「本のことども」by聖月

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2005年 09月 30日

△「LOVE」 古川日出男 祥伝社 1680円 2005/9


 単行本内巻末の紹介に“前作◎◎『ベルカ、吠えないのか?』に対する猫的アンサー”と書かれているが、その前に◎『アビシニアン』という猫的小説には手をつけているわけで、そういう意味で前作に対するアンサーでもあり、『アビシニアン』に対する派生形としても受け止められる。いや、本書『LOVE』を読んでいると、どちらの作品のことも考えてしまうような小説作法を内包しているので。

 『アビシニアン』との共通性は、猫がモチーフというだけに留まらず、滑り出しのシュールで不可思議な描写が酷似している。そして、多場面切替で物語が語られる部分を読み続けていくと、最後には△『アフターダーク』村上春樹作品との同位性に行き着いてしまう気がするのは評者だけだろうか。

 そして、前作『ベルカ、吠えないのか?』との共通性は、動物が主人公という点ではない!前作では確かに犬どもが主人公であったのだが、本書では猫はモチーフではあるが、あくまで主人公は人間どもなのである。それじゃあ共通性は何かというと、客観的な語り手の視点にある。登場人物たちとは別の語り手の視点で物語は進められ、俯瞰的もしくは宇宙的視点から場面が切替っていくのである。そして、そういう小説作法の物語を読み進めていくと、最後には△『アフターダーク』村上春樹作品との同位性に行き着いてしまう気がするのは評者だけだろうか。

 評者は、村上春樹も古川日出男も大好きな作家である。そして『アフターダーク』も本書も優れた文芸手法から生み出された、文筆家としての芸術性の高みを内包する作品だとも感じる。感じるのだけど、わからないのである。客観的で俯瞰点な視点から物語を展開するその小説作法に拠るところがわからないのである。もっと複雑な言い方をすれば、わかっているのだけどわからないのである。手法も描写も展開も、その裏にある形而上やカオスも理解しているのだが、それを行使した必要性とか必然性というものがわからないのである。

 評者は文芸作品を読む場合、“作者は何を言いたかったのか”とか“小説の隅々を理解したか”ということは肝要ではなく、“何か感じる”ことができれば、それが小説を楽しむことだと思っている。しかしながら、『アフターダーク』にしろ、本書『LOVE』にしろ、評者の持つ琴線とかツボとかいうものに沁みてくるものがなく、逆に感じるものは疑問という観念形態なのである。

 どちらの作品も、評価はわかれる文芸作品。感じるものがあった人は、わからなくても面白いと言うだろうし、評者のようなタイプの場合は・・・あえて、わかったけど、わからなかったと言わせていただきたい。

 ついでに言えば、評者的にわからなかったけど面白かった作品には◎『13』なんて作品がある。

 しかし・・・この作者の隠れた傑作◎◎『中国行きのスロウ・ボート RMX』を、世の人々が語らないのはなぜなのだろう。ベルカがラブが面白いとか面白くないとかいう前に、これ読みなさいよと言いたい評者なのだが。(20050930)

※で、LOVEってなんなのさ。少なくともモチーフとしてのLOVEは存在しない。在るのは象徴としての“愛がサルは考える”(p256)の件の部分かな。(書評No574)

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by kotodomo | 2005-09-30 21:46 | 書評 | Trackback(3) | Comments(2)
2005年 09月 30日

週末は図書館へ&読書ダイエット初日


昨日から、読書ダイエット始めました。
何日続くか疑問ですので、とりあえず初日報告のみ。
酒飲みの私の鬼門は、酒は読書の妨げ&カロリー過多摂取の根源。
というわけで、晩酌せずに読書するという目標だとこれまで何度も守られなかったことから、
「仕事から帰ったら200ページ読書するというダイエット目標」に変更。
いや、一緒のことなのですが、目的が崇高になったかと(^^ゞ

お蔭様で、初日は(^^)v
晩飯は久々の納豆ご飯でした。

さて、週末は図書館へ。

『さくら』 西加奈子
『獣たちの庭園』 ジェフリー・ディーヴァー
『イデアの洞窟』 ホセ・カルロス・ソモサ
『奇術師』  クリストファー・プリースト
『荊の城』 上下 サラ・ウォーターズ
『9.11生死を分けた102分-崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言-』  ジム・ドワイヤー

