「本のことども」by聖月

kotodomo.exblog.jp
ブログトップ

<   2005年 08月 ( 33 )   > この月の画像一覧


2005年 08月 30日

聖月様 生まれて初めて東京タワーにのぼるのことども:東京タワーの少女

家族との東京最終日。
荷物を浜松町駅コインロッカーに預け、タクシーに乗り込んだ聖月様家族。
「東京タワーまで」・・・この言葉のなんと田舎臭いことか。
いかにも自分と嫁さんと娘二人がイナカッペの語感・・・
いや、いいんだけど、本当に田舎の臭いをプンプン運ちゃんが嗅ぎ取るのも癪なので、
「トァ オブ トキオ、プリズ」と素早く言い、あとは打合せどおり、車内では会話をしない我が家族。
きっとアメリカから来たと運ちゃんは思ったことだろう。
しかし、10年以上住んだことある東京なのに初めてのタワー。
で、記念写真、パチリ。
b0037682_17493052.jpg

そして少女は・・・レインボーブリッジに双眼鏡を向ける
b0037682_1755252.jpg

パパ評者は透明な床板の上で記念撮影
b0037682_17571323.jpg

しかし、なんで自分はスリッパなんかで東京タワーに来たんだろう???

でも、楽しかったな3日間。家族っていいなあ。
今夜は心が空虚にならないように焼酎を抱いて眠るのです。

家族か・・・東京か・・・ということで無理矢理こじつけ・・・『トキオ』東野圭吾の書評とは、やはり関係薄すぎ!みたいな(笑)。
[PR]

by kotodomo | 2005-08-30 18:03 | メモる | Trackback | Comments(2)
2005年 08月 30日

TDLの少女

b0037682_9564380.jpg


↓そして40分後・・・TDLは長閑な公園なのだ。もう何回も来てるし♪
b0037682_9591679.jpg

[PR]

by kotodomo | 2005-08-30 10:00 | メモる | Trackback | Comments(0)
2005年 08月 29日

お台場の少女たち(東京湾景)

b0037682_7533781.jpg

b0037682_754373.jpg


嫁さんと二人の娘が2泊3日東京へ。
田舎者の家族は、フジテレビの人の流れに見学をあきらめ、冒険王なるイベントも意味がわからず、落ち着いた先は船の科学館。
そこの工作教室や遭難体験を楽しんだ、二人の娘。

しかし・・・この船の科学館・・・箱物展示物の最たるもの。
船が並べられ、解説がついてるだけのものが多すぎ。
夏休みの課題で何かないかなみたいできた子供たちにはいい参考になるけどさ。
文化祭の展示に大いに金をかけました以上のものではない。
こんなのだったら、太鼓の博物館でも、バケツの博物館でも興味度は一緒。

もっと、バーッとかヴォーッとか、体感できるような最新のものがないとねえ。

本日のパパ評者は、午前中は仕事。午後からTDLで合流。パレードまで見るんだって、ふう。
夕べは、彼女たちは幕張のホテルに宿泊。今夜はパパの部屋。
明日は、東京タワーです。毎年のように東京に来ている彼女たちなのですが、TDL&TDS以外の東京見物は初めて(^.^)

『東京湾景』吉田修一の書評・・・おお!表紙カバー絵はここだったのかあ!!!
[PR]

by kotodomo | 2005-08-29 08:04 | メモる | Trackback | Comments(2)
2005年 08月 28日

◎「命の終わりを決めるとき」 朔立木 光文社 1470円 2005/6


 「終の信託」と「よっくんは今」という二つの中編が収められた一冊であり、そのどちらの主人公の女性も、自らの意思で他人の命の終わりを決め、そのことにより罪を問われているという現状を中心に据えた問題提議小説として著されている。

 作者あとがきで、どちらの小説も実際にあった事件を枠組みにして、そこに作者のフィクションを組み込んだとあるように、評者も途中読みながら、「終の信託」に関しては、実際にあった事件を想起しながら読むこととなった。ただし「よっくんは今」のほうは、あとがきでそう書かれてあっても、特に思い起こすような事件は評者の記憶の断片には留まっていなかったようである。

 「終の信託」を読みながら思い出した事件というのは、やり手の女医が複数の患者に筋弛緩剤を施し、殺人の罪に問われた事件である。当時のニュースの女医の風貌などは記憶にあるが、何故にそういう罪を犯すことになったのか咀嚼しないまま、評者の中では風化してしまった事件でもある。本書を読んで感じたことは、あの事件、罪を犯した事件というより、罪が問われた事件だったのかもしれないということである。

