「本のことども」by聖月

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2006年 09月 30日

▲「溺れる人魚」 島田荘司 原書房 1680円 2006/7


 最近ネット世界で人気のない聖月様である。本が読めていないので書評の更新も滞りがちだし、かといって日常のことなどをしたためるなんてことも、以前に比べて頻度が落ちているし、結果、以前は日に10万アクセスくらいあったのが、最近では日に5アクセスくらいである。その5アクセスのうち3アクセスは間違いなく自分自身なので、実質2アクセスくらいである。いいのである。

 実は、リアル世界で人気が上がっている聖月様なので、いいのである。そのわけは、体を鍛えて、スタイルがメタボリックからメタルギアになりつつあるからである。群がる女子高生、黒山の清楚な女子短大生、熱い目で見つめる有閑マダムたち・・・そんなものをかきわけかきわけ日々を過ごす毎日である。

 月火木金土と週5日、職場で運動をしている。ストレッチを基本に据え、スクワットその他・・・でもメインはやはりバイク(自転車漕ぎ)とロードランナーかな。最初の3ヶ月は、バイクを30分、走りを9キロのスピードで30分こなしていた聖月様。体重が落ちてきたのだが、3キロ落ちたところで壁にぶつかる。そこで、最近はバイクを40分、走りを7キロのスピードで60分に変更。お蔭様で、またまた体重が落ちてきたのだ。落ちる体重に、上がる人気。聖月様が鍛えていると近隣の婦女子が集まってくる始末である。おまけに使っているタオルがハンカチタオルなので、ハンカチ王子と呼ばれている。

 そこで、気づいてほしいのは、聖月様は一日のうち、100分もバイクを漕いだり走ったりしているわけで、ということで一日100分はボンヤリと色んなことを考える時間に使えるということなのである。

 ということで、昨日、本書『溺れる人魚』を読み終えた聖月様は、走りながら漕ぎながら、どんな書評を書こうかと考えていた。100分考えて、何も浮かばなかった。そんな本書である。

 実は評者(聖月様から呼び名をいきなり変えてみた)、書評を書く前に“何を書こう?どんな風に書こう?”なんて考えることは基本的にない。ご存知の通り、脱線書評なので、大抵の場合、本を読みながら思いついたこと、思い出したことなどを書き連ね、結びを適当にまとめて、面白かったとかイマイチとか読むべしとか書くだけなのである。ところが本書の場合、読んでいて何も思いつきも思い出しもしないどころか、その後100分考えてみても特段印象に残るようなことも考え付かない小説なのである。

 4つの短編が収められている。「溺れる人魚」「人魚兵器」「耳の光る児」「海と毒薬」。「溺れる人魚」はトリックものに、ある人物の人生を重ねた物語。書きたかったものは、トリックと人生・・・結局、動機や蓋然性が希薄である。「人魚兵器」ミタライが少し活躍。「耳の光る児」ミタライが中心人物には違いないが、結局薀蓄物の物語。「海と毒薬」異邦の騎士という名作があったことを思い出させるのみの物語。

 そんなまとめかたをして、もう書くことがなくなってきてしまった。多分、御手洗フリークなんかは「海と毒薬」なんか面白く感じるのかもしれんけど、評者には暖簾に腕押し糠に釘馬耳東風な作品であったなあ。まっ、いいか、どうだって、サーカスの馬。リアル世界でもてまくりだし。(20060929)

※などと言いながら、島田荘司をつい読んでしまう、お馬鹿さんな聖月様なのである。(書評No668)

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by kotodomo | 2006-09-30 10:46 | 書評 | Trackback | Comments(2)
2006年 09月 30日

島田荘司のことども

b0037682_1740795.jpg  ▲ 『占星術殺人事件』
  〇 『斜め屋敷の犯罪』
  ▲ 『寝台特急「はやぶさ」1/60秒の壁』
  ▲ 『御手洗潔の挨拶』
  ◎ 『異邦の騎士』 今考えると読み物として深い
  △ 『奇想、天を動かす』
  △ 『水晶のピラミッド』
  ◎ 『魔神の遊戯』
  〇 『セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴』
  〇 『上高地の切り裂きジャック』
  〇 『透明人間の納屋』
  × 『摩天楼の怪人』
  ◎ 『エデンの命題』
  ▲ 『帝都衛星軌道』
  ▲ 『溺れる人魚』
  〇 『進々堂世界一周 追憶のカシュガル』

