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2006年 08月 31日

◎「きいろいゾウ」 西加奈子 小学館 1575円 2006/3


 もう5年くらい経つような気がするが、鹿児島の我が家ではカブトムシたちが毎冬を越し、そして年々増え続け、水槽というか土や屑を敷き詰めた虫槽の中で夏は30匹近くがウゴウゴしている。ウゴウゴはまだいいのだが、夜になると飛ぼうとして、バサバサしているので、なんだかゴキブリがバサバサしているようで(鹿児島は気温が高いのでゴキブリがよく飛ぶ、いわゆるゴキ飛びのメッカである)、ふと目が覚めたときに聞こえるあの音は、あまり気持ちのいいものではない。

 最初は、つがい2組、要するに4匹から始まったカブちゃんワールドである。それがいまや30匹近い。娘二人が面倒見がいいのかというと、そんなことはない。1年目で既に飼育に興味を失ってしまい、その後は嫁さんが面倒見ているのである。今でも、カブちゃんが逆さまになって苦しんでいるようなら、娘たちは“ママ~、大変。カブちゃんが逆さまで苦しそう、元に戻してあげて~♪”と嫁さんに頼り・・・っていうか“飼いたい♪”と言ったのはいいが、未だにカブちゃんに触れない臆病者なのである。

 普通の親なら“あんたたちが育てるって言ったんでしょう、ママは知らないよ!”と言いそうなもんだが、我が嫁さんはマザーテレサでマリア様なので、そんなことはできない。他にたまごっちも2個、娘たちから預けられ、娘たちが学校に行っている間は面倒を見て、死なせてしまったら“ごめんなさい”と悲しい顔をして娘たちに謝っている。

 で、娘たちが面倒を見なくなったカブちゃんたちを育てながら、実は楽しそうにしている。ゼリー状の餌を与えながら“こら、横入りしちゃダメ!”とか“あんた食いしん坊だねえ♪”とか、カブトムシたちとお話までしているくらいである。そう、嫁さんにとっては、命あるものは全て愛情と会話の対象なのである。一度訊いたことがある。評者が“カブちゃんには命があって話しかけるよねえ。じゃあ、朝顔なんかも命あって話しかけるの?”って問うと“そうだよ♪”という。“じゃあ、雑草は?”と訊くと“雑草にはないよ。邪なものには、あっても感じないの”という。どうやら、雑草は会話の対象ではないらしい。“じゃあ、ゴキブリは?”って訊くと、こいつも会話の対象ではないとのこと。当たり前か。っていうか、キャーキャー母娘三人で騒ぎながら、最終的には殺しているし、ははは。

 本書『きいろいゾウ』は変わった夫婦の愛情の物語である。犬とちゃぼと草花と夜と会話ができるツマ。そのツマと、作家であるムコの何気ない田舎の日常から物語は始まる。近隣に住むじいちゃんばあちゃん、野良犬にちゃぼ、幼いけどどこか悟った少年、そういった登場人物たちと物語を織り成していく主人公夫婦。どこか、ぼんやりほんわかあったかな日常。が、途中から違う様相を見せ始める。不可思議で得体の知れない何かが、物語に介在してくるのである。

 それは『いま、会いにゆきます』市川拓司なんかの手法に違和感を覚えた読者には好きじゃないものかもしれない(評者にはノープロブレム)。しかし、この作者が紡ぐ物語の中では、そういう手法なんかが問題じゃなく、そういうものを通しても書きたかったものが大事なのであって、それはツマがムコが、ムコやツマをどういう風に愛しているのか、もしくはそれに気づくかの世界観なのである。評者は好きである。まあ、途中置き去りにされてしまったパズルのピースなんかが散見されたとしても、その世界観は大好きなのである。

