。世間様の評判はいいので、一般的には、まあ○以上の面白さがあるのだとは思うのだが。めっちゃ評判の高かった同じく北村薫の『空飛ぶ馬』も、評者は3分の2読んだとこで放ってしまったわけで、結局は単なる個人的な感性の問題であって、本書自体もきっと一般的には面白い小説なのだろうと思う今日この頃なのである。

 主人公はお嬢様ながら、考え方も現代風で、ちょっと背伸びな感じの乙女である。学校にも車で送り迎えしてもらうくらいの、現代社会と比してもやはりお嬢様なのであって、彼女の車の運転手が新しく変わるところからこの物語は始まる。新しい運転手は、素敵な女性。当時としては運転する女性自体が珍しいところに、お抱えの運転手が女性。それも知性にあふれ、武道その他も男顔負けの片鱗が随所の描写に出てくると、読むほうもその女性の魅力の可能性に心惹かれていくのである。勿論、主人公のお嬢様もそんな素敵な運転手に心惹かれていくのである。日常の中に潜む謎。最終的には主人公が答えを見出すのだが、その女性運転手(主人公がつけた呼び名はベッキーさん)との問答の中で、答えへの道筋をつけていくのである。そういう意味では『空飛ぶ馬』に始まる女子学生と落語家コンビの設定と、大きくはずれてはいないわけで、何が違うかというと舞台設定ってことになるのであろう。

 本書は連作短編集なのだが、多分この設定でシリーズ化されるのかと思う。それぞれの短編で日常の謎は解き明かされるが、ベッキーさんの持っている奥深い可能性はまだまだありそうな雰囲気だし、若い男女の恋の行方などがホッタラカシのまま終わっているので。

 他人の評判を引き合いに出すのもなんだが、ほとんど同時に読み終わったリンク先四季さんの評価がよいようなので、やはり女性には読め、読め、読めの一冊なのかもしれん。(20040108)


※巻末で著者がデビュー当時の、自分が覆面作家だったことに触れている。当時の本に関する雑誌をみると、北村薫は男か女かとか、いや実は二人で書いているのだとか、その正体が世に知られていなかった(こういうのを覆面作家という。タイガーマスクとか銀行強盗じゃないからね。最近では舞城王太郎)ことがよくわかる。知らない人のために言うと、北村薫は立派なオジンである。高村薫が立派なオバンであるように。

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by kotodomo | 2005-06-30 16:25 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2005年 06月 30日

〇「真相」 横山秀夫 双葉社 1700円 2003/6


 『陰の季節』や『動機』などの初期の横山警察小説を評して、横山秀夫の作品は体力と気力が半分の高村薫みたいと揶揄されている記事に笑いながらも大いに頷いた記憶のある評者なのだが、本書を読んでいたら今度は向田邦子を思い出してしまった。向田邦子書くところの、落し話的ミステリー、主人公は盆栽好きな老人、その老人の日常を描きながら、日常に潜む意外性を書く短編集みたいな。要するに、なんか古臭いのだ、本書『真相』。加えて、読んでいて読みやすいのだが、心にあまり残らない。

 税理士、選挙、リストラ、犯罪など広い題材を集めながら、結局小道具に著者の古巣である新聞社の事情が絡んでくるあたりは興味深いのだが、各作品がそこまで興味深くないので、心にあまり残らないのかな。まあ、読みたい人はどうぞ。(20040104)


※鹿児島市立図書館で借りる。

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by kotodomo | 2005-06-30 16:21 | 書評 | Trackback(4) | Comments(4)
2005年 06月 30日

◎◎「サイレント・ゲーム」 リチャード・ノース・パタースン 新潮社 2800円 2003/3


 2003年暮れから年明けにかけて読み始めたのがこの作品。2段組500頁、なるべく酒を飲まずに本書を読むと決めたのだが、やはり大晦日は飲み、元旦も夕方まで我慢したのだが、夕方4時に“飲んでもう寝る!”と宣言し実行してしまう。2日目は実家に行って飲み、3日目の夜新年会に出かけたのだが、その前になんとか本書を読了。しかし、自分で言うのもなんだが、正月三が日で本書を読了する呑み助はそうそういないぞ。

