「本のことども」by聖月

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2006年 11月 30日

発病から10年経って


34歳のとき眼医者のお世話になる。
出来物出来たみたいな。

そのときに眼科の先生に言われた。
“もう老眼が入ってきてますね”

“えっ!・・・どうすればいいんですか?”と告知された聖月様の反応に先生は、

“そのうち、どうにかしたくなりますよ。そのときにどうにかしてください”

“???”そのときは、わかったようなわからなかったような聖月様。

10年経って、最近になって、よ~くわかってきた!

見えないのだ。見えないと思っていたのだけど、最近もっと見えないのだ。
貰った名刺を離して見なきゃ見えないみたいな。
ご飯を持つ手がかすむみたいな。
おまけに遠くの標識も見えにくいので、とにかく目が弱ってきたくさいだす。

鶴亀鶴亀鶴亀と唱えてみても何も変わらないので、近々ヨン様みたいなメガネを買わなきゃなあ。(^0_0^)
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by kotodomo | 2006-11-30 10:46 | メモる | Trackback(2) | Comments(4)
2006年 11月 27日

◎◎「彼女について知ることのすべて」 佐藤正午 集英社文庫 740円 1999/1


 最近、読書に対する意欲、書評を書くことの意欲が減衰してきている評者。サイトの頃からブログに至っての今日まで、まあ大抵の目標はクリアしてきたので(オフ会というものに参加したいとか、実際の作家さんと飲みたいとか、大型書店にリアル本のことどもコーナーを作りたいとか、アクセス数を増やしたいとか)、最近の忙しさと加齢による無気力感みたいなものも合わさって、なんだか“やらなきゃ!”みたいな初期の頃の衝動が薄れてきているのである。

 そんなときに本書『彼女について知ることのすべて』を読んだわけで、昔好んで読んでいた佐藤正午に小説の面白さを再認識させられたわけで、結局、読みながら、読んでから思ったのは、書評サイトをやっていてよかったということである。出会った面白い本を紹介できるステージを自分が持っているということの大切さを感じたのである。最近の書評ブログの傾向を考えたとき、今更誰も佐藤正午の10年以上前(単行本は1995/7出版)の作品を“面白いよ。読んでみて”なんて取り上げないと思うし、そういう意味でこうやって評者が取り上げたとき、“面白そう”と思って読む人が一人でもいたならば、そうして“面白かった”と思ってくれたりしたならば、とにかくそのことが、評者が書評なんてやっていることの甲斐なのである。

 そう、初心を思い出した評者なのである。オフ会とか作家飲みとかリアルとかアクセス数だとか、そんなのは結果的に叶った喜びであり、一番最初の最初の最初の無垢な叶えたい喜びは“自分の書評で一人でも影響を受けて本を手にとったら、そして面白いと感じてくれたら”、そんなところにあったのを思い出したのである。そういう意味で、是非この本を多くの方に読んでほしい。これが小説である。この作家は、小説を書こうとして、そして小説を書き上げている。作家佐藤正午は、小説にこだわる作家なのである。今度はこういうジャンルで書こうとか、こういう抽斗出してやれ、みたいな最近の“粗筋”売れ筋作家たちとは違い、ただ小説を書く作家なのである。佐藤正午にとっての各作品の違いは、長編か短編かということにとどまるのである。

 本書は長編小説である。人を殺すつもりで車を走らせている“私”という主人公が冒頭で出てくる。果たして本当に人を殺すのかとか、誰と待ち合わせて誰を殺そうとしているのかと、そういう疑問が読者の胸中に当たり前のように帰来する書き出しだが、これは小説なので(推理小説ではない!)、そこのところが肝要ではない。だから、プロローグはすぐに終り、読者は普通の小説を読まされ始めるのである。離島を抱える地方都市の教員である私。その私と結婚を約束した同じ職場の女性教諭、そこにその女性教諭の知り合いの看護婦が登場・・・そんな感じで普通の物語が始まっていくのである。今まで書きつくされてきたような設定の中で。