 もう、何度も書いてきたことだが、評者はこの世に生まれてきて、嫁さんと二人の娘に出会えて幸せだったと思っている。愛しているとかそんなことはもう飛び越えて、彼女たちに出会えたこの人生は素敵なものだと思っている。じゃあ、嫁さんはどう思っているのか?多分、彼女は評者に出会えてよかったなんて思いも気づきもせず、二人の娘に出会えてよかった、幸せだったと思っているはず。というか、自分は二人の娘を育てるために生まれてきたのだと思っているはずである。そう感じる評者なのである。二人の娘に、カブちゃんや朝顔に愛情を注いでいる嫁さんは、たとえ評者という存在に思いを馳せる暇もない日常を送っていても、それはそれで評者にとって素敵な人生なのである。自分が幸せに思えるなら、嫁さんも幸せを感じていられるなら、それは満更でもない一組の夫婦の物語なのである。(20060830)

『さくら』を読んだときも感じたが、評者にはこの作家の紡ぐ物語は随分合うようである。こりゃあ『あおい』も読まねばである。(書評No664)

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by kotodomo | 2006-08-31 11:22 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2006年 08月 29日

センセイと包丁


評者の部屋の鍵を持っている人間にセンセイがいる。

センセイは大抵の場合、こっそり入ってきてこっそり帰る。
目的は、煙草を吸うためである。
同じ建物に住む医師である。同じ職場に勤務する。
家庭では禁煙である。

こっそりとは言ったけれど、起きているときは一声かける。
さきほどは丁度、ジョンベネちゃんの関連報道番組。
DNAが合わずに起訴なしの報道。
そのときに、一声というかセンセイと会話する。

なんというかセンセイ、冤罪とか怖いよね。
例えば、センセイ、煙草吸うために毎日何回かくるけど、それはいいのだけど、
例えば、センセイ、いつも煙草吸っているそこで自殺しないでね、
例えば、いつも第一発見者が犯人なわけで、ドラマでもそうで、
そうして、そこでセンセイが自殺したら、大抵の場合、自分は焼酎飲んで寝ているわけで、
第一発見者は多分自分で、アリバイもないし、寝てただけだし、第一発見者だし・・・

まずは、第一発見者を疑えというフレミングの左足の法則?そういうの警察にあるわけで、
そういう警官に飲まず食わず寝させず作戦されたら、多分自分は自白すんかんね。

飲んだり、食べたり、寝たい自分の欲望のために自白すんかんね。
そしたら、後戻りは中々きけんねえ。明確な証拠がなきゃあねえ。

多分、なかったりするんだよなあ。
っていうか、今ある包丁を買ったのが3日前っていうのは、なんか凄く不利くない?
切れないという指摘の元に、っていうか実感の元に買ったんだけどさあ。

で、ブログにこんなの書いてて、明日の朝、センセイ、我が家で死んでいたら、間違いなく自分が疑わしいじゃん。

b0037682_1162485.jpg・・・そんなこんなで、おやすみのことどもZzz・・・

というセンセイは、顔が萩原流行に似ていると本人は言っている・・・

でも、こんな顔・・・を見たい方は←クリック
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by kotodomo | 2006-08-29 23:57 | メモる | Trackback | Comments(0)
2006年 08月 28日

たまには随筆などを書いてみるのことども


「江夏の5球目」

天才が好きな聖月様である。江川が好きだった。江夏が好きだった。

江川の場合、書評の中でも何回か書いたが、理想のピッチングは27奪三振ではない。
27打者のすべてをピッチャーフライかライナーで、それも初球で仕留めるというものである。
投げる球数は27球。省エネ?江川らしい?
それはいいのだけど、すべての打球が投手へのフライかライナー。
ということは、プレイがかかっている間に球に触れているのが、投手江川のみ。
要するに、もし守備がついていなくても、投手江川一人で試合が成り立つというのが彼の理想のゲームなのである。
一人よがり?いや、こういうことを考えるのは凄いと思う。
天才聖月様は、こういう天才が考えることが好きなのである。

江夏の場合、例えば5球目に外角低めスライダーで打者を三振に打ち取ろうと考えた場合、
その前の4球目は内角にストレート、ということは3球目は真ん中低め遊び球のボールなどと逆に組み立てていき、初球の内容が決まるのである。
これも凄い。