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by kotodomo | 2006-09-30 08:55 | メモる | Trackback(3) | Comments(0)
2006年 09月 27日

一週間に2回はパンツを穿き替える男


一週間に2回は洗濯をする聖月様。

ときに、アレレと思う。
毎日、運動をしているので、Tシャツは1日2枚は溜まるし、スポーツタオルは1枚は使うし・・・
だから、カッターシャツなんか入れると、一回につき結構な量になる。
そうそう、運動するので、靴下も1日2足は消化するし。

で、アレレと思うのは、パンツが、トランクスが一枚しかないじゃん!なんてこと。

結局、運動前に、運動用のトランクスに穿き替え、その後シャワー、
勤務場所でのことなので、そこでパンツを穿き替えようなんて気はなく、持っていってない。
そのまま、運動前のパンツを穿くわけだ。

家に帰り、飯を済ませ、シャワーは会社で浴びたので、あとは寝るだけ。
そんなこんなで、パンツを替えるのを忘れてしまのさ。

人に尋ねると、朝起きたら履き替えるやつ、風呂に入らなくとも寝る前に履き替えるやつ、
みんなどうやら穿き替えているらしい。

ところが、聖月様は幼い頃からの躾で、お風呂に入ったらパンツは履き替えるように、
その他は知らないぞという具合に体に沁みついているのである。

困ったものである。
こんなに清潔好きなのに、幼い頃からの躾で・・・インキンになる日も近い!!!
そういえば、中学生のときインキンだったぁぁぁ!!!
痒かったたぁぁぁぁ!!!
恥ずかしくて、人には秘密だったぁぁぁ!!!

今なら、言いふらす(^^)v
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by kotodomo | 2006-09-27 10:11 | メモる | Trackback | Comments(0)
2006年 09月 26日

結婚式の引き出物の進化

b0037682_1059829.jpg土曜日に結婚式へ。

引き出物が重い。
セレクトできるやつと聞いていたが、重い。
家に帰って開けてみると、重さの原因が判明。
商品カタログが重いのである。厚いのである。

自分が知っている数年前のカタログの3倍以上。
地方の電話帳より厚くて重い。

最近読んだ本の中で一番厚くて重い。

で、商品を決めてオーダー。
葉書を書こうとしたら、なんだネットでもオーダーできるじゃないか。
便利な世の中になったものだなあ。
受付番号&パスワード入れてチョチョイノチョイ。

しかし、難しいなあ。チョイス。
とりあえず買う気はないが、あったら便利度でチョイスした聖月様なのである。
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by kotodomo | 2006-09-26 11:02 | メモる | Trackback | Comments(0)
2006年 09月 24日

◎「優しい子よ」 大崎善生 講談社 1365円 2006/6


 「優しい子よ」「テレビの虚空」「故郷(ふるさと)」「誕生」の4つの話が収められた作品集である。はっきり言って、評者は「優しい子よ」で大いに泣いた。評者の評価記号的には◎◎である。◎◎ではあるが、これはやはり今現在ある個人的な(44歳で嫁さんと娘二人があり、少しは人生というものをそれなりに体験してきたという事実。多分、結婚前の若い時分に読んでも、今と同じ涙を流せるとは思わない)評価である。泣いたり、笑ったり、悔しかったり、淋しかったり、悲しかったり、そんなことを昔の若い自分の上に積み重ねてきた結果、流した涙のような気がする。

 優しい子がいた、ただそれだけの話である。優しい妻と、優しい作者が、優しい子と接した期間を描いた私的ノンフィクションである。あとがきで作者は問う。この作品集は小説なのか?それともノンフィクションなのか?評者の答えは“小説ではない”というものである。私小説と位置づけることもできなくもないが、若い時分に読んだ太宰治の影響もあってか、評者は、小説は虚構だと思っている。太宰はそのことを、1行の真実を100行の虚構を交えて書く、そんな意味合いの言葉で表していたかと思う。そういう意味で、この4つの作品には、虚構はまったくなく、評者的には小説と位置づけることができない。『聖の青春』や『将棋の子』で作者がとったノンフィクションという手法を、自分の周辺描写に当てはめて描いたら、そうしたら自分の感情を盛り込まなくてはならず、結果的に自分のノンフィクションなんて客観性に乏しい主観的なものだから、まあ小説の体裁はとっていても、やはり私的ノンフィクションという造語的なジャンルに収まらずにおれないわけである。

