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2008年 07月 31日

▲「ゴミの定理」 清水義範 実業之日本社 1680円 2001/1

b0037682_8511064.jpg 今現在46歳の評者なのだが、最近になって死亡広告やら、死亡記事やら、色んなものに対して後ろ向きな興味を持つようになり、あの有名人が60歳で死亡・・・あと14年かあ、はぁ・・・なに?あのピアニストが54歳で?アルコール好きだった?自分と一緒やん・・・あと8年かあ、そういう風に受け止めてしまうわけで、ああ時間がないやん、とか思い至るわけで、じゃあ時間がなくてどうしようかと思うかといえば、その間たくさん本を読みたいなどと思うわけである。

 余命ないのに本?と思うかもしれないが、それは人それぞれで、じゃああなたは?と問われれば、多分つまらないことばかりしか思いつかぬであろう。映画、異性、料理、ボランティア、金、世のため人のため、いづれにしてもどうせ死ぬるのであれば一緒のことであり、人は生まれたときから死ぬために生きているわけで、所詮生きがいなんて人それぞれの価値観でしかないのである。

 ということで、厭世的に本をすごくたくさん読まねばという発想の評者なのだが、清水義範を読むという行為は、これは本好きの評者としても、随分無駄な過ごし方のような気がする。どうでもいいユーモアは、やっぱりどうでもいいような気がしてきて、「ゴミの定理」などという無駄でふざけた文章をガンガンガンガン読破していくという行為は、時間潰しみたいな感じがしてきて、じゃあ生きるってこと自体、暇潰しじゃんという発想も起こってきて、なんだか頭が目茶らん苦茶らんとなってくるのであるが、それでも最近清水義範を読んじゃうのだなあ。生きるのに必要ないのに、コーラを飲むようなもんかなあ。一服の清涼って感じなのかなあ。

 本書はユーモア短編集。どうでもいいユーモア話の中に、一編だけパロディ小説「ドラマチック・ハイスクール」が紛れ込んでいて、評価としては“立ち読みで「ドラマチック・ハイスクール」だけ読めば、あとは読まなくても余生に影響はない”といったところ。

 結局、清水義範を読むという行為は、作品群に紛れ込んでいる自分好みの作品に出会うという、一見無駄が多い行為であるのだが、今のところ止められないのだから、一種の中毒みたいなもので、阿片よりはマシと思って頑張って生きていきたいと思う今日この頃の評者なのである。(20080721)

※しかし、46歳っていうのも、よくここまで生きれたなあという感慨がないでもない。(書評No821)

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by kotodomo | 2008-07-31 08:51 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2008年 07月 30日

〇「破滅の石だたみ」 町田康 角川春樹事務所 1575円 2008/6

b0037682_8532934.jpg いつもの町田康ダラダラ雑文集なのだが、この本の完成のために書かれた文章が載っているわけでなく、これまで未掲載だったものを寄せ集めた感があるので、全体としてのまとまり度は低い反面、興味深い文章も掲載されている。

 まずは「告白」という文章。これは、あの大傑作『告白』を書いた後に、作者が認(したた)めた文章なのだが、新聞連載という形式に関して大体このようなことを書いている。新聞掲載とは、公開執筆なり、反面公開処刑にならぬようしなければ。また、連載中は挿画の畑中純氏の絵が楽しみであったこと・・・なるほど至極である。産みの苦しみと対面せざるを得ないということ、また自分が描いた文章がどういう具象で絵になるのかという楽しみ、これは実際連載という体験をしないと気付かないことかもしれない。

 また、この『告白』という作品の多くの書評を読んだ評者だが、色んな書評の中で“この作品で作者が描きたかったもの”に触れていた部分があったような気がする。それについては、この小文で町田康が“書きたかったもの”について“告白”しているので、なるほど当たり前のことだが、本人の言うことが一番的確な表現なのである。(以下抜粋)「殺人をするにしろ、しないにしろ、人間は色んなことを考えている。しかし、その考えは、本当の考えを考えないために考えによって功名に考えられた考えで、その考えがあるから人間は本当の考えを考えないで安全に生きていくことができるのではないか、と思う。その色んな考えを中途半端に深いところで考えてしまい、考えの泥沼で進退が窮まって、しかし過ぎてしまった時間は元に戻らず、先に進まざるをえなくなり、結果、ついに本当の考えにたどり着いてしまうというのは悲しいことだが、私はそんなことを書こうと思ってしまったのだった。」・・・やはり、作者は何を描きたかったのかということは、作者が一番よくご存知ということで、こんな問いを国語の試験に出す教師は、ズバリあほうであるということである(笑)。