聖月様の場合、色んな場面で、この江夏のフィニッシュ5球目までの組み立てというのを考えている。
例えば、ある友人が会社を辞めたいという。
彼の5球目は、円満退職である。勿論不満があって辞めたりするわけなのだが、本人のフィニッシュは円満退職なのである。
で、あるとき彼が怒って話す。もう明日、辞表願いを叩きつけようかと。
聖月様は、待ったをかける。5球目をフィニッシュするための、4球目、3球目の組み立てが、あんた出来ていないんじゃないの?と・・・

例えば、食餌療法をする。例えば禁酒する。例えばダイエットする。
そして、それがうまくいかない人々がいる。
これは、それぞれの行為を5球目に持っていこうとするから、中々うまくいかないのである。
例えば、フィニッシュ5球目の決め球を、いいウンコを出す!!!ということにすればいい。
いいウンコをするために、4球目禁酒、3球目食餌療法と組み立てれば・・・

うまくいくのかいかんのか知らんが、そういうことが人生の考えるヒントになればと思って書いている聖月様は、相変わらず禁酒もできないし、毎朝ブバヴィヴィ~♪である。のことども。
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by kotodomo | 2006-08-28 11:36 | メモる | Trackback | Comments(2)
2006年 08月 27日

◎◎「夕子ちゃんの近道」 長嶋有 新潮社 1575円 2006/4


 無印良品である。なんだかネット上でも、前作『泣かない女はいない』ほど話題にもされていないし(何故に前作が多くのネット書評家にとりあげられたのかも知らないが)、それ以上に題名『夕子ちゃんの近道』が前作よりよほどインパクトがなく、たとえ書店に平積みされていたとしても多くの人がスルーしそうな題名なのだが、とにかく本書は、そういう意味で無印ながら良品なのである。

 連載小説である。形式は、古物を商うフラココ屋に集う人々、もしくは周囲の人々の日常を切り取った連作短編集なのだが、雑誌“新潮”に不定期に連載されていた文字通りの経緯からも、また実際読んでみての中身からみても、これは明らかに連載小説なのである。“新潮”に掲載されていたときは、多分読者は読切りの短編として読まされて、そして短編としても充分成り立つのでそこそこに満足していたかとは思うのだが、やはりこの作品群は通読してこそ味わいが増す素敵な風景を内在している。例えば、毎週少年ジャンプで“ドラゴンボール”(とは、ちと古いか?評者は有名どころでは、そんなとこしか知らんので。それとも“ドカベン”とか出したほうがよかったか?)を楽しんでいた読者が、単行本化されたところで通読すると、またシリーズを通した味わいを楽しめるように、本書も全編を通して初めてわかる味わいを内包している。・・・と、ここまで書いて、“冬ソナ”を引き合いに出せばよかったかな?と思っている評者。毎回、“冬ソナ”に感じ入っていた視聴者も、新たにスペシャルで続けてみたり、DVDBOXを買って一気に見れば、また違った涙や感動が、みたいな(笑)。

 名無しの主人公の物語である。評者も中盤で気付いていて、後半それに触れるような件(くだり)もあるが、一人称の視点でそこはかとなく紡がれる物語に主人公の名前は必要ではない。連続しているはずの日常が主人公の視点で切り取られ、その切り取られた断片がまた何気ない連続した物語を生み出す、そんな雰囲気の物語なのである。とにかく、何気ない風景。その風景が、いいのだなあ。

 感性の小説である。これまでの、長嶋有の作品がそうであったように、粗筋の物語ではない。そこに描かれているのは感性である。会話の間にある感性、登場人物たちの距離感、作者の独りよがりの筆の遊び、そういったものが読者の感性に物語の感性を共鳴させて、初めて“面白い”と思わせる感性の小説なのである。だから、感性が合わないと、この物語は合わないだろう。評者が『ジャージの二人』『泣かない女はいない』に感性が合わなかったように、この作品と感性が合わない読者にはやはりあわないし、『ジャージの二人』や『泣かない女はいない』を評価した読者の感性が評者にはわからないのと同様で、もし本書を読んで面白くなかったという人がいても、それは評者とあなたの感性が違うからだよとしか言いようがないのである。