 ところが、佐藤正午という作家は、普通の物語を書きながら上手いのである。佐藤正午が、雪の降る地方都市を表現するとき、辺り一面小銭をばらまいたいような喧騒と書けば、それはチェーンを巻いた車たちの喧騒をあらわしているわけで、遠くの夜空でポップコーンがはじけるようなと書けば、それは少し遠くの花火をあらわしているのである。とにかく、細かい描写が非常に小説的で、ああ小説ってこういんもんなんだよなあとあらためて感じ入る評者なのである。

 物語は4つの章立てからなり、「冬」「春」「夏」「秋」という章題や、その季節が決して同じ年の季節ではなかったりするあたり、最近の小説『砂漠』伊坂幸太郎を思い出させてくれるのだが、そこにある技法や狙いはまた違ったもので、なんというか風格があり落ち着きがあって、技法というよりは小説作法と読んだほうがいいのかも知れない。8年の時空を前後に織り成し、物語の描写は進んでいくのだが、その切り替えが絶妙で、実に心地いいのである。

 そして着地。あと数ページを残して、一体この物語はどういう収束をするのだろうと疑問に感じていた評者。無難に大団円なのかなあ、なんて思って最後に読んだラスト数ページ。素晴らしい。実に素晴らしい。最後のこの数ページの小説を書くために、この物語は長編という小説の体裁を取っていたのだと感動した評者。数ページの小説が、長編小説という衣を纏っているような、どちらも欠かすことのできないその要素が絶妙なバランスを保っているのである。

 とにかく読むべし、読むべし、べし、べし、べし!発行年、下半期の直木賞を調べると小池真理子の『恋』と藤原イオリンの『テロリストのパラソル』という間違いのない名作が同時受賞しているのだが、評者は本書『彼女について知ることのすべて』がもし取っていたとしても、それはそれなりに評価が高かったのではないかと思っている。陽のあたる場所に居る作家ではないので、候補にもあがっていないんだけどね。(20061126)

※上手いなあ佐藤正午。短編は、ときどき面白くなかったりするけど(笑)(書評No681)

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by kotodomo | 2006-11-27 15:35 | 書評 | Trackback(1) | Comments(0)
2006年 11月 26日

〇「SPEEDBOY!」 舞城王太郎 講談社BOX 1260円 2006/11


 久々の舞城王太郎節、講談社BOXという叢書から出版である。この叢書のコンセプトは、最近調べるという行為に対して意欲のない聖月様なので知らんのだけど、ただはっきり調べんでも言えることは「BOX」なのである。箱に入っているのである。箱カバー付きなのである。う~ん・・・箱が邪魔だ(笑)。

 本書の主人公は『山ん中の獅見朋成雄』の成雄とは違う成雄で、でも同じ成雄で、どこが違うかというと本書の成雄には苗字がないし、あの話と背景も違うし、でもどこが同じかというと本書の成雄にも鬣(たてがみ)が生えているし、走るの早いし・・・そういう走るの早い成雄のパラレル連作短編集が本書『SPEDBOY』であり、なんでパラレル?っていうと、それぞれの短編に成雄は出てくるが、それぞれの成雄は別人物であり、背景も違うし、でも鬣があって走るの早いし・・・なんか説明が面倒くなってきたぞ。

 面倒くなってきた意味において、そうそう別の作品で書いた評者の感想を思い出したぞ!ここで勝手に挿入(^O^)/『九十九十九』の書評だぜ!

 
 こういう話はどうだろう。滅茶苦茶しょんべんしたくなった評者は慌ててトイレへ駆け込む。ぐっふー。間に合った。しかし、よく出るなあ、俺のしょんべん。おう、もう2分経っているのにまだ止まらないでやんの。とういう夢を見て目覚めた評者。なるほど、しょんべんの夢を見るわけだ。溜まっているぜ。と、ベッドから這い出してトイレを向かう評者。という映画を観ていた評者は、やはりトイレに行きたくなって、暗い映画館内を非常口を目印に出口へ、トイレへと向かう。という本を読み終えた評者は眠りについたのだが…。