 次に興味深い文章が「私のオールタイム文庫ベストテン」。町田康がベストというからには、ファンたるもの一応読んどこうかというアリガタイベストが載っているのである。『コインロッカー・ベイビーズ』村上龍は、これは評者も◎◎。『蛍・納屋を焼く・その他の短編』村上春樹は、評者の評価は○、中身は忘れた。『真夜中のマリア』野坂昭如は読んだことないが、町田康が野坂好きなのは知っていたので興味はある。『豊饒の海』三島由紀夫は今更読まないような気がする。『叫び声』大江健三郎は読んでもいいような気がする。『脱走と追跡のサンバ』筒井康隆は、なんか興味感じるかな。以下は、多分読まないだろうなあ。『死の家の記録』ドストエフスキー『ジェイルバード』カート・ヴォネガット『羽むしられて』ウディ・アレン『ボロ家の春秋』梅崎春生なんかはね。

 以上のような興味深い文章もあるのだが、後半は他人の本の“あとがき”なんかの寄せ集めで、少しかったるく読み飛ばしてみたりして、でも最新の町田康が図書館で借りれ、嬉しかったのことども。(20080718)

※しかし、町田康、こうやって見ると色んなところに文章寄せているんですねえ。(書評No820)

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by kotodomo | 2008-07-30 08:54 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2008年 07月 29日

◎◎「戸村飯店青春100連発」 瀬尾まいこ 理論社 1575円 2008/3

b0037682_1326189.jpg 久々の青春物、溌剌読書(^.^)いつ以来だろう?最近で思い出せるのは三羽省吾『厭世フレーバー』くらい・・・ということで、過去の記録を調べてみると、2005/9/3に読了しているので、3年ぶりくらいということになる。本当に久々だなあ。まあ、その間、伊集院静の『海峡』や、佐藤正午の『童貞物語』なんかの青春物は読んではいるのだが、ここまで突き抜けた屈託のない青春物は、本当に久々の感じなのである。

 でも、なんで評者は読んだのだろう?自分でもよくわからないのである。県立図書館で発見。借りる冊数には余裕あり。瀬尾まいこは『幸福な食卓』と『図書館の神様』を既読だが、どちらも程ほどの印象。奥付を見ると、割と最近の本。そういえば、この題名、地元紙の日曜読書欄に書評が載っていたなあの記憶。まっ、いいか、借りるだけ借りてみよう、そんな感じで借りてきたのである。で、書斎の棚に放っといて・・・返すまで余裕のあるときに、とりあえず読んで、オモロなかったら読みやめて返しちまおう、なんて読み始めたら、青春物の傑作、ケッサク、大傑作だったのである。こういうのって、嬉しいのことどもなのだ。

 題名に100連発なんて付いているので、ちょっと手に取りにくい気もしなくもないが、実は本書は大阪のコテコテの人々が集う戸村飯店の息子、ヘイスケ、コウスケが主人公。吉本新喜劇も小説内の材料に登場しているので、吉本お笑い100連発くらいの景気付けの言葉と受け止めるのが正しそうだ。しかし、評者からすると、100連発くらいの青春の材料が盛り込まれているような気もする。卒業時のラブレター、バイト、恋、兄弟の若い思惑、そんな青春だからのひとコマを拾い上げていったら100連発っていうか、テンコ盛りではあるのだなあ。

 この小説の一番いいところは、気持ちのいい人ばかりが登場することである。ヘイスケ、コウスケも癖があるのかと思えば、素直なことこの上なく、周りを囲む人たちも気持ちのいい人ばかりなのである。コウスケの恋は実るのか、ヘイスケはこれからどう生きるのか、色んなことが最終的には置いてきぼりにされる話なんだけど、それはそれで許される屈託のない物語世界なのである。

 今年の青春小説の押さえ本だろう。屈託のない小説を読みたい方は、読むべし、読むべし、べし、べし、べし。(20080718)

※瀬尾まいこ=女三羽省吾、今のところ当らずとも遠からず。(書評No819)

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by kotodomo | 2008-07-29 13:26 | 書評 | Trackback(2) | Comments(0)
2008年 07月 22日

皆既日食2009のことども

まだ、全国的にはそこまで騒がしくないが、一年後、つまり2009/7/22、
約6分半の皆既日食が鹿児島で起こるのである。

といっても、範囲は限られているのだが。

で、鹿児島ではもう騒がしい。
地図をご覧になればわかるだろうが、皆既日食を見ることができるのは、青線の帯の範囲のみ。
赤い部分が中心!
b0037682_10121775.jpg