 この作品集の中には、大崎善生という透明な人がいる。その透明な人の目で見た透明な日常と透明な人物たちがいる。優しい子であり、妻であり、友人たちであり、そして我が子である透明な人物たち。評者は大崎ファンであるが、結婚したことも、父親になったことも知らなかった。ましてや、妻という人物が高橋和女流棋士だなんて。


 本書を読んで、高橋和女流棋士には悪いこと書いたなあと思っている。彼女の書いた『女流棋士』の書評の中で、評者はこのように書いている。“いや、大事故をした人はたくさんいると思うのだ。著者高橋和もそのうち。でもねえ。彼女は裏を返せば順調に生きてきた人なのである。苦労を越えてきた人生ではあるが、順調な人生なのである。学年を落第することなく、好きな高校に入学し、好きな人とは15歳でお付き合いし、好きな将棋の道を進み、本人は嫌かもしれないが他人も羨む人気まで具備している。”ところが本書を読むと、夫大崎善生から見た、彼女の苦労、苦悩が垣間見えてくる。本人自身が表現できなかったそういった事実を、夫大崎善生の筆は、短い言葉で文章で、端的に表現している。だから、彼女には悪いことを書いたなあと言うよりは、寧ろ文章の素人である彼女の私的ノンフィクションでは、そこまで表現する言葉が描かれなかったということかもしれない。

 事実はそこにある。しかし、その事実を伝える言葉は無数にある。言葉を重ねても、事実が伝わらないこともある。大崎善生のこの作品集『優しい子よ』には、言葉を重ねなくても伝わってくる事実があり、感情がある。例えば、高橋和という女性の、心からの優しさが伝わってくる。いい人だなあと思う。だから、悪いことを書いたなあと思ったことが、彼女自身の表現力に起因しているのかもしれないけど、それでも本当にいい人だなあ、悪いことを書いたなあと、やっぱり思ってしまう評者は、大崎善生の文章の向こう側に優しく透明な事実を感じてしまう読者なのである。

 人は優しい。たまには、嫁さんの言動に、少し違和感や反感を持つ夫評者であるが、やはり嫁さんは優しいし、世の中の人たちは多くの場合大いに優しいのである。今を生きる評者の世界の大半は、優しさでできているのである。(20060924)

※大崎善生フリークでないと、中盤の2編は面白くないかもしれない。そういう方には「優しい子よ」のみの立ち読み(たったの50ページの作品なので)を薦めなくもないが、本屋で止めどなく涙が溢れて結局は買ってしまうかもしれない。(書評No667)

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by kotodomo | 2006-09-24 11:18 | 書評 | Trackback(1) | Comments(2)
2006年 09月 23日

本が読めるわけがない・・・昨日の日記の続きのことども


結局、昨日は予定のない夜を迎えるかもしれなかったわけで、
そうしたら独り晩酌などせず、本を読んでいたのかもしれない。

でも、また鴨が来た。
今回は、ネギを背負わず、ヤキソバをしょってきたのだよ。
“さあ、今夜はヤキソバです。あと牛蒡のサラダと・・・芋焼酎さつま白波!”

鴨が作り始める。
鴨の携帯が鳴る。
“うん、いいよ、来なよ”

鴨子が来る。
“今日はヤキソバだって聞いていたんで♪”

・・・
ヤキソバだって、俺は聞いていなかったぞ。
“うん、いいよ、来なよ”って、ここの主は俺様なんだけど・・・

で、大いに食す。聖月様44歳、鴨37歳、鴨子25歳の男女3人の晩餐。
テレビを観る。笑う。話す。一段落・・・
って、なんかそこから話が盛り上がっちゃって、カラオケへ繰り出す3人合わせて108歳の煩悩なしの男女。
2時間で30曲歌う。
就寝3時。