 じゃあ、こういう話はどうだろう。今夜、書斎でこの原稿を書いている評者は、明日の正午の自分を考える。明日の正午。丁度、幼稚園の学習発表会の娘の劇を観ているであろう時刻。そのときの自分のことを思う。よし、明日正午に、そのことを自覚しよう、昨日の自分に今の自分が思われていたことを思い出そうと決める。翌日、予定通り娘の劇「おむすびころりん」を観ながらも、正午丁度に評者は思う。おお、今の自分は昨日書斎で思われていた自分だな。いや、待てよ。こうやって、昨日の書斎で今の自分を考えている昨日の自分を思い描いている自分が今いるということは、昨日の自分は今日の自分に考えられていたわけで、その今日の自分は昨日の自分に考えられてもいたわけで…う、う、う、う、わからんごとなってしまった。

 ついでに、こういう話はどうだろう。三面鏡。顔を前に突き出し、三面鏡の左右を鋭角に閉じると、おお、自分の姿がたくさんじゃ、なんか、面白れえ。では右手を挙げてみよう。おお、右手を挙げるやつと、左手を挙げるやつと、面白れえ。では今度は左手を。おお、面白れえ。では、今度は両手をと。むむ。右側に向かって3番目のやつ=俺、右手しか挙げてないじゃん。ああ、あいつ今度はアカンベエをしやがった。あれ、俺もみんな=俺もアカンベエしてるし。俺ってどれ?ってみんな俺?って、俺も偽者で3番目のやつが本物か?って俺って誰?って、俺って偽者なの?

 本書『九十九十九』のイメージっていうのが、大体こんな構造なのである。全部で7章の構成になっており、第1章、第2章と読んでみると、間違いなく本格物。主人公九十九十九(つくもじゅうく)は「大爆笑カレー」と一緒に育ち、ある殺人事件に遭遇する。探偵神の主人公は、誰にもわからないような推理でその謎を解くのだが…というのが、第1章。第2章でも、その主人公が、歩きながら急に火だるまに包まれて死んだ男の謎を解く。ところが、第2章では、実は第1章の話は主人公の辿ってきた過去の話ではなく、第2回メフィスト賞を受賞した講談社ノベルス作家清涼院流水が書いた小説だという。そして第3章に入ると、実は第1章と第2章は清涼院流水が書いた小説であったということになり、第4章に入ると第1章から第3章までは、清涼院流水が書いた小説だと主人公は言うわけで、章も最後のほうになってくると、清涼院流水の意図により同様の小説を島田荘司や笠井潔や京極夏彦や、な、な、なんと村上春樹までもが手がけて書いているわけで…なんじゃ、こりゃ!である。カオス(混沌)の洪水なのである。

 評者は実は清涼院流水の小説は読んだことがないのだが、本書を読んでいると、ここまで実在の作家清涼院流水を引き合いに出すということは、覆面作家舞城王太郎は清涼院流水と同人物か?とほんのちょっとだけ思っちゃたりするわけだし、まあ、そんなことはないにしても、島田荘司や笠井潔とは知り合いかもしれんが、村上春樹まで引き合いに出すっていうことは、覆面作家舞城王太郎は実は村上春樹にまでわざわざ電話して“村上さん、今度僕の小説に名前出させてもらいますんで、ヨロピク”なんて言ったのだろうか?なんて思っちゃうし、いやいや、そういう断りは出版社の担当者が代わってするだろうと思い至るし、そういえば文中で出版社の人物が登場するが、この人物が実は舞城の本当の姿であって、覆面作家舞城王太郎は実は講談社の人間であって、だから清涼院流水のこともあんな風に書けるし、他の作家にも話通しやすいわけなのかわけわからん評者。

 ところで、本書には、舞城王太郎のすべてが入っていると言ってよい。福井県西暁も東京の調布も舞台だし、アルマゲドンも出てくるし、掲示板天の声も出てくるし、本格推理も出てくるし、擬態音も新鮮だし、形而上三島文学賞的であるし、そういう意味で舞城ファンは必読の本かと思うし、逆にそういう要素を知らない舞城ファンでない方が本書から舞城に入ろうとすると、こりゃあもう、受け付けない、アレルギー、蕁麻疹。舞城ファンの評者にとっては、限りなく◎に近い評価○。第2章まで読んだときは、間違いなく◎だとおもったんだけどねえ。多分、清涼院流水を全部読んでいて、舞城はこの作品以外は全部読んでいて読んでないのが本書『九十九十九』だけという方には、読め、読め、読めの大傑作…なのかなあ。(20040129)


