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2008年 06月 24日

◎◎「検死審問-インクエスト」 パーシヴァル・ワイルド 創元推理文庫 882円 2008/2


 このミス2008年版に『長いお別れ』レイモンド・チャンドラーが、20位枠外ながらランクインしていたのだが、これは村上春樹の新訳ということで、新訳はこのミス投票の対象になりますよということらしい。

 だったら、ここだけの話、本書『検死審問』も新訳ということでこのミス2009年版の1位になってもいいんじゃないのかな。もう、70年くらい前の作品ながら、そのユーモラスな会話は全然古臭くないし、あるお屋敷での殺人事件?の話なので、非常にコージーで文明が云々という部分もまったくないからである。とにかく、最初から最後までニヤニヤしながら読んだ評者なのである。

 あの傑作『探偵術教えます』のあとがきで、本書『検死審問』(旧訳としては『検死裁判』という題名での紹介)のことに触れていたのだが、どうやら絶版のようで、今回の新訳出版でようやく出会えることになったのである。創元社さん、訳者の越前敏弥氏に感謝であるm(__)m

 とにかく、読んでいること自体が楽しいユーモア本格ミステリーである。いきなり検死審問の場から物語が始まるのだが、まず読者は、どういう事件があったのか、誰が死んだのか、そんなところからわからない。

 で、証人が喋りだすのだが、おおよそ事件に関係のないことばかり話すので、一体何があったのかに辿りつくまで、読者は証人の無駄話に付き合わなければならない。しかし、この証人の無駄話がミソで、この無駄話により、読者は事件の背景を埋めることができるのである。

 また、どういう事件なのか、読者が辿りつくことも楽しみのひとつなので、こういう作品の場合、粗筋紹介自体がネタバラシというか読書の楽しみを奪うことになるのが頭が痛いノーシンバファリン。

 ああ、もう面倒だ。本書『検死審問』は、今年一番の収穫ミステリーである。1940年の作品ながら、2008年一番の収穫なのである。本屋に走れ!図書館に予約しろ!AMAZONで注文したまえ!とにかく、読むべし、読むべし、べし、べし、べし!!!万人がニヤリと笑う面白ミステリーなのである。(20080622)

※『検死審問』・・・図書館にないよと言う方は、多分『探偵術教えます』は多くの図書館に置いてあるので、まずはそちらからお試しを。(書評No812)

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by kotodomo | 2008-06-24 10:45 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2008年 06月 24日

パーシヴァル・ワイルドのことども


  ◎ 『悪党どものお楽しみ』
◎◎ 『検死審問-インクエスト』
◎◎ 『探偵術教えます』

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by kotodomo | 2008-06-24 07:47 | メモる | Trackback | Comments(0)
2008年 06月 23日

◎◎「TOKYO YEAR ZERO」 デイヴィッド・ピース 文藝春秋 1850円 2007/10


 このミス2008年版の海外編3位の作品なのだが・・・全然、国外作品という気がしない。作者のピースは、現在は日本在住。巻末の参考文献から察するに、日本語や日本の文化に随分と通じているようであるし、とにかく本書の文体や雰囲気が、日本人が書いたレトロ文学と遜色ないのである。レトロといっても、怪しく虚無的な文章が全体を覆い、小泉八雲を崇拝しているというのもわかる気がする。まあ少なくとも、原文は英語で書かれたわけで、海外でも同時発売、翻訳者も別にいるというところでは、国外作品ということになるのだろうが。

 評者的には、京極夏彦と太宰治の匂いがする文体。読みながら、太宰的だけど太宰の影響はなかろうと思っていたら、参考文献に太宰の名も連なっていたので、影響というほどはないかも知れないが、当らずとも遠からずといったところ。勿論、京極なんかは参考文献に入っていないが、小泉八雲あたりで繋がっているのかもしれない。

 あと、非常に特徴的なのが、リアリィティ溢れる独特の文体。どこかの書評で「読みにくさ」と表現していたが、評者的には「リアルさ」と映った。例えば、評者がどこかの会社を訪ねたとしよう。そこの受付嬢へ、社長への面会を申し出る。受付嬢は、社長に内線確認を取ったあと、2階にある社長室まで先導してくれる。階段の4段先を行く受付嬢。評者としては、見たい見たくないに拘らず、目の前に受付嬢のケツがあるわけで、心の中で“ケツだ、ケツだ、ケツだ、ケツだ・・・”と上がりつくまで思っているわけで、だけど普通の文学や物語では、そういう些事は表現しない。例えば、評者が水虫を患っていて、そのときに喫茶店で誰かと会話していても、評者の心中を描写するなら、“あ、その話なら知っている。でも、足が痒いや。じゃあ、こう言おう。なるほど、そうきたか。でも、足が痒いや。ほう。足が痒い。やっぱりね。でも、痒い痒い痒くてたまらん・・・”そういうことなんだけど、文学や物語は大抵の場合、そこらへんの些事なリアルはいらないのである。