 しかしながら、結局分厚い本書を読み終えることができたのは、やはりその中身、素晴らしい物語性に起因する。パタースンというと法廷物という図式は本書においてもそうなのだが、前半部分の青春小説だけをとっても素晴らしい物語である。ある事件から主人公の青年が疎外感を感じるくだりなどは、単純な描写にあらず、丁寧な会話の積み重ね、丁寧な事象の積み重ねで、その疎外感の種類までをも読者に浮き彫りにしてくれる。また、飽きがくるようなタルミもなく、読者をひきつけてやまないこの大長編は、読め、読め、読めの一冊である。海外物は全然読まないんです、苦手なんですというそこのあなた!読むべし。

 高校時代に仲良しだった友人の弁護を引き受ける主人公は47歳。30年前、17歳の頃のトラウマと戦いながら、17歳のときの親友を助けるべく…なんて書くと、どこにもありそうな手垢のついた二重構造の小説かと思うかも知れない。しかしながら、この作家の精緻な筆の力にかかると、単純そうな物語の深味へ深味へと導かれてしまう。読むべし。こういう小説を読むべし。(20040103)


※鹿児島県立図書館で借りる。

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by kotodomo | 2005-06-30 16:16 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2005年 06月 30日

〇「ZOO」 Z- 集英社 1500円 2003/6


 まずは、表紙。作者名の表記が乙一(おついち)ではなくZ-(ゼット&棒線)になっていたので、評者もそれに従ってみた。単に本書の題名『ZOO』のデザインの延長線上での小洒落た表記だと思うのだが、とりあえず真似てみた。あとは知らん。誰かが“乙一”で検索してひっかからなくても、そんなのは知らん。とりあえず、真似てみた。

 ところで、表紙の洒落だけでなく、短編集である本書内の「血液を探せ!」が、とぼけた洒落で評者は好きだ。金持ちの老人が主人公。妻と長男と次男が出てくるのだが、それぞれの名前がツマ子とナガヲとツグヲというのが馬鹿らしくお洒落である。主人公の健康管理に従事する医者の名前がオモジ先生。うん?オモジ?おお!主治医でオモジなのね。乙一、お前意外にオモジロイやつだなあ。で、この話自体は大いに笑えるオトボケ短編で、乙一の笑いを体験できる素敵な小説かと。

 『GOTH』で評者の不興を買ったグロテスクでダークな作品もあるが、全体としてはまあまあかな。少なくとも、この作者、ミステリーを書いているんだ、書くんだと意識した作品を並べてくれるので、グロでも最後まで読ませる力はある。(20031231)


※あけおめ。今これを書いているのが2004年1月4日。結局、本書『ZOO』が2003年の最後の作品。全部で何冊読んだのか?2003年は本書で142冊。ついでに上下巻本までわけて考えると149冊のようであるが、上下巻本を拾っていく作業で気付く。無意味な作業であると。たまたま2分冊になっていただけで、1冊でも2分冊よりボリュームのある作品も多かったし、やはり上下巻分けて数えるのは無意味。そういう意味でも、昨年読んだ本の数は142冊。決して149冊ではないのだよ。

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by kotodomo | 2005-06-30 16:13 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2005年 06月 30日

▲「七つの丘のある街」 トマス・H・クック 原書房 1800円 2003/11


 しばらくの間、評者の思い込み、勘違いにお付き合いいただこう。実は最近、とんと翻訳作品の最新情報がわからないのである。今年もこのミスの海外編ランキングを眺めながら、全然知らんやないけ!あらためて思った一年である。で、最近海外物著者借りを始めたのである。既評コナリー『チェイシング・リリー』グレシャム『ペインテッドハウス』などがそれである。鹿児島市立図書館には分室代わりの公民館がいくつかあって、最寄りの公民館には新作コーナーが作られている。そこの海外物の新作を著者名を頼りに借りている次第なのである。