聖月様には珍しい、誰もが知っている事件のドキュメント本が実は楽しみ。
図書館抄訳は・・・
「最初の飛行機が激突してから2棟目のビルが倒壊するまでの102分間を、証言・通話記録などをもとに描いた感動のドキュメント。今明かされる混乱と助け合い、悲劇と幸運、そして生と死の分かれ道。」
『讀賣新聞』のこの書評が気になっての予約。
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by kotodomo | 2005-09-30 08:13 | メモる | Trackback | Comments(0)
2005年 09月 29日

◎◎「退廃姉妹」 島田雅彦 文藝春秋 1450円 2005/8


 評者には11歳と8歳の娘が二人いるのだが、この二人仲良しである。3つも歳が離れているのに、一緒に遊べるところが色々不思議で、下の娘はお姉ちゃんに憧れているけど敵わないと考えてたてているし、上の娘は時々邪魔っけに感じることもあるようだけど妹のことをお気に入りのぬいぐるみのように気にかけている。

 不思議なのは、下の娘が上の娘を“お姉ちゃん”と呼ぶことである。いや、普通なんだけど、評者も嫁さんも、二人の娘に自分の呼称や、家族への呼称を指導したことないのに、いつの間にか自分のことをチャン付けせずに“あたし”と言うようになり、下の娘もいつのまにか“お姉ちゃん”と上の娘を呼ぶようになってしまったのが、なんとなく不思議な感じがするのである。ビデオとかの普及のせいだろうか。例えば「となりのトトロ」とか。あの姉妹も大人からはチャン付け呼称なんだけど、メイちゃんは確かさつきちゃんのことを“お姉ちゃん”と呼んでいたはず。ついでにいうと、あの映画の中で、母親が娘の髪を“してあげる”シーンがあるが、あの風景は我が家でもそのまま。毎朝登校前とか、お風呂からあがったときとか、順番に髪を“してもらって”いる。評者の好きな実生活のシーンである。

 で、そんな嫁さんが倒れたり、いなくなってしまったら、そういうことを考えたとき、評者はこの後の人生がどうなるのか予測もつかないし予想もできないのである。先日も、評者の二つ年上にあたる先輩ご夫婦の奥様が脳内出血で倒れ、未だに意識が戻らない状態だという。そういう話を身近に聞くと、縁起でもないことを考えないわけにはいかないわけであり、そして予測も予想も嫌になって考察を中断する評者なのである。二人の娘はどうやって育っていくのかなあ。本書『退廃姉妹』のように、寄り添いながら生き抜いてほしいものである。頼りにならない父親かもしれないけどさ。

 時は終戦間近から終戦後の混乱期の話。母親は既に亡くなり、なんとか自分たちの家も戦禍を免れた二人の姉妹だったのだが、頼りの父親の不在に女学校も辞めざるを得なくなってしまう。残された借金と、生き抜こうとする若さ。姉と妹と少し対照的な哲学を持った二人の、どこか暢気でどこかホロニガビターな物語である。

 初の島田雅彦であったが、久々に小説というものを読んだような気がする読後感。物語が小説という体裁をとるとき、もしくは小説が物語を伝えるときに、なんのケレンもなくただ物語性だけは大切に構築されていったらこういう感じになるのかもしれない。例えば山本有三の『路傍の石』などを考えたときに、読者とかヒット馬鹿売れなんて邪気は不在で、ただ小説家として物語ったものを提示しただけ、そういう文芸なのである。本書もどちらかというと大衆小説ではあるのだが、そういう意味では文芸であろう・・・作者が作りたい作品を作ってみました、自分の文の芸の結果がこれですみたいな。あとは、その芸術の評価は見る人それぞれに価値があったり、無価値であったり。

 とにかく評者は素直に気に入った作品である。筋のいい読書家と言われたい方は、こういう本をたくさん読みなさい。(20050929)

※表紙はレトロ、物語の雰囲気は・・・トトロ???(書評No573)

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by kotodomo | 2005-09-29 23:03 | 書評 | Trackback(4) | Comments(8)
2005年 09月 29日

村上春樹が図書館へきたど


『東京奇譚集』  村上春樹

待ち順17。
でも、まだ5冊しか入れてないようだし、多分きっとまた増やすだろうし、
そんなに待たなくてすむような。

まあ、そういう待っている間に何読むかがまた楽しいし(^.^)
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by kotodomo | 2005-09-29 07:44 | メモる | Trackback | Comments(0)
2005年 09月 28日

カテゴリーに「ノンフィクションのことども」作ろうと思ったら


「作家のことども」のところに、「このミス大賞のことども」とかも作っているので、「ノンフィクションのことども」も作ろうと思ったのだけど・・・・

作っている途中で何がノンフィクションかわからんごとなって、やめてもうた。
『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』・・・ノンフィクション?ビジネス本?とか
『笑うカイチュウ』・・・ノンフィクション?エッセイ?って感じで。
『国家の罠』・・・自伝小説???