 先日、お盆に帰省した評者である。嫁さんと二人の娘とデパートのエスカレーターに乗って、なんか幸福感、安堵感を覚えた評者の感性なんて、評者自身のものでしかない。エスカレーターの一番後ろから評者、その前に嫁さんと二人の娘。ああ、歩かないんだ、歩くことも考えないんだ、そうだよ、ここは鹿児島だもんなあ、ってね。高校を卒業するとき、東京に出たらエスカレーターの右側は歩く人のために空けておかなきゃいけないと、不思議なアドバイスを教え込まれた評者。実際に、大都会東京ではその通りだったし、自分も場合によっては右側を歩いたし、右側を歩いていて右側に立ち止まっている人に遭遇すると邪魔に思ったりしたし、大阪に行って左側を人が歩くのも噂には聞いていたけどなんか新鮮に感じたし・・・でも、鹿児島で生れ育った嫁さんと二人の娘たちは、そんなセカセカした文化とは無縁だから“エスカレーターで歩く”という考えも浮かばないまま楽しそうな顔をして前、中、後ろで談笑しているわけで、そんな彼女たちを見ていて幸福感、安堵感を感じる評者の感性は、別に誰の理解を求めるものではなく、やはり自身の感性だとしか言いようがないのである。まる。(20060827)

※文末の最後の“まる”って何?と問われそうだが、これも自分の感性で書いてみたものなので、他人の知ったことじゃないのである。まる。(書評No663)

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by kotodomo | 2006-08-27 13:06 | 書評 | Trackback(3) | Comments(0)
2006年 08月 26日

どうも最近いかんのである


1.全然、他人のブログに書き込みをしないから、ブログの友人が増えずにいかん。

2.もう一週間風邪で、夜中も咳が出ていかん。

3.風邪なので、毎日のトレーニングができず、体重が増加していけんがな。

4.かといって、本を読めばいいがなと思うけど、毎日焼酎ばっか飲んでいかん。

5.焼酎の仕上げにゼリーを食べるという習慣がついて、これも体重増の原因になっていかん。

6.なんだかんだいって、本が読めていないから、ブログの更新を昔の記事でごまかしていかん。

7.歯医者に行って、歯磨き指導を受け、そんな磨き方じゃいけんと言われていかん。

8.そんな硬い歯ブラシも使っちゃいかんと言われるし・・・

とにかくどうも最近いかんのである。
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by kotodomo | 2006-08-26 10:07 | メモる | Trackback | Comments(2)
2006年 08月 25日

◎◎「僕たちの戦争」 荻原浩 双葉社 820円 2006/8文庫化

文庫化(^O^)/荻原浩はこれを読むべし!


 今年最大の収穫本である。前作『メリーゴーランド』が今ひとつの面白さだったので、ただ単に新作だからといった理由で図書館に予約を入れた本書を、他に読む本が多かったので、読まずに返そうか、なんて思っていたくらい内容に特に期待せずに読み始めた評者だったのである。う~ん、傑作。一番の理由はたったひとつ。今年読んだ本の中で、後の展開がこんなに気になって、頁を急ぐ気持ちを喚起された本はなかったからである。いやあ、読んでいて楽しかった。

 本書は簡単に言えば、タイムスリップ物である。サーファーの青年(少年)が昭和19年の軍隊にタイムスリップ。これだけなら、よくある設定なのだが、実は後方ひねり二回転半くらいのオリンピック鉄棒的難度Cをうまくまとめて着地しきった作品なのである。二人の人間が入れ替わってしまう物語は、これはよくある。そして本書では、その二人が時代を超えて入れ替わってしまうのである。ウルトラCほどではないが、難度Cがうまく調和を保ったまま、読ませて、読ませて、読ませてくれる本書『僕たちの戦争』なのである。