 今回借りたのが本書『七つの丘のある街』。勿論、トマス・H・クックという著者名だけで借りてきたのである。かつては『緋色の記憶』などの記憶シリーズで、最近でも『闇に問いかける男』等で、ミステリーランキングの常連作家、こりゃ新作が早くも借りれた、シメシメなのである。

 男女二人組。たまたまの通行人に車の上から声をかけ、乗ったが最期(って普通乗らないんじゃないの)、少なくとも解放することなく連れまわす。そんな犯罪を淡々と順を追って描写していくこの筆は『緋色の記憶』などでみせた作者のカットバック手法などとはちょっと違う。中盤、意外に簡単に警察に御用となった犯人二人組。そこからは、警察での取り調べを経て、裁判へと場面が展開していく。なるほど、これは犯罪小説であり、法廷小説でもあるのだなと思う評者。でも終盤にさしかかっても、いわゆるヤマがないことに気付く。もしかして、こ、こ、これは!!と思い始めたのが、ラスト30ページ。そして読み終えても半信半疑で、訳者あとがきで確認。そう、この本は史上最年少の18歳での女性死刑囚の犯罪と裁判を書いたノンフィクションなのである。

 今から20年前の犯罪を、1990年に書いた作品で、そうなると米国人以外にはちょっと説明不足で終わってしまう内容と言えよう。想像してみたまえ。例の和歌山カレー事件。この事件の記録を誰かが10年後に書いて、それが20年後に翻訳されてみたまえ。読んだ米国人はチンプンカンプン。事件のあらましはわかっても、それで?どうしたの?だから何?ってな感じかな。今の評者がそうである。クックが例の史上最年少の女性死刑囚の犯罪について書いた本なのだが、例のといわれてみても、それに思い当たらない評者にとっては、どうも説明不足の小説を読まされた感じであった。

 とういうことで、これ書き終わったら、例のとこに行ってこようっと。(20031230)


※クックの新作ミステリーと間違えて買ったなら、ガックシくること間違いない。

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by kotodomo | 2005-06-30 16:09 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2005年 06月 30日

◎◎「魔女は夜ささやく」上下 ロバート・R・マキャモン 文藝春秋 上下 各2667円 2003/8


 多分、ここしばらくは“海外の作品で、何か面白い本はないかしら?”と問われれば、本書『魔女は夜ささやく』を躊躇なくお薦めするだろう。それだけ、本書の完成度、バランスのよさ、物語性、翻訳を感じさせない必要充分に平易な描写その他、どれをとっても欠点がない。加えて魅力がある。どうぞ、皆さん読みなされ。ただ、上下巻併せて5800円というのはチョット高いかな。2段組400頁の上下巻なので、普通の読者なら読んだり読まなかったりのペースで2週間から3週間は楽しめるのではないだろうか。そう考えると、そこまでの割高感はないかと思うのだが。

 本書はミステリーであり、ファンタジーであり、少しホラーなのだが、そんな簡単な分類はよしといて、素晴らしい物語という陳腐な表現をしたほうが適切かと思う。え?陳腐過ぎる?わかった。OK。本書はミステリー要素、ファンタジー要素、ホラー要素を盛り込んだ素晴らしい物語である。これでどうじゃ?一緒だって(笑)

 ところで、ファンタジー要素と書いたがハリポタのように剣や魔法が飛び交う、直截的な世界ではない。魔女はいるのか、呪いはあるのか、化け物は本当にいるのか、そんなことが、まだあやふやだった頃の物語なのである。

 舞台は、1700年にもうすぐなろうとする、新世界アメリカ大陸。イギリスから新世界に移り住んできた人たち。新しい町ができるということを聞き及んで入植する。ところが、そこで不吉なことが起こる。今から300年も前のお話。不吉なことが続くと、魔女のせいじゃないか、あの女が魔女じゃないか、じゃああの女を魔女裁判にかけろ!そういうファンタジーな世界なのである。主人公青年と保護者代わりの判事の二人は、そんな裁きを請われてその町をたずねる。まだ、未開の時代。町は適当に出来上がっていても、町と町を結ぶ道中は未開発のまま。盗っ人、インディアン、猛禽獣、二人の旅は町に辿り着く前から苦難な様相を帯びている…。