 こんなこと書くと、まるで本書で作者のピースがコメディしているみたいだが、幻想的で怪奇で形而上的で重く暗い背景の中でそれをしているので、雰囲気のリアリィティは増加し、サブリミナルな効果も生まれてくるのである。

 物語は、終戦の玉音放送のとき、そしてそれから一年後のドサクサの時代である。すべてが破壊され、復興の兆しの中、誰が死んだのか生きているのかも明らかでなく、憲兵だったものはGHQから逃れるため身分を偽り、不明の者の生を借り、人々はまだ生き残るために食糧を求める生活から抜け出せず、闇市は立ち、目が潰れるようなアルコールに頼り、それでも男は女を欲し、闇の中で女は男を誘惑する、そんなドロドロした時代である。そんな時代に、身元のわからない女性の腐乱死体が発見され・・・。

 本書は、どうやら○○ミステリーであるらしい。あとがきを読んで知ったが、そんなのはどうでもいい。作者の企てに気付こうが気付くまいが、それ以前に本書は文学なのである。読者がその物語世界に迷い込み、後半部及び最後の意味がわかろうがわかるまいが、感じるものがあるならそれでいい、そういう文学なのである。情念の文学なのである。(20080617)

※図書館では意外に人気なく、いつも書棚に置いてあり、何回も借りて読まずに返して、やっと読んだ今回なのである。(書評No811)

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by kotodomo | 2008-06-23 17:08 | 書評 | Trackback(1) | Comments(0)
2008年 06月 17日

〇「お金物語」 清水義範 講談社文庫 500円 1991/10


 お金に関するエトセトラ作品集である。中には「黄金狂い」なんていう、錬金術、ジパング伝説、ゴールドラッシュ、黄金狂時代と史実を基に書いたノンフィクション的な作品もあれば(この話で評者は初めてフォーティーナイナーズ※49'sの意味を知った)、「金色夜叉」のようにいつものパスティーシュ(模倣)作品もあれば(この話で初めて「金色夜叉」の夜叉の本来の意味に気付いた=作品を読んだことがなかったもので(^^ゞ)、「被相続人」のように日常にいかにもありそうな出来事を小作品にしました的な作品もある(ほとんどの作品が、この部類に入る)。

 しかし、中でも評者が一番気に入ったのが、「事の初め」。お金というものがなかった狩猟農耕時代に、どういう風にしてお金が発達していったのか、金貸し(銀行)、サービス(売春)など、お金を取り巻く環境がどういう風に付随していったのか、そういうのを面白可笑しく、そしてわかりやすく物語にしているのである。

 評者も、お金については考えたことがある。その昔、知り合いにこういうことを言った人がいた。“ソ連とか朝鮮とか、貧困に喘いでいるんだったら、どんどんお金をばら撒けばいいのに”・・・発言者は50歳を過ぎたホテルの板長。これは間違いである。お金は価値の対価であり、価値を作らないことには、単にインフレを招くだけなのである。同一国家内、同一経済内において、価値よりお金のほうが多くなれば、お金の価値が下がるだけなのである。でも、日本という国家内の極一部、つまり聖月様の家庭だけ遊んで暮らしてお金が入ってくるなら、日本経済に影響は与えないので、造幣局さんや宝くじ事業者さんは、そこんとこ宜しくm(__)m

 で、この作者の場合、そのお金の普及について、すごくわかりやすく説明している。価値と価値の交換の際に、それぞれの価値に差があった場合、そこに価値を表すお金が介在してくるというのである。わかりやすく言うと、海の民が魚5匹を山の民のところへ持っていく。山の民は、それなら鶏2匹と交換だと言って取引は成立する。ところが、海の民はイノシシ一頭と交換してほしいという。魚5匹では足りないのはわかっているが、祭事でイノシシが必要なのだと。埋め合わせは次回にすると付け足す。すると山の民はこういう。忘れたふりをするんじゃないのと。海の民はこう答える。じゃあ、この桜貝を5つ渡す。この桜貝5つが今回の価値の差額だと。次回、その桜貝を山の民が示せば、その差額分の海の幸を渡すと・・・こうやって、お金というものが生み出されるわけだ。どうですか?わかりやすいでしょう。最初に物々交換ありき。交換の価値の差が生じる。そして、そこに価値を示す貨幣が誕生するのである。