 と、以上、勝手に過去の文章を挿入して字数を稼いでみた。しかし、それが無意味かというとそうでもなく、本書を読んだとき、『九十九十九』を読んだときの読後感に大いに似たものを感じたのは確かなのである。ただし、あちらは一応長編。本書は短編集。やはり何かが違うわけで、じゃあ何が違うのかというと切れ味である。短編集である本書のほうが切れ味は鋭いし、スピード感もあるし・・・でもやはり短編、物語が紡がれてはいないのだなあ。舞城の紡がれる物語が読みたい評者には、ちと残念なのだなあ。

 しかしやはり切れ味には流石のものがあって、積み磨かれてきた、舞城の技(わざ)が繰り出される短編集なのである。擬態音に対する感性、放り出される言葉への共感、形而上から繰り出される夢と現、そんな他者が模倣不可能な手垢のついていない独特の舞城節で、この短編集は出来上がっているのである。ゆえに、初舞城で本書はお薦めしない。今まで舞城をコンプリしてきた者だけにわかる、評価できる、舞城ワールドなのである。イッツアスモール狭窄ワールドなのである。

 舞城を読みたいのなら、本書を初舞城にするなかれ!そんな警告を発したくなる一冊である。(20061124)

※直木賞より、芥川賞寄りの舞城王太郎ワールドである。(書評No680)

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by kotodomo | 2006-11-26 08:55 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2006年 11月 23日

私は、その森祐介ではございませぬ。


 先日、鹿児島の我が家に帰省していたとき電話が鳴った・・・
(勿論、評者は通常の住まい人じゃないので電話は取らない。取ったのは嫁さん)

“・・・違うよおぉぉ!今、帰ってきて家に居るけど、それは違う人だよ。
本の感想は書いているみたいだけど、本は書いていないよぉぉ・・・ガチャン”

“何だったの?”と評者。

”話題になっている本があって、今のYさんからの電話なんだけど、ご主人の本じゃない?って”

意味がわからないまま、最近その本の存在を知る。著者名は森祐介。
同じ名前を初めて見たど・・・いや、昔、名前でググったら、俳優にいたけどさあ・・・
どっかの高校の吹奏楽部や陸上のエントリー選手にもいたけどさあ。

しかし、上の話のミソは・・・
“あなた?本か何か書いたの?印税か何か入ってきてるの?”と訊かない嫁さんとの夫婦の在り方。

とにかく正直に生きている今なのである。

そして、私は、決して、その森祐介ではございませぬ!!!
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by kotodomo | 2006-11-23 21:27 | メモる | Trackback(1) | Comments(0)
2006年 11月 22日

断読しました


『シンデレラ・ティース』坂木司。

連作短編の第一話読んで、二話目途中でもういいかと。

最近、読めていないので、こういうライトなノベルより、ずっしり来るほうがいいもので。

狙いはいいんですけどねえ。歯医者さんをめぐる、歯をめぐるミステリー。


ところで、評者の高校時代の同級生たちは、医者もしくは歯医者になっている輩が多い。
当時、みんなアホだったのに、ちゃんと今は先生なんて呼ばれて。

そいでもって、先日、歯医者をやっているやつと飲んだとき面白い話をしていた。

繁華街で雇われの歯科医だったのを、独立して、少し離れた同じ地区に開業した彼。

たま~に、前の勤め先で自分が治療をした患者が来るそうな。
顔では気づかないそうな。

なんと口の中見ると、この口、この歯並び、この治療跡、知ってる!俺、いじったことある!

