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2006年 05月 30日

衝動買い


少し大きめのスーパーへ、
そこの本屋で2冊衝動買い。

この4年間くらい、あまり本を買うことなく、図書館で調達が多かったのだが・・・
忙しいあまりの衝動買いの癖がついちまった。

積読本をどんどん消化しようというのが最近のポリシーだったのだけど、
本屋に行くと・・・やはり買いたくなる本はあるのだなあ(^.^)

好きだしなあ・・・町田康と伊坂幸太郎
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by kotodomo | 2006-05-30 07:35 | メモる | Trackback | Comments(6)
2006年 05月 29日

お待たせしました(^O^)/


待ってないってか?

いや、色んなことが落ち着いて、今日から読む書く宣言(^O^)/

いやあ、この何ヶ月か本当に読めていなかったけど、今日から読むのだ。
唯一残った読書の敵、飲酒、これだけをなんとかすれば、なんとかなるだろう。
なんるのか?ならす!飲まん!・・・でも、たまにはいいかな(^^ゞ

新刊の入手方法も決まったし、
図書館の利用もなんとかなりそうだし、
そうそう、最近全然収集していなかった、新刊情報も目途が立ったし・・・

読むぞ!
飲まないぞ!・・・あんまり。
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by kotodomo | 2006-05-29 07:15 | メモる | Trackback | Comments(2)
2006年 05月 26日

実は・・・今日まで同棲していました・・・のことども


駿河の國に、新しい仕事のために辿り着いたのが今年の如月朔日市。

はや、4ヶ月。実は・・・4月の中旬から同棲していた聖月っちのことども。

お相手は28歳のお肌ツルツルの・・・男である。

で、本日やっとというか、明日から彼は新居の生活に移るわけで、
そういうわけで、本日は同棲最終記念日♪

ということは、明日から好きなときに本が読めたり、本を読めたり、
本が読まれたり、パンツが脱げたりするわけで、
なんかこの自由感、少し嬉しいような・・・

で、明日、共通の知人が駿河入り。
我が家に宿泊していいですか?なんて言うし、
3人で飲もうと思っていたら、その同棲相手のお肌ツルツル野郎が、
“一緒に飲めないかもしれません。というのも、新居の準備で電気をつけたり・・・”

じゃあ、明日は3人で一緒にここに泊まれば、と言ったのことども。
ということで、一人暮らしは、今日が最後じゃないのだなあ。

ところで、そういう事情で2月からさっぱり読書的生活を送っていないことを数字で確認しただす。

昨年の5月26日時点の読了冊数は、67冊。今年は・・・38冊(ToT)
5月の読了数は昨年が11冊。今年は・・・まだ4冊・・・はあ、っと溜息。
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by kotodomo | 2006-05-26 23:28 | メモる | Trackback | Comments(2)
2006年 05月 25日

本を買ったのことども


実は遅ればせながら私報告しますと、忙しいのですが、
という忙しいのですがという部分はほんの言い訳で、
だけど忙しいわけで、そういう中で買った本がまだ溜まっているのですが、
って、ここで遅ればせながらの話なのですが、
先日の日曜日にまたしても本を新刊で買ってしまったわけで、
遅ればせながらというのは今日がもう木曜だからで、
こんなダラダラした話は得意だけどもういいわけで・・・

久坂部洋『無痛』買ったです。
◎『廃用身』を超えられるのか、
はたまた○『破裂』くらなのか、楽しみだす・・・って、いちいち最近なまってんじゃねえよ、自分。
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by kotodomo | 2006-05-25 22:17 | メモる | Trackback | Comments(0)
2006年 05月 23日

のさん


昨日の明け方から、今日のお昼まで高熱で寝込む。

のさんかったあぁぁぁぁ!


勿論(かどうか、聖月っちのことをよく知らない人にはわからん話だが)、鹿児島弁である。
この言葉にかわる標準語がないような気がして、ちと考察。

どういうときにこの言葉を使うかというと、
例えば、土曜日、12時に会社が終了だとして、
“今週の土曜は監査が入るので、関係部署は残ってほしい”なんて通達があると、
関係部署の鹿児島の人間は、“のさんなあ”と思う。
そして同僚に“のさんねえ”と声をかけるわけである。

じゃあ、そういう言葉を鹿児島の人間の多くが使うかというと、
若い人の間では“だりやいねえ”と“だりねえ”とか“だりど!”という言葉に変わるわけで、
これ自体は“だり”=サルバドール・ダリ・・・じゃなかった、
“だり”=“疲れる”なのでわかりやすいが、
じゃあ、“のさん”=“だり”かというと、ちょっと違う気もするわけで、
病に伏して、ふうふう言って、“疲れました”というのと、
“のさんかった”というのは、やはりなんか違うのである。