ダメじゃん、自分。
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by kotodomo | 2005-09-28 07:42 | メモる | Trackback | Comments(6)
2005年 09月 27日

クールビズの顛末のことども(鶏と卵、どっちが先?)

とりあえず、評者がクールビズを取り入れた理由のひとつは首の周りが苦しくなったから。

明日は銀行の人間と会うのでネクタイしようと思うのだけど・・・
シャツの首が締まらん・・・困った・・・ことども。

もう、もう、もう、じぇ~ったいダイエットするべ。
秘策・・・読書ダイエット(^O^)/
帰ってから200ページ以上読む!これだけを守ればサケも飲まずにダイエット!!!

しかし・・・明日は確か仕事で銀行の方と飲み・・・
明後日から実行(^O^)/

ネクタイ締めなくなったから太ったのに気付かなかったのか?
読書ばかりしていて動かなかったから太ったの?自分?

※参考クールビズを始めたときの記事なのだ
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by kotodomo | 2005-09-27 21:23 | メモる | Trackback | Comments(2)
2005年 09月 26日

聖月様、江戸を去るのことども


単身赴任で江戸に上がったときから織り込み済みだったのでござるが・・・
多分、来年3月に今の洗濯物が荒川区の住まいはひきはらい、駿河の国へ。
江戸は二年弱の滞在でござったが、駿河の国は三年くらいの滞在予定。
その後は薩摩の国に・・・(^^)v

まあ予定は予定なのですが・・・
ということで、図書館の本の嵐が去り、積読本の消化と思っていたのですが、
駿河の国の図書館事情がイマイチ。
だから今のうちと思い、ブームの去った面白そうな予約ゼロ本を図書館へ予約・・・
『イデアの洞窟』 ホセ・カルロス・ソモサ
『奇術師』 クリストファー・プリースト
『荊の城』上下 サラ・ウォーターズ

こんなに面白そうな本が、翻訳物だともう待ち数ゼロなのだ(^.^)

あと『文学刑事サーズデイ・ネクスト』とか読みたい海外物を予約して読むべ。

ところで聖月様と飲んでおきたいという江戸付近の方はいつでも連絡くれたし。
明日から聖月様送別会の解禁じゃあ・・・って、まだ6ヶ月あるじゃないの(^^ゞ


※あ、そうだそうだ。嫁さんに言ったら、ディズニーランドから遠くなるのねと言われた。嫁さんと娘たちにとっては上総あたりがよかったんだろうけどのことども。
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by kotodomo | 2005-09-26 20:56 | メモる | Trackback | Comments(12)
2005年 09月 25日

◎「さよならバースディ」 荻原浩 集英社 1680円 2005/7


 評者は結婚と同時に、嫁さんの実家の隣に住み、今も住んでるし(自分は東京単身赴任中だが)、これからも住む(いずれ帰る)。で、娘たちが生まれたときも、それ以外の観点から見ても、ずっと隣に義母が住んでいるわけで、嫁さんと娘たちが不在の時間(人形劇鑑賞とか、福岡のいとこの家までお泊りとか)も大抵隣の家で義母が家事なんかしているわけで、ご飯の面倒はいいですと断っても洗い物しに来てくれるわけで、逆にいうと毎日実家の義母は我が家に来るわけで、毎日嫁さんは実家に帰っているわけで・・・何を言いたかったんだっけ・・・女を連れ込む暇もない?・・・ちゃうちゃう違う、お蔭様で薩摩男児な評者は、娘たちの成長の過程でお風呂にいれたこともないし、おしめも換えたことがないのである。