 普通の医師は、喜んで複数の人を殺しはしない。ただし、信念のもとに行った行為が罪に問われることはある。末期の患者の苦しみを取り除くことを目的とした、医療行為の中止や、何らかの薬物を施すような、多少積極的な終焉へ向けての援助である。そのときに本人の同意の証拠がないと・・・。結局、本書に描かれている被害者も、余命3週間~6ヶ月の患者である。それに対して、医師が悪意的な殺意を抱くはずがない。そこに殺意はあっても、患者を思っての(以前から築かれてきたお互いの信頼関係を礎にした)行為である。しかし、法律は人を殺すことについて、罪を問う・・・というよりは、それを運用する法曹界の事例や基準が、その行為の正当性を問うこととなる。実際に起こった事件の背景は知らない評者なのだが・・・寝たきりの妻に頼まれて殺したなんていう老人による殺人事件なんかといい、答えは出せないのだが、深く考えさせられる題材である。最後にいきなりバシャンと扉が閉ざされ、唐突に物語が終ってしまう構成も、これも中々に余韻を創出する効果になっている。

 いっぽう「よっくんは今」のほうは、ちょっと文芸的な作風で、前者とはまた趣が違う。罪も違う。殺人事件なのだが、こちらは物語を普通に読んでも主人公に対する同情心は沸いてこない。カミュ『異邦人』の主人公が、“太陽がまぶしかったから人を殺した”みたいな、心情を構築する手法で、罪を犯した経緯に向かって、緩やかに物語は進行する。ただし、この中編で注目すべきは、取調べ警察官の人としての程度の低さや、看守の個人的な興味の描写にあるといっていいだろう。どうやら、この主人公、相当に魅力的な容貌らしい。その上、調書上は色んな男にさせてきたことになっているわけで・・・。

 前作◎『死亡推定時刻』を読んだときは、題材は面白いけど小説作法はイマイチみたいな感じを受けた評者だったのだが、今回読まされたのはまさしく小説である。前作のように、法曹界に身を置いた人物が描いたからこの程度みたいな脇の甘さは排除されており、これを書いたのは桐野夏生でございます、なんて、それに近いレベルまで到達している。この作家、過去の作品も含め、もうちょっと読んでみたい・・・というか、過去の作品が文章作法的には未熟でも、色々と考えさせられる小説っていうのは、それだけで興味深く感じてしまうので。(20050827)

※過去の作品は、『お眠り私の魂』と『深層』。前者は驚くべき裁判官の実態を描いた小説。後者は4つの題材で構成されていて、どれもが興味深い。列記しよう。
大学病院薬物過剰投与事件「針」-医療過誤はなぜ起こるのか。
大阪池田小児童殺傷事件「スターバート・マーテル」-「死刑になるために殺人を犯した」男の元妻の手紙。
女子中学生手錠轢死事件「鏡」-なぜ少女は毎夜家に帰ることができなかったのか。
有名作家の子息自死事件「ディアローグ」-作家が自ら公表した「作品」に書かなかったものは。(書評No557)

書評一覧
↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
[PR]

by kotodomo | 2005-08-28 05:47 | 書評 | Trackback | Comments(6)
2005年 08月 27日

◎◎「犬はどこだ」 米澤穂信 東京創元社 1680円 2005/7

2006年版聖月大賞受賞作品

 

 傑作である。だから早々と、2006年版聖月大賞(2005年版聖月大賞は◎◎『そのときは彼によろしく』市川拓司)を授与しよう。年末まで待てない。本書がこのミスの国内編1位をとっても評者は別段驚かないし、直木賞だとかその他の有名どころの賞を受賞したとしても、うんうん頷くだけである。万人に評価されるべき傑作だからしょうがない。ただ、もし読書を選ぶ部分があるとしたら、本書がライトミドル級の傑作であるというところだろう。