十島村とか、トカラ列島といわれる場所・・・
要するに、ここへ全国から天文ファンが押し寄せるわけだ。
民宿が少しのこの地にである。
テント組も来るだろう。
早い人は、もう移り住んでいるかもしれない・・・本当にそう思う。雨だったら悲しいが(笑)。

で、今朝の地元紙に、自治体の担当者の見解が掲載されていた。
“フェリーしかないので、ある程度、人の動きはコントロールできる・・・”

甘い!甘すぎる!
事なかれ主義の、楽観的な発想だと思う。

誰もが死ぬまでに一度は見たい天文ショー。
評者も島じゃなかったら見たいもんだもんだもんだ。
世界からマニアが、どうにかしてかけつけるはずである。
島民の反発に歓迎、ゴミの問題・・・多分、トイレの数なんて知れているので、立ちション多発。
果たして、どうなることやら・・・
大手旅行代理店、パニックコンサルタント(そんなのあんのか?)、もう動き出しているんじゃなかろうか。

ひとつ提案。
ルポライターも、このお祭り騒ぎ、そろそろ取材に入るべきかと。
今予想される問題。結局予想されなかった問題。格好の材料になると思うのだが。
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by kotodomo | 2008-07-22 10:15 | メモる | Trackback | Comments(0)
2008年 07月 19日

蟹工船の思ひ出

b0037682_8384072.jpg聖月様が、小学校4年くらいのことだろうか。

なぜか知らねど、母親の口から「コバヤシタキジ カニコウセン」という単語が吐き出された。
テレビのクイズ番組を見てのことだったかも知れないし、よくわからない。

聖月様は、その単語をなぜか記憶する。

後年、プロレタリアート文学の代表作であることを認識するのだが・・・

何ゆえに記憶に残ったかといえば
「カニ光線」ウルトラマン?ウルトラセブン?

そんな勘違いな自己刷り込みがあったからであるのことども。

ちなみに未だ読んでないなあ『蟹工船』・・・新潮社の100冊に入ってたっけ?あやふや・・・012.gif
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by kotodomo | 2008-07-19 08:49 | メモる | Trackback | Comments(0)
2008年 07月 18日

△「鼓笛隊の襲来」 三崎亜記 光文社 1470円 2008/3

b0037682_8381276.jpg 直木賞の候補作という理由で読んだわけではない。ただ単純に図書館の棚に置いてあって、“あれ?三崎亜記の新作って、こんな時期にもう簡単に借りれるの?”そんなお徳感で、一応借りてきたのである。

 評者の場合の三崎亜記との付き合いは、勿論デビュー作『となり町戦争』からである。評者的に、随分と気に入ったものである。独特の世界観、静謐な文体、それでも村上春樹などの模倣ではなく、新しい作家が出てきた!そんな喜びを感じた出会いであった。そして、その作品が第133回の直木賞候補に・・・違う!と思った当時の評者。『となり町戦争』は大衆文学じゃないぞ、文芸作品だぞ、同様の系譜でいえば芥川賞受賞作品の安部公房『壁-S・カルマ氏の犯罪』と同じじゃないかと。

 で、次に『バスジャック』と出会う。そこで評者の、この作家に対する感じ方がまた違ってきたのである。『となり町戦争』を、SF的箱庭世界観を伴った作品だと受け止めていたのだが、『バスジャック』の短編作品群は、SF的ではなく、やはりSFなのである。この作家、SF作家になろうとしてるの?そんな受け止め方であった評者なのである。評者も『バスジャック』の書評の冒頭で、こういう風に書いている。“著者に言いたい。おい、そっち行っちゃ駄目じゃないか。”要するに、直截的にSFへ行くの?残念だなあという意味合いなのである。

 そして第136回直木賞候補に挙がった『失われた町』。このときは、もうこの作家は直木賞=大衆文学と諦観の評者。ただ、『失われた町』自体を読み始め、またこういうのかと少し飽きがきた感じで、途中で読むのをやめたんだった、あん時は(^^ゞ

 そして、本書『鼓笛隊の襲来』。もう、目新しさがまったくなく、同様の作品群を執拗に読まされた感じで、もうこの作家の作品は、よほどの評判を取ってからでないと読みたくない。図書館で早い時期に借りれても、そこは借りずに、評判を聞いてから読みたいと。