 その昔、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』がヒットした。主人公の青年が、両親がまだ学生だった頃にタイムスリップ。母親が、主人公に恋心を抱いてしまう。こりゃいけない。主人公は、若い両親のキューピッド役へ。こんな話だというのは、映画を観る前にテレビや新聞の記事かなんかで知っていた。そして、既に観たという友人たちが、口を揃えて面白かったという。本当に面白いのかしらん、と思っていた評者。ところが、実際に観てみるとすこぶる面白い映画だったのである。単純な設定に頼らない、エンターテイメントな作りに、唸るくらい面白かったのである。本書も同様である。

 サーフィンに明け暮れて、バイトも続かないような今風の青年が終戦間近の軍隊で、どういう風に生きていくのか。国のために散ろうと決めていた青年が、いきなり現代にスリップして、どう驚愕し、いかに順応していくのか。単純な話のようで、色々と新鮮な眼で今の世を映し出してくれる作者。

 現代にスリップした若者の目に、看板が飛び込んでくる。「7」と書いてある看板。敵国語も少しは必要かと覚えている主人公なのだが、首を捻る。「7」は確か「セブン」のはず。なのに「7」の横に添えられた文字は「イレブン」。一体全体、意味するものは何なのか、首を捻る主人公なのである。これを読んでいるそこのあなたも、そういう目でもう一度最寄りの店の看板を見るべし。

 もうひとつの視点が、現代人から見た戦争。当時は、祖国のために、国の未来のために死ぬのなら本望であるという考えが、若者の中に浸透していた。それが間違っているとかいないとかじゃなく、とにかくそういう時代であったのである。渋谷に視点を移そう。金髪、銀髪、赤髪、鶏冠頭、穴あけピアス、裸みたいな服装の少女、ガングロ、こんな頭の中身がないような若者たちの馬鹿な平和のために、特攻を志願して散っていった終戦直前の若者たち。彼らが守りたかった国の未来は、こんなはずじゃなかったんじゃないのか!

 本書の構成で気付いたこと二つ。入れ替わってしまった二人の青年の描写が、大体交互に描かれていくのだが、現代のパートの章番号には数字を、過去のパートには漢数字を使っているところが、ちょっと気の利いた工夫である。それともうひとつ。これは、意図されたのか、そうでないのかわからないことなのだが。昭和19年にスリップした若者は、特攻の組織に編成されてしまう。現代にスリップした若者も、そのことに薄々気付いてくる。とすれば、遅くとも昭和20年の8月15日に間に合って元の世界に戻れれば、自分が国のために散ることができるかも知れない。でも、そこに間に合わなければ、自分じゃない人間が散ることになる。後半は、一気にその時点に向かって話が進んでいく。ちなみに本書の出版は2004/8/15の日付である。

 人により、評価は分かれるとは思うのだが、読んでいて楽しい本はいい本であるという読書にはお薦めである。また、今まで肩の力を抜いて書いてばかりいた作者、荻原浩の力技の小説かとも思う。『噂』以来かな、力を注いでいると感じられる小説は。でも、評者にとっては、現時点でのこの作者の集大成的な作品と位置づけてもいいのじゃないかと感じている。とにかく、読むべし。そして、個々の評価に従うべし。(20040913)

※一点だけ、冒頭で気になる表現あり。サーファーの主人公が台風情報のことを考える。そして津波の心配はないと断ずる。しかし、津波と地震は関係あるが、台風と津波は関係ない。作者の勘違い+編集者の不注意だろう。
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by kotodomo | 2006-08-25 12:35 | メモる | Trackback(1) | Comments(0)
2006年 08月 23日