で、最終的に“のさん”がどういう意味で使われるべきか、解答を得ていない自分なのだけど、
標準語的にわかりやすく例を喩えるなら、
35歳、結婚10年目のサラリーマン氏が、疲れて家に帰って、風呂、飯終って、
さあ、寝ようと思ったとき、ぶくぶく太ってしまった嫁さんが“ねえ♪”と迫ってきたとき、
東京の人が作ったドラマだと
“俺は疲れているんだ!”と言って、布団をかぶって寝てしまうが、
鹿児島の人が作ったドラマだと
渋々と従ってしまい、上になり下になりながらも、心の中で、
“のさんなあぁぁぁ”と呟く悲哀ドラマになってしまうのことども。

何を言いたかったのかなあ、自分(笑)
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by kotodomo | 2006-05-23 22:07 | メモる | Trackback | Comments(6)
2006年 05月 21日

◎「プラスティック・ソウル」 阿部和重 講談社 1680円 2006/3


 著者阿部和重の読むべし長編『シンセミア』の題名の持つ意味は、確か極上のドラッグの名前だったと思うのだが、結局、物語中でその意味に触れることなく破壊的な結末を迎え、読者はその余韻と衝撃に揺さぶられたまま、その題名の持つ意味が何だったのか、そんなことを調べることも忘れ、ただただ『シンセミア』はいいよと他人に薦めるときに、“シンセミア”の持つ意味が阿部和重の小説『シンセミア』という固有名詞に変じてしまったままであることも覚えず、その言葉を使ってしまうわけである。

 本書『プラスティック・ソウル』も同様で、何をして“プラスティック・ソウル”と言っているのか文中では触れられぬままで、ただ単にプラスティックのような模造な魂を指しているのか、変形しやすいというか加工者の意図に容易く変じやすいヘタレな精神を持つ者を指しているのかわからぬまま、駿府の久方の青空の下、洗濯物を干し終わった評者は聖月っちは聖月法師様は、ワード原稿に向かってキーボードを叩いているのだと、私は語っている、という表現は、架空の人物である評者や聖月っちや聖月法師様に、私という書き手が自己投影(=『インディヴィジュアル・プロジェクション』)しているからに他ならない。

 そうそう、本書を読んでいる間、自己投影されている評者という人物は、アルコールを飲む行為というものについて、考えていたのだよ。本書の中には、『シンセミア』と同様に、薬物なるものが登場する。その描写を読みながら、ドラッグパーティーみたいに、なんで集まってキメる必要があるのかとか、元々クスリなんかやる人の気がしれんなどと思ってはみたものの、なら晩酌はどうね?と思い至ったとき、これも愚行の極みと悟った評者なのである。まあ、元々、煙草やアルコールは、人という精神的に弱い生き物が、麻薬などの薬物に頼らないために野放しにしている、適法な常習性、依存性のある薬物であって、ちょっと視点を宇宙人の視点という高みに持っていき、地球という星を覗いたならば、都度都度地球人たちが集まって、何か飲んで、高笑いしたり、泣き出したり、好きでもない異性と勢いで交わったり、人を刺したり、車に乗って壁面に衝突したり、道に寝てみて凍死したり、そんな愚行を犯すものを何故に摂取もしくは摂酒するのか不思議に映るわけで、そういう宇宙人の視点から自分自身のアルコール摂取という行動を見たとき、やはりやっぱり愚行なのである。晩酌と称して飲む芋焼酎がそんなに美味いのかというと、美味いというよりアルコールとしてはこれが一番合うというような感じで、美味い旨いこりゃあウマイと唸るほどのもでもなく、なのに飲みすぎて、寝ていて苦しくて、ひどいときには記憶を無くし、翌朝点滴をうってほしいほど不快な気持ちになったとしても、また夕刻にはムクムクと飲もうかなという気持ちになってしまうようなテイタラクでは、出世も覚束ないし、どうにもこうにも、こは依存症であって、愚行と決め付けざるを得ないのに、また今夜は飲むでしょうと予言できるのは、ナンザンショ?