 とにかく、この作家の小品集は、何気ないことばかり書いてあるのだが、その軽さの中に考えさせられる部分を内包している。そういう意味で、読んで損のない作品群を生み続けているのである。(20080615)

※「事の初め」内容も面白いが、登場人物たちの名前に抱腹絶倒(^.^)(書評No810)

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by kotodomo | 2008-06-17 14:27 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2008年 06月 11日

×「ステップ」 香納諒一 双葉社 2100円 2008/3

b0037682_93999.jpg amazonでの評価を見たら、2008/6/8現在、3名の方が感想を書いていて、3名ともに5つ星である。しかし、評者の評価は×。つくづく、人の好みは・・・なんて思った次第である。

 評者的には、決して天邪鬼な気持ちはない。これまで、この作者の本を4冊読んできたが、すべて◎以上の評価で、この作家に対する信頼はあるし、その作家がタイムスリップ物を書いたということで、図書館に入荷されるやいなや、いわゆるアズ・スーン・アズで期待して借りてきたのである。ところが・・・。

 とにかく、読んでいて、ハヨオワレ、と久々に感じた物語であったのことよ。読み始めこそ、そのハードボイルドな筆致に“おお、いつもの香納節!”と思ったのだが、主人公の人格も次第に揺らぎ始め、最初こそ心の強い男と映ったのだが、中盤からはふにゃふにゃグダグダ男になってしまう。また、その他の登場人物の行動も蓋然性に乏しく、なんでそういう行動を取るのかわからないのである。物語の都合のいいように動いているだけなのである。
 
 色々と注文はあるのだが、次の二点が評者の納得のいかないところである。

 まず一つ目は、ルールが明確になっていないことである。『リプレイ』グリムウッド、『Y』佐藤正午、最近では『リピート』乾くるみ、『七回死んだ男』西澤保彦など、同様の設定の物語は読んできたが、好悪は別にして、すべてルールは明確に定義されている。もしくは、読み進めるうちに、明確になってくる。本書『ステップ』の場合、主人公の男が難局を乗り切ろうとするのだが、結果殺されてしまい、なぜか時間を遡って蘇生しまたその難局に挑むも結局殺され・・・それを繰り返す物語である。結局、なぜそのリプレイを繰り返すのか理由が明確でない。謎の香水が、その理由かも?みたいな描写はあるのだが、それでは読者に対して不親切である。SF的根拠で構わないので(っていうか、リプレイ物語はSFから逃れられないのだが)、しっかりと提示してほしいものである。また、ルールが明確になっていないので、話に破綻が生じている。最初の挑戦では出会わなかった女性。2回目の挑戦(1回目のリプレイ)で、小山というやくざ者の家に忍び込んだときに出会う。3回目のときは、その忍び込みの場面より時制が手前にリプレイするのだが、そこでは二人が小山というやくざ者の家で出会ってないことになっている。じゃあ、2回目に起こったことは3回目の既成事実とはならないんだと思うが、その後のリプレイにおいては、それ以前のリプレイで起こったことは既成事実として話が進行していくわけで、ルールが曖昧なのである。

 二つ目は、リプレイの仕方が、ワンパターンであること。結局、本書の構成は、初期の頃のパソコンアドベンチャーゲームと一緒で、冒険の途中、道が左右に分岐していて、右を選んだら死んじゃったから、やり直しのゲームでは左に行ってOK、次の分岐で間違って死んじゃったら、またやり直して話が進み・・・延々それの繰り返しなのである。だから読んでいて、モウワカッタカラ、ハヨオワレ、と、うんざりしてしまうのである。

 とにかくこういうリプレイ物は、もう何度も色んな作家が試してきた手法で、香納諒一バージョンは如何に!と期待して読み始めただけに、落胆の大きい評者なのである。そこに新しさはなく、『七回死んだ男』西澤保彦の模倣以上のものはなく(いや、この作家は模倣なんかする作家だとは思っていませんが)、大変に大変に残念なのである。(20080607)