 ライトミドル級・・・小説をボクシングに喩えた話なのだが、ライトミドル級でもヘビー級でもモスキート級でも、チャンピオンはチャンピオン。ただ階級が違うだけであり、体重の軽重に関わらず、そこは天性の才能を持った者が君臨するに相応しい場所である。そしてこれは、評者の極々個人的な小説の感性的分類なのだが、小説にも重さの階級があるかと思う。例えば、スーパーヘビー級なら◎◎『アラビアの夜の種族』あたりに代表される古川日出男作品群あたりがそうだろう。◎◎『神無き月十番目の夜』に代表される飯嶋和一作品群などもそうだろう。読んでいるときに感じる作品の重量感なんて、そんじょそこらの単なる厚い本とは本質的に格差がある。相当なGを感じながらの読書タイムを覚悟してとりかからねばならない。最近読んだ傑作でいえば◎◎『サウスバウンド』奥田英朗なんかはミドル級かと思うし、同じ作者の◎◎『空中ブランコ』などは、ライト級の軽くリラックスした姿勢で読める小説かな。一人、どうも評者的にこの階級が合わない作家もいて、それは伊坂幸太郎。どこか浮力を感じる彼の小説は、ボクシングではなく舞空術ありの天下一武道会の方が相応しいのかもしれない。で、本書『犬はどこだ』は、ライトヘビー級の傑作であり、読む人によっては少し軽めの雰囲気に、さほどの傑作性を感じないかも知れないというのが、読者を選ぶ部分ありと上述した理由なのである。

 話の端緒はよくある話。銀行をやめた主人公が、故郷で犬捜し専門の調査事務所を開業したところから物語は始まる。『犬はどこだ』の題名は、そこらへんに由来するのであるが、実際に舞い込んできた依頼は、普通の探偵事務所にくるような人捜し、古文書の由来調査なんてもので、主人公の胸中としては“犬捜しの仕事はどこ?こんなの違う!”なんていう感じなのである。

 そして物語は二つの視点で進行していく。ひとつは勿論、主人公の視点、私という一人称。結構軽めな感じから始まるのだが、途中で描かれるシニカルな部分とか、主人公の言動、胸中からは、意外にも◎◎『私が殺した少女』に代表されるあのハードボイルド探偵沢崎が彷彿させられるから、このパート、結構シリアスに読ませてくれる。

 もうひとつの視点は、自分から探偵助手となった外見イマ風のハンペーの視点、俺という一人称。探偵はこうであらねばならないという理想(妄想?ドライマティーニ&コートなどなど)を抱き、軽き若き心を持ちながらも真相に迫ろうという姿勢は、どこか◎『ハードボイルド・エッグ』荻原浩に登場してくる主人公探偵を彷彿させ、結構コミカルに読ませてくれる。

 主人公は失踪した若き女性の調査、ハンペーは古文書の由来の調査、そんな別々の調査が交錯してくるとき、物語のテイストはライトミドルな感じから、後半その重量感を増していく変転が見事なミステリー仕立ても文句なし。

 2005年版このミス20位ランクインということで読んだ◎『さよなら妖精』のときには、中々に上手いけどくらいの評価しか与えることができなかった米澤穂信という作家。本書を読んで、この作家が持つ本質的な天性を知った評者。慌てず騒がず厳かに2006年版聖月大賞を捧げるのみである。そして・・・これを言わなきゃ始まらない。読むべし!読むべし!べし、べし、べし!!!(20050827)

※表紙カバーにcase-book1と書いてあるってことは、シリーズの2が予定されているってことなのかな(^.^)(書評No556)犬はどこだ
米澤 穂信 / 東京創元社
スコア選択: ★★★★★

書評一覧
↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
[PR]

by kotodomo | 2005-08-27 14:55 | 書評 | Trackback(19) | Comments(20)
2005年 08月 26日

読まずに図書館へ返却する本


『ウォータースライドをのぼれ』 ドン・ウィズロウ

評者の脳みその中の読書アンテナっていうのは、あまり内容を確認せずに、
おお読んでみようなどというファジイなところがる。
で、なんで読まずに返却かというと・・・
なんだ、ニール・ケアリーものじゃないか、これだったら未読の第一作『ストリート・キッズ』が
いつか読まれんとして、東京の部屋に置いてあるのだ。
買ったのは、もう4年前なのだけど、古書店で。
こっちが先だ。こっちを先に読まんといけんがな。