 そろそろ、本書のお話を。実は本書の中身は、1998年から2000年まで雑誌に連載されたもので、今になって日の目を見たわけで、著者としても出版を見送っていたらしいのだが、読んでみると、これぞまさしく阿部和重な作品で、やはり文学で、やはり深みと形而上性のバランスも見事で、とにかく阿部和重はいいのである・・・芥川賞受賞作以外は(笑)。

 阿部ちゃんの作品は、けっこうどれもこれも馬鹿なやつらが出てくるが、本書の主人公も馬鹿で愚かで、じゃあどういう風に?と問われても明確な答えも提示できない評者なのだが、行き当たりバッタリで結局何も出来ないくらい愚かくらいの返答しか出来ないのである。物書きの端くれくらいに思っている主人公と彼女の暮らしぶりから始まり、やはり物書きの端くれくらいに思っている仲間が集められ、その名が主人公を先頭に、アシダイチロウ、イダフミコ、ウエダミツオ、エツダシンと並べられて、何じゃアイウエオじゃんと気付いた評者も、それ以上の企みに気付かなかったのだが、結局は、巻末の福永信の解説にウ~ムと唸るほどの技巧の存在に気付かされたのである。勿論、僕と私が混在するような自己投影表現や、捻れ、ずれが構築する形而上的寓話性は読めばすぐわかる世界なのだが、もっとロジックな企みがこの小説世界には存在するわけで、この福永信という聞いたことも見たこともない人物の解説にいちいち頷く評者は、阿部和重畏るべし!!!と思うだけで、とにかくこの解説とセットでこの小説は凄いみたいな、なんかわけのわからない言葉で文末を濁し、やはり今夜は飲むのかな?と思うのみなのである。(20060521)

※やはり、阿部和重は、全作品を読んで語られるべき作家で、芥川賞受賞作のみをもって語れる作家ではないのである。(書評No650)

書評一覧
↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
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by kotodomo | 2006-05-21 14:13 | 書評 | Trackback(3) | Comments(6)
2006年 05月 20日

嫁さんからのメール


お墓参りから帰ってきました。

上の娘が日能研から夏期講習の申し込みを持ってきました。
22万円\(◎o◎)/!

お盆前の夏期講座は大変だから受けないほうがいいのでは?って言ったけど、
「お金は自分の貯金で出すから受けさせて!!」って^_^;

お金のことではなく、時間的なことなのだけど^_^;

下の娘が
「自分の貯金出して勉強したいなんて宇宙人みたい」って。
夏休みは13日~17日までの5日だけ!!

・・・以上のメールがきたのです。
はい、勿論、お金は親が出しまする・・・出さねば。
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by kotodomo | 2006-05-20 11:11 | メモる | Trackback(1) | Comments(0)
2006年 05月 18日

娘からのメール


今朝、小学校6年生の娘からメールが。
“パパ、発売日にハリーポッター送ってくれてありがとう(^.^)
今、読んでいるけど面白いよ♪”

パパ評者がamazonに発注して、届いたものである。

実はこの娘、塾やピアノや算盤に忙しいが、
読書家である。

なんでも、学校では、図書の貸出数が子供たちのひとつの競争になっているようなのだが、
下の3年生の娘も含め、我が家の娘たちは、まあよく読みますわ。
一応、貸出数はトップを走って、いやベスト5くらいか?
でも、借りてきた本は全部読んでから返すので、本当の意味で学校1位なんだろうな。

って、昔6クラスあった学校も、今では学年2クラスしかない競争だけどさ。
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by kotodomo | 2006-05-18 07:56 | メモる | Trackback | Comments(0)
2006年 05月 16日

またしても「本のことどもコーナー」ができるらしい

その昔、鹿児島のリアル書店にリアル「本のことども」コーナーができたのだが、
記事はこれ→「で、今年最大のニュースは、自分が夕刊紙面を飾ったこと」

なんだか今度は静岡で、リアル「本のことども」コーナーが出来るらしい。
場所は清泉クリニック整形外科らしい。

確かに院内マップをみると、ブックコーナーなるものがぁぁぁぁ!!!!