◎◎「ハナシがちがう!―笑酔亭梅寿謎解噺」 田中啓文 集英社文庫 560円 2006/8

文庫化につき再掲・・・題名が少し変わったのです。

元々の単行本は◎◎「笑酔亭梅寿謎解噺」 田中啓文 集英社 1890円 2004/12



 多分、あれは評者が27歳くらいの独身の頃、テレビで西川きよしのドキュメンタリー番組(なんで、そんなのやっていたんだろう?)を観ていたときのことである。そのとき、あの品行方正な西川きよし師匠が住み込みのお弟子さんに言った言葉が今でも心に残っている評者なのである。“お前さんなあ、稽古とか云々・・・とにかく誰か一人の人間を一生かかって幸せにする、それがお前の目標だ。な、そういう目標を第一にして色んなことを云々・・・”そのときのそのテレビでの言葉は、そのまま評者の目標になっている。自分に言われたような気がして、そのまま、その言葉を胸の中にしまっている評者なのである。

 本書『笑酔亭梅寿謎解噺』の主人公も、師匠の家で住み込みながら修行に励まない(笑)鶏冠金髪の若者である。こちらは、漫才ではなく落語の世界。修行に励まないのは、落語が好きでもないのに、かつての恩師にこの世界へ押し込まれたからで、励まないけど段々と練習は積むようになり、実は才覚なんかはあって、後半になるとその才能が周囲にも認知されだし・・・と
いう成長小説の側面も持つ物語である。

 師匠の梅寿も粋な御仁で、大酒のみの八方破れながら、落語界の御大にして弟子には何も教えず行動で教えを示し、中々に風流なジジイなのでこちらの言動も見逃せない。弟子を突っぱねているようで、いい加減なようで、でも人情溢れる人物なので、人情話としても面白い。
で、題名にあるように謎解噺なのでミステリーなのだけれど、これが中々よくできている。連作短編集で7編の落語の噺に見立てた物語が収められているのだが、ひとつひとつのひねりやまとまり度はそれぞれに完成されているのである。ウォー!というようなカタルシスが得られるようなミステリーではないが、しっかりと作られた落とし話なのである。

 兄弟子やら、漫才と落語の関係やら、主人公の悪い仲間やら、色んなものが入り込み、至極素敵な物語を構成している逸品とも言えよう。元々、評者には落語の趣味はない。でも、たま~に聞いてみると、最初のうちは入り込めなくても噺の中盤から大いに引き込まれてしまうことが多いように、本書も最初のうちはユーモアがあってまあまあくらいの感じだった印象が、人情や筆の妙味に魅せられて最後には拍手拍手、やあいい噺を聞かせてもらいましたの好印象だったのである。間違いなしの読むべし印なのである。◎◎「雨にもまけず粗茶一服」松村栄子以来の、万人読むべし、読むべし、べし、べし、べしの良書である。多分、本書が次のこのミスの1位になったとしても、評者は驚かない。好みはあろうが、多くの人に好まれるエンタメ小説なのである。読む人も幸せになり、登場人物たちも幸せな、そんな物語なのである。

 誰か一人を幸せにしようと思って、それを大きな羅針盤に生きてきた評者なのだけど、今は単身赴任で家族とは離れた生活を自分で選んでいる評者なのだけど、一人じゃなくて三人を幸せにするための努力というものは、そんなに悪いものじゃない。嫁さんと毎日メールでやりとりするけれど、そのメールで想像する三人の生活を想像しても笑顔が見えるなら、それもいいのだ。(20050331)

※名人という人の落語が聞きたくなる一冊である。(書評No503)
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by kotodomo | 2006-08-23 07:32 | メモる | Trackback | Comments(0)
2006年 08月 21日

◎「ビッグタイム」 ハセベバクシンオー 宝島社 1680円 2006/7

b0037682_1193185.jpg どうやら、ありがたい本らしい。MIXI内某所で、本書『ビッグタイム』を読んでパチスロ打ったら、もしくは本書をお守りにしてスロったら、設定なんか関係なくバカスカ出まくりだったという美談がカキコされていた。まあ、著者の日記へのコメントカキコだったので、お仲間の冗談とも思われるが、所詮博打なんて何かにすがって運を引き寄せるような世界だから、好きな人はまあ騙されたと思って本書を買って、パチスロしてみてみ。1680円の投資でバカスカ出るかもしれないんだったら安い投資だし。だって、本書に登場する馬鹿なやつらは、パチスロ攻略情報なんてのを50万とか100万で買うんだし。