 しかし、この本はいい!まるで映画を観ているような、そんな映像が頭の中で紡がれていく。未開の道中、漆黒の闇。辿り着いた宿屋、怪しい雰囲気。やっと辿り着いた町は、勿論よそ者が容易く入らないように堅牢な門と壁や森で囲まれている。囚われの身の魔女といわれる女性は、映像としては当然に見目麗しい。当時からいた黒人奴隷たち、どこにでもいるお節介な煩いオバハン、いろんな登場人物たちの映像が次々に脳膜に結ばれていく。頭の中にハリウッド映画が構築されていく。脚本兼監督はマキャモン、映像兼脚色ディレクターは勿論あなたである。

 前作であり名作である『少年時代』が1991年の作品。そこから10年余り。待たれた新作『魔女は夜ささやく』は、そのエンターテイメント性で前作を凌ぎ、万人に読まれるべき作品に仕上がっている。読むべし、読むべし。お金がない?お年玉で買うべし。えっ?あげるほう?とにかく、読むべし。今でなくてもいい。2、3年後文庫化されてからでもいい。いつか、読むべし。(20031227)


※かくいう評者は鹿児島市立図書館で借りる。

ところで、年間を振り返ったとき、本書『魔女は夜ささやく』が文句なく海外編ナンバーワン。国内編は伊坂幸太郎『重力ピエロ』がベスト。って、今いきなり聖月ベストを発表し始めたわけだからな。そして文芸部門では『草にすわる』白石一文。身贔屓部門では『ドスコイ警備保障』室積光、温故知新部門では『哀しい予感』吉本ばなな、こんな作家に自分もなりたい、ああ村上春樹になりたい部門では『海辺のカフカ』と『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』村上春樹、歴史物部門では『魔岩伝説』荒山徹、女子高生が書いたんだ部門では『インストール』綿矢りさ、ためになった博打小説部門では『越境者たち』森巣博、そして胸締め付けられ部門では『流星ワゴン』重松清ということにしときたい。以上すべて、今年読み終えた小説という枠内から。

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by kotodomo | 2005-06-30 16:02 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2005年 06月 30日

◎「殺人の門」 東野圭吾 角川書店 1800円 2003/9


 前作『手紙』の後になんでこれ?っていうのが、評者の最初の素朴な疑問なのである。この作家は自分で意識して、小説の手法を変えてくるわけで、『名探偵の掟』や『超・殺人事件』の引き出し、『秘密』や『片思い』の引き出し、『レイクサイド』や『嘘をもうひとつだけ』の引き出し、最近では『ゲームの名は誘拐』でウェストレイク=ドートマンダー的手法の引き出しを新たに見せてくれたのだったが、今回は2作続けて同じテイストなのである。

 『手紙』も本書『殺人の門』も、終盤こそ味付けが違うが、途中までは世の中の悪意、自分に向かう災難との戦いのお話なのである。本書の主人公は歯医者の裕福な家に生まれるが、結局は両親は離婚し、父親も廃業、苦難の小学校、中学生活、高校生活へと進んでいく。世の中の無視、悪意、災難と戦いながら。そんな話も飽きずに読ませてくれるのは、やはりこの作者の上手いところで、連ドラ手法的に少年期、青年期、そして就職、そんでもって結婚生活と設定を変えてくるところにあり、そこが面白い。ただし、これは面白さにつながるとはいえ、前作『手紙』と同じ手法である。前作をご存知の方なら、あの話でも高校時代、工場就職時代、ミュージシャン時代などと、連ドラが飽きさせないために設定を変更し新たな事件を創設するような、そんな手法を覚えていることと思う。本書『殺人の門』でも事件と終息、新たな事件と終息の繰り返しで興味をひきつけている。

 読み終わっての感想は、本書『殺人の門』=『白夜行』+『手紙』って感じ。後者との類似は説明したとおりだが、前者『白夜行』との類似性は、悪意というものが見え隠れしているのだが、それが本物なのか、果たしてどこに導こうとしているのか、そんななんだかハッキリしない部分で似通っているのである。