 結局、すべての作品に共通するのが、どこか異世界的なパラレルワールド。現実世界に近いながらも、どこか異世界。鼓笛隊が襲来する世界、身体の一部にボタンを持つ女性が存在する世界、人前で覆面をすることが普通の世界、そんな世界を描きながら、結局はその理由を説明しない作品群。すべてが、その構図なのである。

 評者は、先に紹介した安部公房『壁』大好き人間である。初めて読んだ芥川賞作品でもある。その中に、注視した対象物を目の中に吸い込んでしまう男の話が出てくる。そんなことは、ありえないSF的手法だけれども、それをカバーするだけの文学性、世界観があるので、小説として成り立つわけである。デビュー作『となり町戦争』には、そういうものがあったのだが・・・。好みというものがあるので『鼓笛隊の襲来』の作品群は面白いという人もいるとは思うが、評者的には同じ構図の乱暴な作品群かと。(20080713)

※結局、直木賞は獲らなかったけど、そのレベルには程遠いのことども。(書評No818)

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by kotodomo | 2008-07-18 08:48 | 書評 | Trackback(7) | Comments(4)
2008年 07月 16日

▲「世にも珍妙な物語集」 清水義範 講談社文庫 580円 2001/4

b0037682_10583664.jpg 世にも珍妙な物語といえば、我が嫁さんの買い物運の無さである。例えば、我が家のお祝い事の定番に、お土産寿司というものが卓上に上るのだが、この寿司の買出しで嫁さんの注文に対してまったく間違いのないものが手に入ることは20%以下である。頼んだネタが入っていない。頼んでいないネタが料金に加算されている。割引のはずが、割引されていない。子供用のサビ抜きが、ワサビ入り。沖縄に雪が降るより、完璧なオーダーが通る確率が低いのである。

 じゃあ、その寿司屋の教育が悪い、システムが悪い、そういう風な捉え方もできるが、寿司屋だけじゃないのである。あのマクドナルドで、オーダー通りの買い物が出来る確率もやはり20%以下なのである。嫁さんのお友だちはこういうらしい。“マクドナルドって、画一的で間違わないよ”って。でも、嫁さんが買うと間違えるのである。ナゲットのソースが入っていない。ソースの種類が違う。一品少ない。そんなのがザラ。まあ、寿司のサビ抜きだとか、マックのピクルス抜きなんかは、こちらの特別オーダーなので許せなくもないのだが・・・。ところが、こんな珍妙な物語が発生したのである。

 マックでチーズバーガーを頼む。娘がピクルスとか嫌いなので、ピクルス抜き、いわゆるプレーンで、とオーダーしたらしい。そして、家に帰ってきて開けてみたら・・・パンにチーズだけ挟んであったのだ!!!嫁さんは電話したらしい。“私の言い方がおかしかったにしても、いくらなんでもバーガー抜きのハンバーガーを客が頼むわけないし、パンにチーズだけって誰が想像できます!”

 嫁さんの母親が、嫁さんに追い討ちをかける。“あんたが、その場で開けて確認しないからいけない!”嫁さんが言い返す“いくらなんでも、その場で開けてまで確認しないわよ!”

 結局、誰が悪いって?嫁さんが悪いのである。そういう星のもとに自分は生まれているんだという認識の甘さが悪いのである。今度から、チーズバーガーをオーダーするときは、「チーズバーガーに入れていい物悪い物表」を相手に提示すべきである。念のため“パンにチーズだけ入れたもののことではない”ことを明示すべきである。できれば、パンの上部を取った完成写真まで添付すべきであろう。お義母さんの言うように、受け取ったらその場でバーガーの包み紙を剥ぎ取り、遺漏がないかチェックすべきだろう。そこまでして、初めて欲しいものが手に入るのである!!!・・・嫁さんの場合はね(笑)。

 本書『世にも珍妙な物語集』は、ユーモア短編小説集である。ただし、我が嫁さんは出てこないし、実話じゃなく作り話なので念のため(笑)。(20080703)

※著者はあとがきで、こういうユーモア小説を書くのが好きだと書いているが、評者的にはパスティーシュやパロディが好みなので、今回は評価が低くなっているのことども。(書評No817)

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by kotodomo | 2008-07-16 10:58 | 書評 | Trackback | Comments(4)
2008年 07月 14日