 普通だったら、自分が風呂にいれなくても、一緒に入っていた嫁さんが“パパ~”なんて呼んで“はいは~い”なんていって旦那が風呂上りの赤ちゃんの世話をしたりしちゃったりするのだが、あらかじめ呼んでおいた義母がその辺のことしてくれるわけで、薩摩隼人たる自分は、茶の間で晩酌したりしながら“おお、風呂上りのホカホカ感漂う娘も可愛いのう”なんて眺めていればいいわけである。

 でも、いくらなんでも父親なので、一緒に遊ぶこともあって、特にまだ小さいときなんか娘の頭の中を覗き込みながらゲームしたことなんかもあったわけで、頭の中を覗くとは、つまり例えば赤ちゃんたる娘と10ピースくらいしかないパズル(はめ絵)を一緒にすると、パパの真似をしてピースを置こうとするのだが、まだ上下とか左右の認識、形の認識が朧気なわけで上手くいかなくて、それがだんだんと出来てきたりすると、そこらへんの頭の構造が覗けて認識できるわけで、それまで“こいつボケ?”と思っていたのが“天才かもしれん!”と感ずるわけで、今度知育玩具買ったろかいと思うのだけど、知育玩具屋覗くとアホな玩具しかなかったりして、普通のおもちゃ屋に行って、結局“ミッキーのあいうえお”みたいなビニールパネルを押すと言葉を発するような玩具を買ってみるわけで、そんなのなくとも普通言葉を喋るようになるのだが、ただこの手のおもちゃを幼児期に買わなかった家庭はゴビ砂漠で共産党員を捜すより難しいだろう。

 実はそういう幼児期の発育状況に驚いたことがある評者なのである。なんかの拍子で嫁さんも義母もいない30分間お預かりというシチュエーションになって、当時下の娘はまだ生まれてなくて、上の娘と二人っきり留守番。上の娘の状況は、歩けるけど喋れない、けど発声(ナンゴって言うんだっけ)で、ある程度の意思表示はできるって感じだったかな。しばらくすると“パパ、チッチ”という言うわけで、“え、チッチしたの?”と訊くとウンウン頷く娘なわけで“じゃあ、紙おむつ換えなきゃね。そのくらいパパもできるぞ・・・さて、紙オムツどこにしまってあるのかなあ、そこが大問題・・・”というと、自分で押入れを開けようとする幼い娘がいるわけで、開けてみるとそこにオムツが買い置きしてあって、“天才かも!”とは思わなかったけど、娘の内部の成長を全然把握していなかったことに気付かされた評者のことであったことども。

 本書の題名にあるバースディというのはボノボ、いわゆるお猿さんなのだが、動物の場合、その個体内部の人間になぞらえた知識吸収っていうのは、本物かどうなのか難しい部分が多いようだ。“うちの娘、こんなに小さいのにもう右と左の区別がわかるのよ♪”なんて親馬鹿認識で断定したとしても、いずれそれは成長とともに認識されるものであることは間違いないのだけど、“うちのアイフル(犬のチワワ)、男の人と女の人の区別しっかりしてて、男の人見ると吠えるのよ♪”なんて言って、表面上それが事実のように見えるが、見ると吠えるという認識は間違いかもしれないわけで、単に成人男性のチンポの臭いが嫌いなだけかもしれないし、男女って言ったときの男女が果たして何歳から何歳くらいまで区別できるのか、男が女装、女が男装したらどういう反応を示すのか、そういう実験を繰り返して初めてその認識がどこから来るものかわかるわけで、チンポのついた綺麗なオカマに騙される人間様よりは偉いのかもしれん、というような下世話なことは本書には例示されていないが、まあそこらへんの話が中心なわけで、類人猿の言語学習能力を研究する主人公とバースディ(お猿さん)の物語である。

 実は、前作〇『明日の記憶』がいまひとつだった評者。確かに身につまされる題材で興味を持って読んだのだけど、予想される展開だけが上手く描写されていただけで、意外性とかの欠如に、少し退屈した読書だったのである。本書の話をどこかで見聞きしたときも、また背骨一本の話で、例えば言語を解する猿とその前に立ちはだかる困難&別れみたいな一本調子な物語を読まされるのかなあと少し危惧していたのである。またノンフィクションみたいのかな、なんてね・・・あ、そういうジャンルの内容だったのね。まるで真保裕一の小役人シリーズみたいな。