そういう風に気づくそうな。

知らない世界の話って、そういう風に面白いわけで、多分この本も面白い人には面白いはず。
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by kotodomo | 2006-11-22 12:00 | メモる | Trackback | Comments(4)
2006年 11月 20日

◎◎「禿鷹狩り-禿鷹Ⅳ」 逢坂剛 文藝春秋 1890円 2006/7

b0037682_15321813.jpg 表紙の絵を見ていただきたい。禿鷹シリーズは、毎回この表紙の絵と、章の頭に挿入されている同様の挿絵が印象的で楽しみな評者なのである。今回も各章の扉の絵を見て、その章の内容を読み終え、冒頭の絵がはたしてどのシーンを表しているのかを考えるのが楽しみだった評者。しかも、その楽しみは、今回が最終である。なぜならシリーズ四作目にして、本書が最終話になるからである。理由は読めばわかる。

 ところで、章ごとの挿絵は物語との関連性はあるが、掲載した本書の表紙絵も含め、全シリーズとも表紙の絵はイメージ画であって、物語のあるシーンを表しているわけではない。表紙の絵をよく見てほしい。“澄ました顔でカウンターで電話をかけるスナックのママ。そこに向かって歩く男。その男の後ろで、屁を嗅がされて倒れてしまったピストルを持った男の話なんて出てこないわけで(絵の解釈が間違っている?)、まあ結局この絵は、禿鷹の屁は銃よりも恐い、なぜなら背中を向けていても発射できるのだから、大体こんなことをイメージした絵なのである。ウソである。

 今回は、題名からも想像できるように、禿鷹を狩れという指名が冒頭で出される。出した人物も出された人物も明かされない。しかしながら、読者は読んでいるうちに、あの人物がこいつに指示出したんだろうとわかってくるわけで、冒頭の話からするとどうも余命が幾許もないんじゃないかとも想像もされるわけで、それじゃあ、こいつは癌かなんかでやけっぱちに命を張って禿鷹狩りをしてるんだ、なんてわかったふりをして読み進めるわけで・・・でも、そうじゃないんだなあ。

 だから◎◎の評価の評者なのである。読みながら、中々面白いなあ、でもシリーズを読んでいない人にはどうだろう、でもまあ面白いよなあ、評価は◎にしよう(^O^)/なんて思っていたら、最後の最後に・・・ところが、その最後の最後の意味がわからない。考える評者。考える聖月様。で、その意味がわかったときに、全体の構図やあるシーンの意味が違う見え方をしてきた評者、聖月様。禿鷹シリーズ、最後の最後にサプライズなエンディングを迎えるのである。

 これまでの前三作でも、また本書でも、どこまでも極悪な刑事禿鷹。やくざよりやくざ。おまけに公権力まで持っているので、そのあくどさは止まるところを知らない。悪いやっちゃなあ、どこまで悪なんかなあ、なんていうのが、このシリーズの見所なのである。ところが、本書では、その極悪禿鷹をこの世から排除しようという人物が登場するわけで、そうなるとなぜか“禿鷹頑張れ!負けるな!嵌るな!”と応援しながら読み進めた評者なのである。そして、衝撃的で意味深なラスト・・・もう禿鷹には会えないんだなあ。

 シリーズ三作目の『銀弾の森』でも書いたが、単体でも面白いシリーズ作品群。でもやはり、全四作をひとつの作品として読めば、大いに読むべしな禿鷹の物語なのである。(20061119)

※図書館で予約なしでやっと借りた本書(書評No679)

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by kotodomo | 2006-11-20 15:32 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2006年 11月 19日

ミーシャを観る


嫁さんの兄貴は九州交響楽団のビオラ奏者である。
その奥様はピアノがバリバリ。

九響の奏者という職業は、それだけで食えなくもないが、
贅沢できるほどのお給金でもないらしく、副業も許されているので、
大抵の場合、自分たちでユニットを組んで演奏したり、音楽教室を開いたりして、他に収入を得るものらしい。

そんなことで、兄貴夫婦は、もう随分長いこと、博多の地で、音楽教室を開いている。

昔、教室にピアノを習っている女の子がいたらしい。名前はイトウミサキ。
ピアノを習っていたらしいが、ある日突然“東京に行って、声楽の勉強をします”
そういい残して、教室をやめていったとのこと。

しばらくして、奥様のほうが、テレビを観ながら驚く。
“あら♪ミサキちゃんがテレビに出ている♪”
今をトキメク、アーティスト、ミーシャである。

そのコンサートに昨夜行ってきた。
場所は、掛川。連れは、24歳独身女性、むふふ。
彼女のほうの仕事が忙しく、到着は開演後35分。
おお!凄い!拓郎コンサートと違って総立ち!
それが初っ端の感想・・・ところが・・・