※途中から、軽読みしてしまいました。(書評No809)

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by kotodomo | 2008-06-11 09:39 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2008年 06月 11日

香納諒一のことども


  ◎ 『幻の女』 既読書評なしm(__)m
◎◎ 『贄の夜会』
  ◎ 『冬の砦』
  ◎ 『孤独なき地-K・S・P』
  × 『ステップ』

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by kotodomo | 2008-06-11 06:42 | メモる | Trackback | Comments(0)
2008年 06月 10日

〇「佐賀のがばいばあちゃん」 島田洋七 徳間文庫 540円 2001/7


 先日、鹿児島県内の地方へ出張。途中、アポイントの時間に余裕があったため、こういうときはブックオフ。昔は欲しい本があれば結構買い漁っていたのだが、今の評者はまず100円コーナーでしか買わない。で、収穫のあった一冊がこれ。

 しかし、昔から思っているのだが、ブックオフの値付けは結構いい加減。本書『佐賀のがばいばあちゃん』も、評者が見つけた100円コーナーにも、300円くらいの値段で普通のコーナーにも置いてあったのだが、明らかに100円本コーナーの本のほうが新品同様。でも、そういうことがままあるのがブックオフの魅力でもある。だから、これからも値付け、いい加減でいいからね、ブックオフ様。

 ところで、最近随分と興味があった本書である。実は評者はちょっとだけTBSの安住アナのファンである。元々テレビをあまり観ない評者なのだが、晩酌のときに何気なく観るのであれば、安住アナの出ている番組がいいかな、程度の安住ファン(ついでに、関係のない話だが、デブの石ちゃん:石塚英彦も好き♪)。一時期、その番組に島田洋七が出ていて、本書をベースにした笑い話や体験を披露していて気になったのである。

 で、読んでみた・・・まんまである。島田洋七がテレビで語っていた話のそのまんまが本書の内容なのである。いくらかは、評者が聞いたことのないエピソードも含まれていたが、ほとんど重複する内容ばかりで、そういう意味で新鮮さはない。しかしながら、苦労人の知恵や教訓が収められた良書でもある。

 確かに、現代は豊かになり過ぎた。我が家の娘たちはおやつに事欠かないし、お金の心配なしに習い事、修学旅行、友人とマックなんかするわけだし、遊び相手がいなくてもゲームと遊んであるし、ハリーポッターが出るたびに父親が買ってあげてるし(^.^)今現在46歳の評者。昔はバナナなんて、やはり特別な食べ物だったし、粉ジュースがすごく嬉しかったし、野球は得意だったがバットもボールもグラブもすべて借り物だったし、たまには砂糖水なんか作ってそれが美味しかったし、とにかく、ないなりの生活の楽しみみたいなのがそこにはあったのである。

 今、夏の暑い日にクーラー使わずに、窓全開にして、蚊帳なんか吊っている家庭って、全国にどれほどあるんだろう。暑かったけど、あれはあれで懐かしい思い出なのだなあ。蚊帳の上にボール置いて蚊帳バレーボールなんかしたなあ。蚊帳の中に蚊が入り込まないように、入るときは気をつけたものだったなあ(^.^)(20080606)

※最近思うのだが、大学時代まで、水は水道水を飲んでいた。それが、もう随分と水道水を飲まなくなったなあと。色んなところで、贅沢しているんだよなあと。(書評No808)

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by kotodomo | 2008-06-10 08:43 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2008年 06月 09日

◎◎「無頼の掟」 ジェイムズ・カルロス・ブレイク 文春文庫 810円 2005/1


 色んな面白要素が詰まったエンタメ小説である。冒頭の強盗劇→監獄物語→脱獄劇→一転してのロードノヴェル→クライム小説、そして背景にある追跡劇。こんな面白い小説、読まないのは勿体無い。翻訳物は読まないという人は多いが(世のブロガーたちの多くの傾向)、そんなのは勿体無いですよ。せめて、このミスランクイン作品で自分に合うかも♪そんな小説からでもいいからお試しくださいませ。まあ、本書『無頼の掟』からでも。

 本書の一番の特徴は、まずその読みやすさにある。冒頭の銀行強盗のシーンから、ハリウッド映画のワンシーンが始まるような感じ。双子の叔父を銀行の外で車を待機させ待つ主人公。ちょっとしたハプニングから、警察に拘留。強盗の共犯の嫌疑は決定的ではなかったのだが・・・拘留中の予期せぬ出来事により、脱出不能と言われるプリズンへ・・・。