 何を期待して読むかで評価が変わってくる作品である。前作『明日の記憶』みたいなのを期待した人にはイマイチだったんじゃないかな。『明日の記憶』みたいのだったら嫌だなあと思っていた評者には中々面白かったぞ、色んな作りこみが。(20050925)

※全体シリアスな文体ながら、バースディがサッカーワールドカップのビデオが好きで、中でもドイツチームのキーパーにシンパシーを感じているなんてところが、いとおかし。(書評No572)

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by kotodomo | 2005-09-25 18:19 | 書評 | Trackback(4) | Comments(0)
2005年 09月 25日

向こうの世界のTBのことども

評者は、ネットの中の住人ではあるが、まずもって自分の住む町から、他の世界へ足を伸ばすことはない。

自分の住む町とは、本や読書に関連する、そんなカテゴリー世界。
ただ、この町にも、自分が少し知っている住人たち以外のくくりのゾーンも向こう側にあるような気がするが・・・。

他の世界とは、
ファッション
美容
インテリア


ペット
旅行
写真
小説ポエム
趣味

バイク
サッカー
野球
格闘技
釣り
アウトドア
ゴルフ
スポーツ
競馬
パチンコ
映画
テレビ
芸能
お笑い
音楽
ゲーム
漫画アニメ
料理

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政治

経済
経営
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資格
健康
ダイエット
恋愛
子育て
小遣い
生活

教育
就職バイト
科学
美術
歴史
哲学
ざっとこんなとこか。(ブログ村のカテゴリーを参照)

で、疑問に思っているのは、そういう世界に住む人々はどんな感じでTBをしているのかということ。
こちらの世界だと“読んだ本の題名が一致”という共通項でTBを飛ばすという暗黙の了解があるのだが・・・
パチンコだと機種情報ということで、機種名でTBもいいのかもな。
でも・・・恋愛だとか、小遣い(なにこれ?)だとか、身近な趣味としての写真だとかの町では、どんな感じでTB飛ばすんでっしゃろ?

覗けばいいんだろうけど、興味がなく、今朝も5時には起床し、新聞を読み、コーヒーを淹れ、ただ流れ出した疑問を綴るのみの日曜の朝は、今から図書館にも行くが台風だなあなんて雨音を聴きながら、それでも開館の9時半には到着してんだろうなあ、なんてダラダラと徒然なのである。
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by kotodomo | 2005-09-25 06:33 | メモる | Trackback | Comments(2)
2005年 09月 24日

×「探偵ガリレオ」 東野圭吾 文春文庫 540円 2002/2


 例えば、評者はテレビという機械にもう何年も親しんできているのだけど、結局画面になぜ画像が映るのか、そういう仕組みはまったくわかっていない。放送局が電波を飛ばして、それを受信して映像と音声に変換するわけなんだけど、どういう仕組みで空気中の電波が番組として目の前に出現するのか、技術的なことは全然わかっていない。ビデオも然り。あのブヨブヨした磁気テープで再生されるということが理屈ではわかるのだが、技術的にはわかっていないのである。だから、トリックに技術を持ち出されても、ああそうですか、そうだったんですか、そう言うしかないのである。

 例えば、何故彼らは離れた場所で、犯人たちのアジトでの会話を知りえたのかなんていう謎があった場合、普通でいう盗聴とか、犯人の中にスパイが混じっていたとか、初歩的なトリックの解明というレベルではなく、いやFBIは離れた場所から照準を合わせ盗聴するハイテク機械を持っていたからですと言われても、ああそうですか、そうだったんですかとしか、言いようがないのと同じなのである。

 本書は、天才物理学者湯川と警視庁の草薙が事件解明に挑む連作短編集なのだが、常識的には不思議な謎が、科学的には不思議でもないよという落ちのパターンで、そこに出てくる人々がステレオタイプの人間ときたひにゃあ、まったくもって評者のような読み手には面白くもなんともないのである。

 まだ『バケツのできるまで』とかいう題名で、謎なんかそこにはなくとも、そのために男の意地をかけた人間模様とか、バケツがなければ世の中こんなに不便になるみたいなシュミレーション物語で想像力をかきたてるような、そんな物語のほうが評者は好みなのである。以上。(20050924)

※それでも同じシリーズの『予知夢』読むんだけどさ、ははは。(書評No571)

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by kotodomo | 2005-09-24 11:45 | 書評 | Trackback(6) | Comments(6)