その後、静かな曲が続くとみんな座っちゃって全然立たない。反応が悪い。
全曲終ってアンコールの声・・・
ミーシャ登場・・・連れの彼女は手拍子で立ち上がる・・・
周りの観客は・・・手を叩くも立ち上がらない・・・キョロキョロしたあと、仕方なく座る彼女、クホホ。
しかし、静岡の観客、ノリの悪い素人の聖月様からみても、えらくノリが悪かったのう。

で、内容はどうだったかというと、これがすこぶる素晴らしい。
音楽素人の聖月様なので、少しの曲しか知らないミーシャ。
しかし、知らない歌も素晴らしいし、とにかく歌唱力、それに舞台演出・・・
堪能した聖月様なのであった。

ミーシャのファンになろうと誓った夜だった。
コンサートの合間に“喋り”さえなければ日本一の歌姫のファンに。
“喋り”は下手であった。隣の彼女はそれを“可愛い♪”と言っていた。
ジェネレーションギャップ?性差?
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by kotodomo | 2006-11-19 11:04 | メモる | Trackback | Comments(6)
2006年 11月 17日

深町秋生を注文、町田康を注文

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by kotodomo | 2006-11-17 15:03 | メモる | Trackback | Comments(0)
2006年 11月 13日

◎◎「偽りの目撃者」 ハーラン・コーベン ハヤカワ文庫 966円 1998/1

b0037682_9432029.jpg いやあ、国内物ばっかり読んで、面白くないとか読書に気が乗らないとか、そんな感じの最近の評者。まあ、年齢的に読書体力や意欲が減衰し、おまけに余生なんて考え方まで浮上して、まあ余生は楽しくなんて結局飲酒で記憶をなくし、翌朝を迎えるなんて生活を選択しがちなんて理由もあるんだけどね。そういう読書不調時には、そのために積んでおいたマイロン・ボライターシリーズの出番である。本書はシリーズ二作目の作品である。とにかくこのシリーズは安心印の娯楽傑作シリーズなのである(と一作目を読んだときに確信した)。

 主人公マイロンの職業はスポーツエージェント。有望選手とエージェント契約を結び、選手にはスポーツに専念させ、選手に代わって色んな交渉ごと、売り込み、そんなことをする代理人っていえばわかりやすいかな。前作『沈黙のメッセージ』ではアメフトの世界を題材に、本書『偽りの目撃者』ではテニス界を題材にとっている。原題は『Dropshot』。

 内容を紹介するよりは、未読の方のために、本シリーズの魅力を語ったほうがよいだろう。コミカルなハードボイルドっていうとピンとこないかもしれないが、とにかく“口答え”や“強がり”や“大げさ”や“小粋”や“無意味”が会話の中に多く登場してくるのが特徴である。日本人的にはわかりにくいギャグもあったりするのだが、結局は流れの中で読ませてくれるので、多少の澱みは気にならない。会話でないところでも、筆の遊びが多く、とにかく肩の凝らないノリノリの物語なのである。

 美人の恋人がいるなんていうのはありふれた設定だが、影武者相棒的なウィンの人物設定がファンタスティックである。どういう人物かは読んでみてくれなのだが、どういう役割かというと水戸黄門の風車の弥七、どういうマインドの持ち主かというとゴルゴ13だということだけは伝えておこう。裏を返せば、著者が物語の進行に壁やハードルを感じたときにこの人物を登場させれば、物語は順調に進むわけで、そういう便利な人物なのだが、とにかくそのゴシックな胸中に読者も痺れてしまうので、ウィンが登場する場面では評者も“よう!待ってました!”と叫びまわってパンツに漏らすくらいである。

 あと、スポーツに興味ない、だから読んでも面白くないかも、なんて下手に思うなかれ。本シリーズは万人向け。アイスホッケーなんか知らないし興味ない女性も、キムタクの役回りがそれだからと言ってドラマを観ないわけじゃないのと一緒で、とにかく面白い小説は、舞台設定に頼らず面白いのである。脚本が良くて、役者が良ければ面白いのである。