 普通の小説だと、最後のワンシーンで脱獄成功めでたしめでたし、そんなところまで引っ張りそうなものだが、その脱獄劇も物語の前半の一部でしかない。

 実は、評者、前半途中まで読み間違っていたのだが、本書は現代アメリカの話ではなく、1920年代の古き良きアメリカ西部の物語。だから奴隷制の名残りや、金や石油に沸く町の後半のシーンなど、いかにも当時のアメリカらしい西部らしい風景が、段々と映画のシーンのように展開されていく。

 そうそう、書き忘れていました。青春物語、恋愛物語でもあるのですよ。とにかく読んでいて思いだすのが、映画「明日に向かって撃て」、そしてなぜかアラン・ドロン&リノ・バンチェラ「冒険者たち」も。後者は、コンビ、交情、そんなところで連想してしまう評者なのである。

 こういう面白い小説に、これ以上の紹介はいらない。あとは、読者と出会いの問題なのである。出会いたいと思うかどうかなのである。(20080605)

※こりゃあ、『荒ぶる血』も近々に読まなきゃである。(書評No807)

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by kotodomo | 2008-06-09 08:48 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2008年 06月 06日

◎◎「自壊する帝国」 佐藤優 新潮社 1680円 2006/5


 前作『国家の罠』が、雑誌ダカーポが選ぶ2005年面白かった本の第一位に輝き、既読だった評者も大いに頷く。そして、2年連続で本書『自壊する帝国』が2006年の一番面白かった本に選出され、評者はずっと気になっていたのである。

 著者は、外務省のラスプーチンと呼ばれ、鈴木宗男と一蓮托生で勾留された佐藤優。外交官ながら、前作『国家の罠』での筆致は、そこらへんの売文作家を凌ぐ。なんていうか、描いている題材は違うのだが、あの将棋の世界を描いた大崎善生のように、静謐な筆致が沁みてくるような文体なのである。

 気になっていたのはいいが、単身赴任中だった駿府の田舎図書館には置いてなく、鹿児島に帰ってきて、ようやく鹿児島県立図書館から借りてきたのが今回。ところが、他の本を先に消化していたら、返却期限が迫ってきて・・・読まずに返そうかと思って頁を何気なくめくってみたら、これが冒頭から滅茶苦茶面白いのである。やはり、この筆者、文筆家として只者ではない。

 話は変わるが、例えば日本史において、何々時代に誰がこうして、そしてこうなって、なんて学んでも、なんでそうなるのかはよくわからない。大政奉還にしても、事実はわかるのだが、どういうパワーゲームがあって権力を移譲するのか、その背景は日本史の授業ではわからなかった評者。ところが、司馬遼太郎『竜馬がいく』を読んでみると、なるほどそういうことだったのか!なのである。竜馬という人物を中心に据え、基本的にその主人公の視点で物語が進むことにより、印象を含めた背景が浮かび上がってくるのである。

 本書『自壊する帝国』は、あのソビエト連邦の崩壊と、今のロシアや東欧諸国の建国の過程を描いたノンフィクションである。これが、年譜や理由だけを書いた書物なら、日本史、世界史の授業と一緒で、無味乾燥でさっぱり読む者に入ってこないのかも知れないが、外交官の視点、外交官の日常、外交官の交友、外交官の策謀、そういった興味深い視点から物語的に話が構築されていくので、ナマのソ連崩壊を感じることができる貴重なノンフィクション“物語”として読めるのである。

 また、本書のもうひとつの面白さに知的な愉悦がある。例えば、宗教に言及するくだりがあるが、そこで評者は新しい事実(真実)に触れる。ロシア正教の話から、欧州の聖職者の話になり、聖職者が独身であることの深い意味を知ることができる。結局、教会の主教となる人物には多くの利権が集中してしまう。それはそれでいいとして、それが世襲されることを忌避するため、独身制がとられ子孫を残さないようになっているのである。なるほど!また、自国の貨幣の価値が下落してくると、別のものが貨幣として流通する。多くの場合は米国ドルが流通することになるが、ソ連という国では米国ドルの流通は許されない。その場合、どうなるのか?実際には、外国産煙草が貨幣として流通してしまったのである。それも一種類だけ。マルボロが基準価値と流通し、マイルドマルボロだとか、メントールだとかは貨幣としては流通しないのである。経済原則としての、価値の基準は一つ、というのが自然に守られるのである。なるほど!