全然そんなこと知らずに借りて、扉を開けたとこの登場人物紹介で知ったという話さ。
だって、本の内容をなるべく事前に知りたくないので、文庫裏の内容要約も読まんタイプだし。
[PR]

by kotodomo | 2005-08-26 18:42 | メモる | Trackback | Comments(0)
2005年 08月 25日

◎◎「モーダルな事象」 奥泉光 文藝春秋 1900円 2005/7


 昨年末に出されたこのミスなどを、この時期に読むと面白い。特に人気作家による“私の隠し玉”なんか、今だから興味深い記事として読めて楽しいのだなあ。

 例えば、垣根涼介。『チョーカー』なる作品を出すと書いているのだが、未だにそんな作品は出ていない。しかし、その内容を見ると・・・▲『君たちに明日はない』のことだとわかる。『チョーカー』なる題名で上梓するつもりで書いていた本が、実際には『君たちに明日はない』という題名に変わった事実に気付かされるし、そのままの題名で出版されていたら、果たして注目度は?山本周五郎賞の受賞はあったのか?なんてことまで想像すると楽しいものである。想像じゃなくて、妄想かも知れんが。

 一方、本書の著者である奥泉光のほうはといえば、ちゃんと『モーダルな事象』を出版すると明言しており、題名もそのまま、本人が言っているように文藝春秋のミステリーマスターズから出版されているのでミステリーには違いない。しかしながら、やはり夏目漱石を崇拝する著者のことだけあって、文体はかなり高踏派。余裕と遊びが散見され、それでいて風格漂う文体は、町田康あたりに似ていないでもないかな。そうすると、町田康、奥泉光っていうのは、現代における高踏派、余裕派なのかな。ついでにいうと、著者はその“私の隠し玉”の記事の中で、モーダルは英語のmodalだと言っているのだが、評者はmodalなんて英単語は知らないわけで、早速辞典で調べてみたぞ。形式的、様式的という意味らしい。

 まあ、そんなことはいいとしても、高踏的に形式的な事象が綴られた本書を読み始めたら、前半部分、笑いのグフフ感が止まらなかった評者なのである。途中からは、そのグフフ感もあらかた消え去り、ストーリーの展開へと移行していくのだが、やはりたまにグフフ。こういう文章を読んでいると、評者も自身のモーダルな日常の事象を高踏的に語りたくなるのだなあ。

 まあ、評者の日常といっても、本当にありふれた単身生活の繰り返しなのだが、そういうモーダルなことの裏側には、実は色んな評者の馬鹿な妄想が埋もれているといっても過言ではない。

 例えば、評者は家で何をしているかというと、言わずもがな、読書をしている。で、気分転換にコーヒーでも淹れようかなって場面はちょくちょくあるわけで、そういうとき気分転換なわけだから、それ以前はしばらくの時間、本を読んでいたわけで、小用タイムとコーヒータイムは必然的にセットになる。普通の人だったら、やかんに水を入れ、コンロに火をつけて、トイレに入って用を足し、そしてコーヒーを淹れる次の行動に入るってのが、時間の節約の観点からして妥当な行動だと思うのだが、評者の場合は、まず用を足してからコンロに火をつけるのが常道である。何ゆえかと言えば、コンロに火をつけて、小用を開始して、あ!うんこもしたかった!なんて便器に座って、コンロの火のつけっぱなし的状態悪を排除するためである。43年も生きていれば、おしっこするべ、あ!うんこもしよう♪って経験は何回も過去にあったわけで、その教訓と火事の怖ろしさへの想像力があれば、自然とこうならざるを得ないのである。昔、江戸時代の頃、大火が何度となく起こったが、その原因の大半は、火を扱いながら小用に行ったつもりが大便まで排出するに至った愚人であったことは、皆も教科書で習ったことだろう。

 そいでもって、例えば単身赴任中の評者の今の悩みは運動不足によるポッチャリ傾向の体型である。スポーツをせねば、運動せねばと思いながら、中々できないでいるのである。よく友人たちともそういう話題をするのだが、ある日ある時ある友人がセックスもスポーツだとノタマッタのである。そりゃあ、奥様と二人暮らしまだ子供なしの友人だからそれでもいいのであって、評者なんか単身赴任中の身持ちの固い男なもんだから、じゃあいっちょうスポーツでもやりますか、なんて感じでセックスに至るなんてことはできないのである。大体においてセックスがスポーツかどうかにも疑問がある。そりゃあ、カロリーの消費はあるだろう。汗もかくだろう。でもそれがスポーツだっていうんなら、評者が家でエロエロハメハメ天国なるDVDでも観ながらパンツずり下げて及ぶ行為は、試合前練習みたいなものなのかい、と友人に問いたい。セックスが野球がスポーツなら、パンツをずり下げることはバッティング練習みたいなもんかい?とその友人に問いたい。女性でもスポーツであるところのセックスが出来ずに悶々とする人はいるわけで、じゃあ、何かい?あ~ん♪と漏らしながらする女性の一人エッチは、守備練習なのかい?と友人に問いたい。じゃあ、そういう練習だけに留まっている二人が試合できる場所の提供はどうしたら・・・などと、モーダルな事象の周りには、下卑た妄想が一杯なのである。