・・・実は、頼まれて場所はとってもらっているのだが、じぇんじぇん準備をしてないので、開院後いつのなることやら、トホホ。
スーサラは忙しくつらいときもある。
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by kotodomo | 2006-05-16 22:04 | メモる | Trackback | Comments(4)
2006年 05月 14日

〇「スパイ大作戦」 室積光 双葉社 1680円 2006/4


 評者が小学生のとき、サンスターが出したスパイメモ(手帳)が男の子の間で大流行り。みんなでそれを持ってスパイごっこをしたものである・・・というと、これは嘘で、そのスパイメモの中身は書いた文字が消えるペンとか、水に溶けるメモだとかいうもので、それを買ってもらって、それを実験的に試して喜んでいた男の子たちではあったのだけど、そしてそれを持って集合してスパイごっこをしようとしたのは間違いないのだけど、結局スパイごっこって何をしていいのかわからず、散会するか、結局別の遊びをしたような気がする今日この頃は、雨天や曇天が多く、洗濯物が乾かず困っているところである。

 とにかく、幼いときから、男の子はスパイに憧れるわけで、ついでにいうと当時は忍者にも憧れたわけで(赤影とか)、なんか怪しいものは素敵なのである。しかし、今のこの平和な世の中にスパイなんているのかしら、現に子供たちはスパイごっこなんてしている様子はないし、なんて思ってしまうのだが、やはり工作や諜報は今の世も生きている。

 昨年話題になった『国家の罠』佐藤優なんかを読むと、北方領土のかけひきなんかで水面下での動きっていうのはニュースにはならねども重要だし、最近のニュースでは中国で日本の外交官が情報提供を迫られたのを苦に自殺しているし、ご存知のところでは北朝鮮に代表されるような工作員というものが現存しているのである。

 『国家の罠』を読んだときに思ったのだが、ニュースとして知る政治の外交は将棋盤でいうところの、王将や金将や銀賞の動きである。首相が、外相が、外務省がといった動きである。ところが、実際には水面下では様々な動きがあって、将棋盤の上でも、王将や金将や銀賞とは関係なさそうなところで、歩が香車をとったり、桂馬が成ったりしているわけで、もしかしたら将棋盤の下では軍人将棋が繰り広げられていて、地雷だらスパイだら暗躍しているような世界なのであるという、なんというわかりやすい説明をするんだろう、聖月っちは(笑)。

 ところで、著者室積光氏に誘われて、氏の主宰する劇団の舞台を観にいったことがある(ペンネームは室積光。脚本家であり俳優であるもある。その際は福田勝洋で通っている。大抵の人は氏を室積さんと呼ぶが、劇団員は福田さんと呼んでいる)。「西部戦線異常あり」という題名のドタバタコメディーである。はっきり言ってドタバタで、その上ベタである。しかし、やはり芝居というものはベタでわざとらしいから笑えるわけで、大いに笑って楽しんだ初観劇体験であった。ついでにいうと、氏とは何回か飲食をしているが、よく戦争(第二次世界大戦における日本軍)の話題が氏の口にのぼるわけで、劇でもそうだったが、本書もドタバタコメディーながら、背景に大戦末期の日本軍の蛮勇が見え隠れする。多分、氏の伝えたいテーマのひとつであろう。直截的には『ハダシのカッチャン』という児童書の中で、子供たちに伝えるべく氏の先人としての思いを描いているが。

 本書『スパイ大作戦』の副題は「MISSION IMPOSSIBLE」。連載時の題名は『スパイ in the 団地』。団地に住む冴えない中年男性が主人公。勝手に自分はスパイなのだと思いこみ、勝手に愛国のために動くドタバタ喜劇で、そこにアメリカやソ連のこれまたコメディなやつらが絡んでくるので、どこまでもベタなコメディなのである。ソ連と書いたのは間違いではなく、舞台は東京五輪と大阪万博の間の昭和40年代。国電、美空ひばり、ドラマ「スパイ大作戦」、漫画「いなかっぺ大将」と、評者としてもその小道具が色々と懐かしかったのだが、金井克子は少しマイナーかな(笑)。そういった昔懐かしい冷戦構造の中で繰り広げられるスパイ、CIA、KGBの楽しいやつらが登場するドタバタ小説である。

 序盤はあまりのベタさに閉口する向きもあるだろうが、舞台や映像のドタバタドラマだと思って読み進めれば、中盤から後半にかけて、果たして話はどう収斂していくのやら、作者の筆の行き先に疑問が過ぎり、終ってみれば素敵にハッピーなコメディであったことに気付くだろう。小説としてではなく、ドラマとして読むべし。(20060514)

※実は評者もかつて、スパイでありスナイパーであった。4年前に引退したのだが、なぜ引退したのかというと、その証拠となる写真を撮られたからに他ならない。その証拠写真をご覧になりたい方は、↓をクリックなさいませ。なんか、太った映像で恥ずかしいのだが(^^ゞ(書評No649)

秘蔵写真見たい方はクリックしてね♪
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by kotodomo | 2006-05-14 13:40 | 書評 | Trackback(1) | Comments(6)