 読む前には、殺人鬼の生涯、初っ端から人をバンバン平気で殺す男の半生記かと勘違いしていた評者。実際は、主人公が幼いうちから心に秘めている殺意というものが、結局どんな経路を辿ってどこに行き着くのかという話であったことに気付いて本を閉じた評者なのであった。(20031220)


※やあ、やあ、やあ。メリクリ2003。今年も残すところあと1週間。で、なんでこんなことを言い出すかというと、今年読んだ本を数えてみたのである。今現在、137冊。多分140冊行くね、今年は。年初の目標120できれば130冊をクリアじゃ。まあ、一部絵本が入っているが、上下巻本も多いのでそれで相殺じゃ。じゃあ、ヨイオトシ2004を。

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by kotodomo | 2005-06-30 15:35 | 書評 | Trackback(4) | Comments(2)
2005年 06月 30日

×「東京湾景」 吉田修一 新潮社 1400円 2003/10


 今年の春先、初めてゆりかもめに乗って、お台場ってところまで行って、対岸の港区、品川区を眺めた評者なのであった。レイボーブリッジや海浜公園やフジテレビ、そんな東京湾景の物語である本書。そういえば、東京生活の長かった評者も、東京湾にはあまり縁がなく、イメージ東京地図(要するに評者の脳みその中の地図)の中には東京湾ていうのがなかったはずである。当時、何度も羽田空港を利用していた評者。ある日ある時地図で羽田空港の場所を確認して、“空港ってこんな南にあったの!!知らなんだ。浜松町沖にあるかと思ってたど!!”と驚愕したくらいの東京湾認識なのである。

 そういう風景は中々いいのだが…久しぶりに面白くない小説を読んだというのが素直な感想である。普通、評者の評価は悪くても、まあ読む人によってはなんて譲歩するのだが、本書に対しては譲歩しない。はっきり、面白くな~い。

 「小説新潮」で断続的に書いていた続き物小説を、一緒にまとめた小説が本書『東京湾景』である。2002/9に初出の第1章「東京モノレール」。携帯の出会い系サイトで知り合った女性と待ち合わせするところまでこぎつけた肉体港湾労働者青年主人公。待ち合わせ場所は、羽田空港。なんで?彼女の勤務先が浜松町。でも未だにモノレールに乗ったことがないという。乗ってみたいという。そして待ち合わせ場所に来た女性は、素敵な女性。二人は一緒にモノレールに乗って…第1章は終わる。多分、著者が思いついたのは、この思わせぶりな最初の部分だけだったのではないかな。あとの話は、なんかとってつけたような話で、ワシでも書けそ、みたいな。結局は恋愛小説なのだが、なぜ彼女は最初のデートをああいうシテュエーションにしたのか、途中ででてくる女流作家の位置付けがなんなのか、いろんなことがそのままの小説なのである。

 結局吉田修一『日曜日たち』は読むべし、『東京湾景』面白くな~いで1勝1敗でタイでイーブンな評者なのである。(20031220)


※鹿児島市立図書館で借りる。表紙の写真がなかなかよい(お台場を知っていれば。評者は知っている、エヘン)。

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by kotodomo | 2005-06-30 15:32 | 書評 | Trackback(1) | Comments(0)
2005年 06月 30日

◎◎「ペインテッド・ハウス」 ジョン・グリシャム 小学館 2400円 2003/11


 “山地民とメキシコ人はおなじ日にやってきた。”の書き出しで始まる本書『ペインテッド・ハウス』は、リーガルサスペンスの巨匠が書いた普通の小説である。主人公が少年ということで、マキャモンの『少年時代』と比較したくなるが、『少年時代』のほうはファンタジーでありホラーでありミステリーであるのだが、本書『ペインテッド・ハウス』は何もない普通の小説である。1952年のアーカンソー州の綿作農家を、少年主人公の視点で、ただただ描いた作品である。それも綿の収穫時期の9月からの描写に始まり、結局はクリスマスも迎えずにこの話は幕を閉じる。要するに、綿作農家の収穫時期だけを丁寧に描き出した作品である。