 そんなら聖月様もやってみれば、と思われるかもしれないが、実は聖月様はパチスロはやらない。第一作『ビッグボーナス』のときに書いたのだけど、その昔、バイトで試作機の試し打ちはしていたことがあるが、遊技場では専らパチンコのほうである。じゃあ、パチスロを主題に置いた本書内に出てくる馬鹿なやつらの悲哀がわからないかというと・・・これがよくわかるのである。博打をすること自体が馬鹿なことであって、そういうお馬鹿さんは評者も含め、みんな似たような経験をしているのである。

 例えば、こんなことが書いてある。10万持って、パチンコでもパチスロでも行ったとしよう。あれよあれよと7万負けたとしよう。そういうときは7割方、この時点で負けである。負けが確定しているのである。ところが、当人はまだ3万ある、あと1万で10万くらい出るかもしれん、まだ勝負は継続しているのだ、負けは確定していないのだと思い込み、ほぼ10万に近い負けまでいかないと、今日は負けだぁぁぁぁ、と理解しないのである。うんうん、わかるなあ、あの日の評者のことだ。

 あと3万があと1万になる。そこでも止めない。あと6000円まではつっこんでも4000円残れば、焼酎とつまみを買ってもお釣りがくるし、ははは、あと6000円頑張ったろ、男だしなんて思う。で、あと4000円になると、あと2000円突っ込んでも安いつまみは買えるし、ははは、突っ込んだろと思う。そして、さすがにあと2000円になると、未練を残したまま、パチンコ屋をトボトボ去るの図なのである。うんうん、パチスロもパチンコも同じなんだなあ。もう今日は負けだなあと途中で気づきながらも、もしや、もしやで、いらん金を注ぎ込んで深い穴に嵌っていくんだよなあ。そして、本書を読みながら気づきが芽生え、勝負のあやが理解できて、バカスカ勝つようになるんだよなあ。だから、みんなも買って読んで勝つべし。

 本書は、同じパチスロ業界を扱った『ビッグボーナス』と背景が重なる部分もあり、シリーズ第2弾と位置づけることもできるが、まったくの単独作品として読んでも全然構わない。またパチスロだけじゃなく、競馬、バカラなども重要なファクターとして登場するので、競馬に勝ちたい、バカラに強くなりたいという人のお守りにもなるかもしれない。まあ、ならんと思うけど(^^ゞ

 基本的には『ビッグボーナス』と一緒の路線である。お馬鹿なギャンブラーが登場し、それを騙す業界人の思惑や、騙すほうを騙そうとする愚かな知恵や、騙された人間をまた騙そうとする狡猾な悪知恵が交錯し、そこに著者のユーモアが注入された楽しい娯楽小説である。例えば競馬の出走馬の話のところで“シンキンフィッシュ”とか“ジェノサイドピエロ”とかいう名の馬が登場したり・・・わかるかな?ユーミンの歌がどこかに埋め込まれていたり。

 ただし、マイナス点がないわけではない。まず、バカラのルール説明に結構な文章を費やし、よく読まないとルールが呑み込めない点。同様にバカラを扱った博打小説の名作『越境者たち』森巣博でもバカラのルールの説明があるが、あちらは本当に小説の中に溶け込んでいて、逆に本書の場合、単純なルール説明となっているところが読者に易しくない気がする。

 あともうひとつ。競馬のレースに多くの筆を費やしている点。この前、著者ハセベ様とご一緒に飲んだとき、片手に競馬新聞を握り締めて現れたことから、競馬好き、競馬に詳しいことは知っていた評者なのだが、一般読者には少し描写が長すぎるかもしれない。よく読めば、いろんなギャグも入ったりして結構面白いんだけどさ。

 その2点を除けば、全体に楽しい娯楽小説である。博打としてのゲームより、人生のゲームの面白さがそこにはある。人生ゲームの面白さを堪能したい方は読むべし。そして、パチンコ、パチスロ、競馬、その他賭博で人生通算100万以上負けているそこのあなた・・・買うべし、そして勝つべし。(20060820)