先ほど起床・・・今から静岡へ。
さあ、結婚式で飲むど(^O^)/
二次会でも飲むど(^O^)/

なんせ、ナースが集まる結婚式だからねえ。
ナースたちが舞台でナース服着て踊って歌って騒いで脱いで触って弄って・・・

こんなことでは、本が読めないのは、当たり前のことどもな毎日。
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by kotodomo | 2006-09-23 10:36 | メモる | Trackback | Comments(0)
2006年 09月 22日

日記なことども


最近、更新もあまりしないし、書評もアップしていない。
勿論、酒を飲んでばかりいるからである。

昨夜はハワイな店で、大味のプレート料理と格闘しながら、
ビールのみ飲み放題というので、大いにビールを飲む。
こんなにビールだけ飲んだのは久しぶり。午前2時に就寝。
クーラーを22度でつけっぱなし、朝の寒かったこと。

一昨日は、鴨がネギをしょって訪ねてきたので、鍋を大いに食らう。
とんこつキムチ鍋である。

その前の日は、同じ鴨がキャベツと水餃子をしょって訪ねてきたので、鍋を大いにくらう。
塩鍋である。どうもこの鴨、鍋を食いたいときは、我が家にきて作って食すことを最近習性にしているふしがある。
コンロも土鍋も鴨の持ち物なのだが、どちらも我が家に置きっぱなしである。

明日はというと、結婚式。静岡市にて。
披露宴の時間が、午後3時半。
こういうとき、朝食と昼食をどういう具合に食すか迷うのでいかん。
法律で、披露宴は夕方6時のみと決められないものか。アベシンゾウ。

その後、二次会が夜の7時からの予定。
実は聖月様、飲酒は好きなのだが、長飲みは体がもたないほう。
でも、二次会には静岡中の美人看護師が集まるらしいので出席予定。

なんてことをしていると本を読めないのはまだいいが、
ちゃんとした食事をしようと買いこんである納豆が賞味期限を過ぎてしまうのが一番の悩みである。
今日もまた納豆を捨てねばならない。

納豆の賞味期限が3週間くらいになって、新聞のカルテル的休刊日がなくなれば、
この世の中は、もう少し生きやすくなるような気がする。

ちなみに、今夜に関しては、鴨が来る予定もないし、ハワイアンな予定もないので、
飲まずに読書すればいいのだが、今夜の過ごし方は今はまだ決まっていないので困ったものである。

納豆問題と、休刊日問題が解決すれば、それでももう少し生きやすくなるのだが。

とかくこの世は生きにくい・・・のことども。
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by kotodomo | 2006-09-22 12:03 | メモる | Trackback | Comments(0)
2006年 09月 19日

この時期に、あえて手鏡を買うのことども


昨晩、手鏡を買う。

ドラッグストアに行って“手鏡買いたいんですけど、どこでせう?”と女性店員に訊いたら、
“あんた、植草教授?”って顔をされながら、“こちらです”と案内された。

本当だったら、100円ショップみたいなとこで100円くらいのやつでよかったんだけど、
なんか思い立ったらみたいな感じで、コスメティックなやつを578円も出して買ってしまった。

折りたたみでコンパクトな2面鏡。
片面は、拡大鏡・・・これでスカートの中も大きく、うしし、ひひひ、うくく・・・

じゃあなくって、1ヶ月前から通っている歯医者さんに言われていて、やっと購入したもの。

“あんたの歯はダメ。歯磨きがいけん。歯を見ながら歯磨きせんと。手鏡買いなさい!!!
買うべし、買うべし、べし、べし、べし!!!”
なんて言われて買ったの。

なるほど、見ながらだと、うん、確かにしっかり磨くなあ、自分。
今までの歯磨きなんて盲目的にやってたんだなと気づく。
それに、これがあれば、スカートの中が・・・って、実は全然そんなものは興味ない。

女子高生よ、パンツ見せて歩きまわんなよ!日ごろ、そう思っている聖月様は、もう老境なのである。
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by kotodomo | 2006-09-19 11:54 | メモる | Trackback | Comments(4)
2006年 09月 18日

読めていないのに、またまたamazotta(あまぞった)



『風の影』上下 カルロス・ルイス サフォン スペインの作家なのだよ。

いやね、日曜の読売朝刊で逢坂剛が傑作だと書いていたので。

自分も中々使わない“傑作”の言葉に魅かれて・・・

だって、傑作なんだよ。傑作、傑作???半分呆れるときに使う“傑作”じゃないよね。
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by kotodomo | 2006-09-18 16:37 | メモる | Trackback | Comments(0)
2006年 09月 17日