 前作『国家の罠』の場合、冒頭は入りにくかったが、中盤からは興味深くサクサク・・・本書は逆で、中盤まではいいのだが、後半になると人物名が多すぎて、誰が誰だったかわからなくなり(評者だけか)、少し読みづらくなってくる。

 それでも、本書『自壊する帝国』は、読むべし、読むべし、べし、べし本!久々の、知的充足本であったのことよ。(20080605)

※ひとことでいえば、インテリジェンスな本である。(書評No806)

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by kotodomo | 2008-06-06 10:30 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2008年 06月 03日

▲「バスが来ない」 清水義範 徳間文庫 520円 1994/2

b0037682_11124169.jpg いやあ、この5月、久々に13冊も本が読めてしまった。まあ、3年前までは、月に10~13冊は読んでいたんだけど、生活環境の変化によってそれもだんだん・・・それが、13冊も読めた理由とは!?

 色々あるんだけど、ひとつの大きな理由に清水義範がある。この人の本は、ほとんどが軽い短編集で、なんだか読書ともいえないようなノリでサクサク読めちゃうのである。だから、例えば清水義範本だけ続けて読めば、月間20冊くらいは軽くいっちゃうのである。そういう感じで5月は4冊消化したのが大きかったのである、ははは。

 ただ、清水義範の短編といっても、大きく二つに分けることができる。一つは、あるある共感短編。本書の表題作「バスが来ない」なんかがそれである。評者も、たまにバスを利用することがあるが、バス停に行って人が2~3人待っていると、お!そろそろバスが来るんじゃない?なんて思ってしまうし、誰もバスを待っていないと、たった今、出ちゃったんだろうか?なんて思ってしまう。結局は、バス停の時刻表でそのあたり確認することになるのだが、大体思った通りなのである。そういうよくある日常の場面をデフォルメした短編に、読者は“あるある。わかるわかる。”と共感するのである。本書内のほとんどの短編がその類である。「マイルド・ライト・スペシャル」あまり多くの人が吸わない銘柄の煙草を好んでいる主人公が、出張先で煙草が切れ、必死に売っているところや自販機を探すという短編。「戦慄の寒冷地獄」冷え性の女性の寒冷地獄物語なのである。

 ところが、実は評者が清水義範本を読み続けているのは、こういう短編を読みたいからではないのである。もう一つの種類に属する短編のほうを読みたいのである。それが、この作者の得意とするパスティーシュ物(模倣作品)である。もしくはパロディと言ったほうがわかりやすいかも知れない。パロディ=出鱈目な話、が大好きなのである。

 本書の中では「ねぶこもち艶笑譚」と「語り伝えの歴史」がそれ。前者は、“昔からある地方に伝わっている、ちょっとしたエロ話を土地の言葉で語る”という表現法へのパスティーシュなのだが、その内容も破天荒で面白いのだけど、方言自体が出鱈目な言葉で、その言葉の操りに大いに笑ってしまうのである。男色の和尚を表現するのに“この和尚、じゃにいずじゃったものだから・・・、若い小僧にすまっぷで”なんて方言あるわけないのである。「語り伝えの歴史」も、“日本史を要約して語る語り部のお話”みたいな漠然としたものへのパスティーシュなのだが、とにかく出鱈目でいい加減、大いに笑っちゃうのである。

 これまで読んできたパスティーシュには、たまに元となるお話がどういうものなのかわからない、といったものがあったが、それでもとにかく話が出鱈目なだけで、大いに笑ってしまうの評者なのである。昔テレビで見た芸に、“僕の5年生のときの担任の物真似”なんて、誰も知らない人物の出鱈目な物真似をして、大いに笑かす、なんていうのがあったが、それと似たような感じである。わからないけど、なんだかおかすぃ、みたいな(^.^)

 出鱈目が好きな評者である。だから、町田康の出鱈目な日本語、出鱈目な物語が好きなわけで、清水義範にも町田康の代用品みたいなものを求めているわけで、あるある共感物語も悪くはないけど、やはり出鱈目パスティーシュのほうが好きなのだなあ。(20080530)

※絶版も含めて、130冊以上の作品を上梓している清水義範。長いお付き合いが出来そうなのが嬉しい。(書評No805)

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by kotodomo | 2008-06-03 11:17 | 書評 | Trackback(2) | Comments(2)