※私信:ハセベ様、今度、馬の名前をつけるときは~ブンタみたいなのに交えて、スーパーミヅキとか、ミヅキフラッシュとか出しても構いませんからね。ヨロピクね。そんなの載ったら10冊くらい買っちゃいますからね。(書評No662)

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by kotodomo | 2006-08-21 11:09 | 書評 | Trackback(6) | Comments(4)
2006年 08月 21日

ハセベバクシンオーのことども

b0037682_11224747.jpg  〇 『ビッグボーナス』
◎◎ 『ダブルアップ』
  ◎ 『ビッグタイム』

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by kotodomo | 2006-08-21 09:18 | メモる | Trackback | Comments(0)
2006年 08月 20日

▲「帝都衛星軌道」 島田荘司 講談社 1890円 2006/5


 小学校高学年のときだったか中学のときだったか忘れたが、鹿児島で生れ育った評者は、初めて山手線なる環状線が東京にあることを知り、愕然としたものである。環状線なるものに意味が見出せなかったからである。あんなのじゃ、乗っても目的地には着かず元に戻ってくだけやんけやんけやんけ・・・と頭の中をリフレイン、しばらくの間、高熱を出して寝付いてしまったのである・・・ということは、あれは中一だったか。山手病かと思っていたら、遅い麻疹(はしか)に罹患していただけだったのことども。

 大学に入ってからは駒込に住み、高田馬場へ通学、山手線にはそれなりにお世話になったし、その存在意義もわかり安心したものよ。最初のうちは、おそるおそる駒込駅から山手線に乗り込んだ評者だったのだけど、目的地は高田馬場だけど、これは環状線なり、ということは元に戻ってくるわけで、ということは高田馬場に行くつもりなんだけど、自分は駒込に戻ってきてしまうのではなかろうか、なんてね、嘘だけど。

 そういう山手線を舞台にした謎の誘拐事件を描いたのが、本書『帝都衛星軌道』である。息子を誘拐された女性が、犯人の指示に従い山手線に乗り込む。評者の住んでいた駒込で下車し、そのまま犯人の指示に従いタクシーに乗り込む。後を追う警察。しかし、警察はそのタクシーを見失ってしまう。結局は、息子は無事帰ってきて・・・この女性が戻らず、どういう謎が潜んでいるんだろうと読者が思ったところで、なぜか中編「ジャングルの虫たち」が始まる。

 そう、本書には二つの中編が収められているのだが、面白いことに、構成は真ん中に一つの中編を挟んで、「帝都衛星軌道」のほうは前編、後編に分断されているのである。意味があるのか?穿った見方をすれば、ないでもない。どちらも東京の地下空間というものがモチーフとして使われているし、ホームレスという生き方にも触れている。もっと穿った見方をすれば、山手線を題材にした誘拐事件「帝都衛星軌道」を分断する「ジャングルの虫」という作品は丸の内線なのか!!!なわけないけど、丸の内線って不思議ですねえ。新宿から池袋まで行くのに、東京駅まで遠回りするなんて不思議過ぎ。

 ということで、以前から感じていたことなのだけど、小説読みにとって、いっときでも東京に住んでことがあるというのは有難い経験である。評者が翻訳小説読んで、地名や駅名が出てきてもなんもイメージが浮かばないことがあるのと一緒で、東京を経験したことのない人は、色んな物語の中に出てくる東京の情景というものがイマイチなんだろうなあ。今、この文章を読んで、え!山手線って環状線!ってことは、くるくる周るだけの線路!ってことは、振出に戻るじゃん!行っても帰ってくるだけやんけやんけやんけ・・・と初めてその驚愕のリフレインで高熱出しそうな地方在住者も一人くらいいるやもしらん。(20060820)

※図書館利用を再会した評者である。だから、買ってまで読まない島田荘司なんか読んじゃった(^^)v(書評No661)

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by kotodomo | 2006-08-20 10:36 | 書評 | Trackback | Comments(0)