◎◎「絲的メイソウ」 絲山秋子 講談社 1365円 2006/7


「ことども的迷走」 聖月 エキサイトブログ 0円 2006/09/17


 鹿児島で生れ育った聖月様。中学までは、まあ鹿児島市内の人がお友だちなのだが、高校に入ると県内色んなところの出身者とも出逢ったりしたわけで、その中に種子島出身の男が居た。なんの気なしに“種子島なんて信号機ないだろう”と言うと、“今はあるが、小さいときは町に1個しかなかったのは事実だ”と答える。加えてそいつは“その1個も町中じゃなくて、町外れにあった”という。“何それ?”と問うと、“本土に渡ったときに、信号機を見てビックリしたり意味がわからなかったりしないように、練習用にあったのさ”という。

 あれ?冗談で言ったのに意外な発見。オモロイ。変。どういう予算がついて、そういう公共物が設置されたのか考えたら、尚更にオカシイ。その彼に“じゃあ、本土に来て、何か発見があった?”と問うと、“発見じゃなくて、本物の汽車を見たのが嬉しかった”と言う。まあそうかもね。島には汽車はないもんね・・・ところが、種子島男の話を珍しそうに聞く聖月様自体も、鹿児島という田舎育ちなので、高校を卒業して東京に行くときに“これだけは気をつけなさい。間違うとえらい目にあうよ”と先人に教えを受けた幾つかの田舎者がばれない注意義務に、やはり“汽車”というアイテムがあったのも事実である。

 高校時代、通学環境調査みたいのがあって、徒歩通学、自転車通学、バス通学、電車通学、汽車通学の5種に分けられている。評者の場合は自転車通学。問題は汽車通学なのだが、簡単に言うと、鹿児島市の人間が“電車”と呼ぶ場合、それは100%路面電車、いわゆるチンチン電車のことを指す。それ以外の軌道を走る乗り物は、すべて“汽車”と呼ぶのである。要するに、国鉄=JRの乗り物は、鹿児島人にとってはすべて“汽車”なのである。もしくは“列車”。だから、東京に出たら、国鉄の乗り物は電車と呼ばなくてはいけない!という注意義務には、それは大変だあ、気をつけないといかんでごわす西郷どんと思った当時の評者なのである。

 で、東京に出て、4畳半の生活・・・まあ、学生時代の話は端折るとしてだ、最近まで2年間、また東京生活、独り身生活を経験した評者。20年前とは、違うなあと思ったことがある。学生時代は、部屋の中で喉が渇いたら、水道の水を飲んでいた。まあ、お金があれば、冷蔵庫のパックジュースなんてこともあったけど。だけど、最近の2年間の東京生活では、水道の水を飲まなかったなあ。20年前はペットボトルもないし、ましてや水がコンビニで売っているなんてこともなかったし、将来、水をお金を出して買う自分なんて、学生時代は想像できなかったなあなんてさ。ガソリンが高くなったから、安いスタンド捜しに興じる似非倹約家たちの行動がわからん評者でもある。ガソリンはリッター150円。水は自販機で500ミリが100円ってことは、リッター200円。ガソリンが高くて困るっていうなら、水道の水を飲みなさいと主張してやまない、どこか論点がずれている気もするが、そういう風に声高に叫びたくなる最近の聖月様なのである。兎に角結論は、水はガソリンより高いことに早く気づきたまえ!諸君!なのである。

 そんなことを絲山秋子が本書『絲的メイソウ』で書いているかどうかは知らんが、少なくとも瞑想というよりは迷走している。評者と卒業大学が一緒で、4年ばかし評者より若いだけの著者なので、彼女の人生の迷走と自分の瞑想はどこかシンクロナイズドスイミングである。罪のない独り語りである。読むべしなのである。評者は2時間で読んでしまった。(20060917)

※書評ナンバーが不吉に揃ってしまった。記念して、もしくは邪気払いで、今夜も飲めという神のお告げかもしれん→(書評No666)

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by kotodomo | 2006-09-17 15:26 | 書評 | Trackback(2) | Comments(0)