 書き出しにあるように、繁忙期が近づくとメキシコ人は勿論、山地民と言われるアメリカ国内の別地方の人々が集まってくる。綿作農家は、そういった人々を見つけて雇うわけなのだが、賃金は日給とか月給とか頭数とか、そういう概念ではなく、収穫した綿の重さに対して支払われる。つまり綿畑全体の面積からのおよその収穫量は一定なので、その収穫のために払わなければならない賃金は一緒。大事なことは、多くの人を集めて早く収穫を終わらせることなのである。この小説は、綿作農家である主人公一家と、雇い入れたメキシコ人グループと、同じく雇った山地民一家の微妙なバランスを描いた物語なのである。

 繁忙期に人びとが集まってくる、これ自体は日本でもよくあることで、評者の場合、その昔、長野は滋賀高原で体感している。滋賀高原はスキーのメッカであり、夏場と冬場の観光客の人数は格段に違う。日帰り客も含めると、相当に違う。そこで施設を運営する者は冬のための従業員確保に迫られるのだが、これには恒常的なシステムがある。冬場の季節労働者は、大きくふたつ。まずはメキシコ人ならぬスキーインストラクターたち。スキーを教え、自分たちもスキーしまくるために各地から集まり、バイト代と宿泊代相殺でホテルなどで働くのである。でも、一番あてにしているのが山地民ならぬ青森さん。毎年11月頃にチャーターバスを連ね、青森から50~60歳くらいを中心にしたオバチャンたちの集団が到着する。そして各ホテル・旅館で、布団敷き、皿洗い、調理補助等の裏方として、一冬を越すのである。相当な数のオバチャンたち、青森さんというのは定着した用語で“今年は青森さん、うちの旅館に何人来てくれるんだ?”とか“今年の青森さんは、よく働くなあ”とか、集団の属性を指す呼称なのである。

 話が横道にそれたついでに、評者の少年時代の記憶の話をしよう。幼稚園に入る前くらいまでは、家に風呂が無く隣の家で貰い湯していたし、カラーテレビになったのは小学校3年生くらいの頃だったか。電話がついたのも大体その頃。そうそう、鹿児島に2局目の民放テレビ局ができて、マスプロアンテナとコンバーターのある家が羨ましかったなあ(解説:一極集中型大都市に暮らしている方は、よく知らないと思うのだが、地方ではエリアの問題で新民放局はUHFの電波を飛ばす場合が多い。ところが、当時のテレビには1~12までのチャンネルしかなかったりして、UHF専用のマスプロアンテナで受信した電波を2チャンネルとかにコンバートする装置がないと見れなかったのである。ああ、説明がシンド)。野球が好きで、でもグローブは持っておらず、試合をするときはチェンジのたんびにグローブをポジションに置いて、各チーム交互に使うなんてのが多かったっけ。クラスの友人でバットまで持っているのは二人くらいだったかな。でも、結局はそれって試合に使われるみんなのバットみたいなもんだったけど。あまり、親から物を与えられなかった自分、しかしながら自転車だけは早くから持っていたような。当時としては、親から見れば高かったろうな、子供の自転車。

 と、話をそらした上に、もっと横道まで入り込んだわけは、題名『ペインテッド・ハウス』の説明をしたかったからである。持つ者と持たざる者をあらわす言葉なのである。1952年のアーカンソー州。朝鮮戦争や自動車産業の隆盛を背景に、持つ者、持たざる者という意識が芽生えてきている米国。これは、これまでの貧富の差と違い、努力すれば持てる、そんな時代の到来を示す。“なんだ、お前の家なんか、外壁そのままじゃないか。俺の家は、ちゃんとペンキを塗った家なんだぜ”

 家族小説とも言えない、少年小説とも言えない、ただただ1952年を、アーカンソー州の綿作農家を、収穫期のみを描いた普通の小説である。それだけの小説である。たまには静かに、こういう小説を読むべし。(20031214)


※鹿児島市立図書館で借りる。

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by kotodomo | 2005-06-30 15:29 | 書評 | Trackback | Comments(0)