 読むべし、読むべし、べし、べし、べし!!!の本シリーズ。知らなかった方は、今すぐ古書店に走って、本シリーズを100円でゲットすべし!(20061112)

※シリーズ三作目は、少しまた読書に行き詰ったときに読もうっと(^.^)(書評No678)

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by kotodomo | 2006-11-13 09:43 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2006年 11月 11日

明日から鹿児島&福岡拓郎

鹿児島の自宅へ帰って、14日には福岡へ。
仕事の相棒と吉田拓郎コンサートに行くのです。

b0037682_9381945.jpgb0037682_9362828.jpg旅のお伴は『偽りの目撃者』ハーラン・コーベンと
『禿鷹狩り』逢坂剛あたりかな。

ハゲタカのほうは、やっと図書館でゲット!



他にも2冊図書館で借りたのです。
『彼女について知ることのすべて』佐藤正午
『シンデレラティース』坂木司






おお、そうだった!
新刊本も2冊購入(^O^)/
『ナイチンゲールの沈黙』海堂尊 略してナイチンチン・・・略すな!自分!
『SPEEDOBOY!』舞城王太郎 久々の舞城だど!

ところで拓郎コンサートは去年に引き続き2回目。
昨年の記事は・・・っと

春だったね

吉田拓郎コンサートを福岡サンパレスにて・・・
生まれて初めてのコンサート体験である。43歳である。

何から書いていいがわからないが、「本のことども」には登場人物たちがいて、
一番有名な“嫁さん”という人物との出会いが高校2年だといつも言っているので、
評者の青春はそこから始まっているように思うかもしれないが、
実は別の登場人物“仕事の相棒”、この人物との出会いは13歳である。
“嫁さん”より前の評者の青春には、実はこの“仕事の相棒”が居るのである。

今回、生まれて初めてのコンサート体験は、その人物からのプレゼント。
評者の意思に関係なく買ってくれ、わざわざ東京から福岡同じ道行。

で、最初の4曲くらい聴いたとき、なんだかウルウルしてきた評者。
勿論、初のコンサート体験、その圧倒的臨場感、照明効果なんてのもあるのだが・・・

自分の14歳が、記憶の中から溢れてきたのである。
あの狭い我が家で姉貴が聴いていた、あの歌詠いが目の前で歌っている・・・
中学の修学旅行は、熊本、長崎中心の、福岡はただ帰途の基点のみ。
鹿児島までの帰りのL特急の中で、評者の横で“人生なんて、らら~ら、らっらら~ら”と
同じ節をそこしか知らないように50回も謳っていたのが当時の“仕事の相棒”。
自分たちだけでなく、その周りの当時の風景とか、女の子とか淡いシーンだとか・・・

要するに、そんなこんながどんどん溢れてきたのである・・・

チケットは一万円らしいが、金には代えられない思い出をありがとう、“仕事の相棒”君。

周りの観客は、ほとんど自分たちより上のオジサン、オバサンだったけど、
そんな中で聴いていた自分たち二人は学生服をまとって見えたかな。
自分たちの変わらぬ青春に幸あれ。

ついでに、自分の前に座っていた50代の素敵な感じのご夫婦。
奥様は乗っちゃってすぐ立っちゃうけど、旦那のほうはずっと座ったまま。
“朝日が昇るから~起きるんじゃなくて~”その場面でやっと立ちましたね、ご主人。
この奥様、拓郎の笑かしにすぐ可笑しそうに笑っちゃうんだけど、笑いながら
人の顔を見る。そういう性質の人らしい。ウフフ・・・って笑いながら、ご主人の顔を見る。
あなたたちの昔の青春と、今の青春にも幸あれ。
“今は~まだ、人生を、人生を~語~らず”で、結局ご主人また座っちゃったけどさ。

14歳の色んなこと、色んなシーン・・・

あゝ  僕の時計は  あの時のまま
  風に吹きあげられた  ほこりの中
  二人の声も  消えてしまった
  あゝ あれは春だったね♪

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by kotodomo | 2006-11-11 09:56 | メモる | Trackback | Comments(3)