 本書の副題は「桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活」となっているが、これは反語法である。全然スタイリッシュじゃないし(笑)、アホな低俗人種なのである。評者のように、何気ない事象に悶々と意味や理屈を与え続ける御仁なのである。学者として名をあげんことを欲し、他人の振りが気になり、それでいて何の攻めも打てないような、そんなどこにでもいる短大の国文学の助教授なのである。

 その御仁のもとに、名声がついてくるような依頼が舞い込み、依頼した人物は首なし死体で発見され、依頼された所業は高く評価され、その次にきた依頼者も死体で発見され、サイン会なんかはしちゃって嬉しい♪みたいなそんな小説である。何?わからん?読んでみるべし。

 多分に、この文体、手法はゴシックでありながら、読む人の評価はわかれそうな気もするが(要するに、どこで聖月様笑ったの?つまんないじゃん、て思う方も多々いるだろうってこと)、評者の琴線には、奥泉光奏でる文学の宇宙音楽なるものが大いに共鳴したのだから仕方ない。ああ、面白かった(^.^)(20050824)

※奥泉光、過去の作品ももっと読みたくなったのだあ(^O^)/(書評No555)

書評一覧
↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
[PR]

by kotodomo | 2005-08-25 01:13 | 書評 | Trackback(8) | Comments(2)
2005年 08月 24日

家族と一緒に東京デート 決定(^O^)/

次の日曜28日のお昼に嫁さんと娘二人が東京へ。
その日はフリー。どこに行きまっしょ?
夜は幕張のホテルに宿泊。

翌日月曜は、彼女たちは朝からTDL。
パパ評者は午前中仕事があるので、午後から勝手に休んでTDLで合流。
一緒に帰ってきて、洗濯物が荒川区の評者の住まいに泊まるのである。

翌日は夕方の便。
評者はまたまた勝手に休んで一緒にデート。
どこ行きまっしょ?

色んな人に訊いてみても、中々デート先が決まらない。
少し浮上してきた案が、テレビ局。
おお!日テレなんかいいじゃん、コナンとか観てるし、と思ったら、
28日は24時間テレビ中なのだな。
どこ行きまっしょ?

TDLは今年で多分連続6年くらいの訪問の嫁さんと二人の娘。
我が家の唯一の贅沢。
昔は鹿児島の自宅で、いってらっしゃいで一人留守番のパパ評者だったのだが、
昨年から東京で迎えるの図。

去年きたときのお話は、◎「好き好き大好き超愛してる。」 舞城王太郎の中に少し書いたのだよ。
[PR]

by kotodomo | 2005-08-24 07:41 | メモる | Trackback | Comments(6)
2005年 08月 21日

ブログ村応援団企画2 アンケート(^O^)/はいいんだけど・・・

『ブログ村 本ブログ』にアンケートという項目ができたので、利用してみたのだけど・・・

なぜか作った本人が、そのアンケートの全容が見れない・・・
答えたら、もう見れないってこと?・・・

まあ、いいや。
皆さん見れます?・・・答えてね♪

それにつき、今度文章まとめます(^.^)

質問は
「今、新刊本の供給が新刊書店、古書店、図書館とも止まってしまったら、あなたはあなたの積読本で今の読書スタイル維持できますか?
今のとこ読む気のない百科事典なんか参入しちゃいやよ(^.^)
簡単な考え方は(積読本数)÷(現在の消化ペース)かと・・・
私の場合、400冊÷140冊=3年もたないくらいです」
にほんブログ村 本ブログへ
[PR]

by kotodomo | 2005-08-21 21:25 | メモる | Trackback(1) | Comments(2)
2005年 08月 21日

小川洋子のことども


  ▲ 『密やかな結晶』
  〇 『沈黙博物館』
  〇 『薬指の標本』
◎◎ 『博士の愛した数式』
  ▲ 『ブラフマンの埋葬』
  〇 『猫を抱いて象と泳ぐ』

書評一覧
↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
[PR]

by kotodomo | 2005-08-21 20:29 | メモる | Trackback(9) | Comments(4)