〇「二都」 藤谷治 中央公論新社 1680円 2008/3

b0037682_1123391.jpg 藤谷治らしくない、というか、藤谷治に評者が求めているものは、ここにはなかったということだろう。

 評者が藤谷治に求めているもの・・・出来ればユーモアがあったほうがいいが、なくてもいい。なくてもいいから、凡人が考え付かない紡ぎだされる物語、そんなものを求めているのだと思う。例えば、ユーモアたっぷりの『恋するたなだ君』は大好きな作品だし、ユーモアというよりは不可思議さを伴う『またたび峠』も面白かった。話がどんどん紡がれ、読者が単純に想像も出来ない世界に連れ去ってくれるからでる。『おがたQ、という女』『誰にも見えない』、この2作にも評価記号◎◎の評者だが、この2作では感性の作家としての文章が心地良かったのである。要するに、紡がれるか、もしくは感性に通じるものがあるか、それが評者の求めているものなのである。

 本書にはそれがない。藤谷治らしさがない。作者名を見なければ・・・哲学を注入しなかった白石一文の社会派作品、そんな印象である。社会派=主人公、会社、社会、そんな器での物語である。

 主人公は、親父が社長を務めた会社の重役。その親父との疎遠な関係、別れた妻の存在、親父の後妻との距離感、かつて友人だった人物との関係性、そんなものを背景にして物語は進んでいくのである。

 二都とは、今自分が住んでいる居住区及び勤務地、それと生まれ育った鎌倉、その二つの町のことである。そして、本書の特徴には、鎌倉の地を舞台とする章では、旧仮名遣いで文章を綴るということがある。連続性のある同じ話が進んでいくのだが、昔を引きずる土地を中心にした部分では、旧仮名遣いを使用するという手法である。

 それが、いいのか悪いのか、効果があるのかないのかが評者にははっきりしない。元々、藤谷治という作家は、作風として新たな抽斗に挑戦するという印象がある。本書『二都』も、そういう意味で新たな作風にチャレンジしていると思うのだが、それが評者という読者にとって成功とは言いがたい個人的な感想のことども。(20080703)

※本当に読みながら、非常に白石一文的な作風、題材と映ったことども。(書評No816)

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by kotodomo | 2008-07-14 11:23 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2008年 07月 07日

梅雨明けと納涼船

とあるスーパーの納涼船の招待券に当選034.gif
土曜日の夕方に乗船してきました。

梅雨明けの鹿児島湾058.gif
地元で見慣れているとはいえ、素晴らしい夕景でした(^^)v
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by kotodomo | 2008-07-07 09:42 | メモる | Trackback | Comments(0)
2008年 07月 04日

〇「似ッ非イ(エッセイ)教室」 清水義範 講談社文庫 絶版:多分520円 1994/7

b0037682_8485282.jpg 題名がちょっと読みづらいが「似ッ非イ教室」と書いて「エッセイ教室」と読む。エッセイ集みたいだけど、実は似非(にせもの)エッセイだよ、という趣向である。

 エッセイという場合、日常にあったことをうまくまとめて共感させたり、考えさせたりするわけで、基本的に本当のことを書くわけである。ところが、本書の場合は嘘八百。“今、南の島に来てこの原稿を書いているのだが・・・”そんな件(くだり)からウソで、“その島のFAX機が貝殻で出来ている”なんて書いてあるのは、もう真っ赤なウソで、そんなことをダラダラ書いた駄文集なのである。駄文集とは書いたが、ダラダラと意図して駄文を連ねる清水義範の芸当集という見方も可能な本書である。

 ただ、どう読んでもエッセイとは思えないのが、冒頭の「単数と複数」という作品。言葉にこだわりを持つ清水義範的、英語違和感譚である。

 中学時代に初めて英語に出会い、日本語にはない複数と単数の考え方に戸惑ったお話。確かに“あ!飛行機が飛んでいる!”なんて表現だと、日本語的には単数か複数かはっきりしないが、空を見上げて1機飛んでいようが3機の編隊だろうが、大きなお世話である。“あ!飛行機が飛んでいる!”と発言した時点で、単数か複数かは重要ではなく、“とにかく空を見ろよ!”ということを伝えたいわけである。これが、英語だと瞬時に複数か単数かを見極め、“ア・プレーン”と言うのか“プレーンズ”と言うのか瞬間的判断が求められるのである。英語人は凄いのである。

 あと、数えられる物と、数えられないものがあると教えられる。水なんかは、当然数えられない物なのだが・・・お金が数えられないのはオカシイと清水義範は主張する。そうだそうだと評者も同調する。だって、お金、数えるもん。財布の中身、数えるもん。銀行員だって、数えるもん。

 そういうことで、気になる方は、図書館で是非、冒頭の作品だけでもお試しを。(20080629)

※絶版だが、大抵の図書館には置いてあるはず。(書評No815)

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by kotodomo | 2008-07-04 08:49 | 書評 | Trackback | Comments(0)