「本のことども」by聖月

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2008年 08月 27日

〇「強運の持ち主」 瀬尾まいこ 文藝春秋 1300円 2006/5

b0037682_9122713.jpg 「ニベア」「ファミリーセンター」「おしまいの予言」「強運の持ち主」の4編が収められた連作短編集である。

 若き主人公女性、その名もルイーズ吉田(本名:吉田幸子)が、占いという職業を通して成長する、ほんわか小説である・・・が、少しワンパターン小説でもある。ジャンルとしては、勘違い話?

 「ニベア」では、小さな男の子が、“僕はパパとママとどちらを選ぶべきだろう”と占いを頼ってくる。“パパとママって離婚するの?”って、主人公が訊けばいいものを訊かないわけで、そこで勘違いが・・・。

 「ファミリーセンター」では、女子高生が“彼に振り向いてもらいたい”と来るのだが、彼の年齢やどういう人物かを尋ねないわけで、当然に勘違いが・・・。

 主人公が、逆に“おしまい”を宣告される「おしまいの予言」では、勝手に彼氏とのおしまいと解釈するわけで、やはり勘違いなわけで・・・。

 ところで、評者の場合、まったく占いはあてにしないし、スピリッチュアルな透視のようなものも好きくないし、じゃあ全然合理的なのかというと、やはり縁起はかつぐし、どういう風にかつぐかというと、パチンコで買ったら、次回パチンコに行ったときも、同じ服を着て、同じ駐車枠に車を停めたほうが勝つかも知れないと思うわけで、当然、強運の持ち主ってわけでもないので、負けるときは負けるわけで、結局、あてにならなかった縁起より、占いでも見てきたほうがよかったのか?と反省しきりの2008年夏である。(20080824)

※次回からは、うんこでも踏んでパチンコ行くか!・・・って、最近は犬のウンコ簡単にはみつからないし(ToT)(書評No830)

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by kotodomo | 2008-08-27 09:12 | 書評 | Trackback(2) | Comments(0)
2008年 08月 26日

〇「フォトグラフール」 町田康 講談社 1575円 2008/2

b0037682_835389.jpg 評者の高校、鹿児島県立鶴丸高校というところは、鹿児島随一の進学校であって、ものすごい詰め込み教育をするところであったのことども。

 当然に夏休みなんてのはなく、補習、補習、補習の毎日、実に休みのない高校であった。そうなると、最先端トリビュート路線を突っ走っていた評者(左)なんかはトリビュートに学校を抜け出したりしていたわけで、右を歩く水泳部剛家クンなどと行動を共にしていたわけである。

 普通、学校を抜け出して、パチンコとか盛り場とか赤線とか行くものなんだろうが、進学校のトップを走っていた二人は、そんなものには行かなかったのことども。

 写真は、夏休みの補習を抜け出し、400cc献血に行こうと張り切っている当時のミスター鶴丸の二人である。本物のミスターは、当然、左を歩く聖月様である。(20080824)
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※要するに、勝手に一葉の写真を選び出し、それに町田康が勝手な注釈をつけているのが、本書『フォトグラフール』の正体である。(書評No829)

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by kotodomo | 2008-08-26 08:42 | 書評 | Trackback | Comments(2)
2008年 08月 25日

〇「ぼくは落ち着きがない」 長嶋有 光文社 1575円 2008/6

b0037682_14543377.jpg 最近の長嶋有は、ちょっと意地悪になってきていて、“僕の本を読んでくれれば嬉しいのだけど、借りて読むんじゃなくて、買って読んでよ。じゃないと・・・”ということで、表紙カバーの裏に特別な文章を掲載している。要するに、図書館で借りると、表紙は糊付け、もしくはコーティングしてあるので、表紙の裏の文章まで読むこと出来ないだろう、ザマーミロ、ワーイということである。

 それに反して、鹿児島市立図書館は実にいいやつで、表紙カバーの裏をコピーし、巻末に貼り付けているので、“登場人物たちのその後”について、借りて読んだ評者も読むことが出来たのである。ザマーミロ、長嶋有、ワーイってなことである。

 本書『ぼくは落ち着きがない』は、独特のリアル文体青春小説である。舞台のほとんどが、高校の図書部の部室の中。どういう風にリアルかというと、部室に7人も生徒が入っていたら、あっちでワイワイ、こっちでワイワイやっているわけで、すべてを文章に汲もうと思っても落ち着きがなくなるわけで、それでもそれを全部表現しようとする企みにリアルさが存在するのである。お前、何やってんの。へえ、新しいゲームじゃん。おい、そっちうるさいぞ、っていうか、なんでお前が部室にいんの?まあ、いいや、そのゲーム貸してよ・・・そんな感じ?

 題名から察するに、主人公は男性かと思っていたら、女子高生。しばらく読み進めると、謎の男子生徒の目撃情報が集められ、もしかしたらそれが「落ち着きのない僕」なの?と思いきや、それも期待を裏切られ、はてさて題名の意図するところは何処に、ってな感じである。

 芥川賞受賞作家の、意欲的青春小説と受け止めてもいいかもしれない。軽いごちゃごちゃした文章の中にも技巧は存在し、結果的には文芸であるので、読みづらい向きもあるかとは思う。しかし、作品全体に落ち着きがないなかに、最終的にまとまり感はあるのかな。

 で、結局、どういう話かって?ある高校の図書部の日常を描いた作品である。以上。(20080824)

※最近は、有といえばダルビッシュのほうが有名。(書評No828)

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by kotodomo | 2008-08-25 14:54 | 書評 | Trackback(1) | Comments(0)
2008年 08月 25日

長嶋有のことども


◎◎ 『猛スピードで母は』
  〇 『タンノイのエジンバラ』
  〇 『ジャージの二人』
◎◎ 『パラレル』
  ▲ 『泣かない女はいない』
◎◎ 『夕子ちゃんの近道』
  〇 『ぼくは落ち着きがない』



長嶋有公式サイトはこちら

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by kotodomo | 2008-08-25 08:35 | メモる | Trackback(1) | Comments(0)
2008年 08月 19日

〇「名残り火-てのひらの闇Ⅱ」 藤原伊織 文藝春秋 1700円 2007/9

b0037682_16522514.jpg その昔、『人麻呂の暗号』藤村由加を読んだことがあるのだが、あの本の好きくないところは、自分たちが色々と研究して歌に秘められた謎を解明しようとするのだが、何かあるとアガサという女性に相談をもちかけ、その女性が都合よく示唆して物事が順調に進むという部分が、あまりにも安易に映ってしまうからであった。

 例えば、海外物なんかでも、どこかの一室にナントカクラブなんて称するメンバーが集まって、ああじゃないこうじゃないと議論するのだが、最後には執事が解明してしまうという安楽椅子探偵物みたいなのがあるわけで、最初は面白いと思うのだが、そのワンパターンに安直さを感じ、評者的にはすぐ飽きがきてしまうのである。

 今回、本書『名残り火』を読みながら気になったのが、そういう便利な人物の存在である。三上という中々のキャラクターではあるのだが、主人公が何か相談事めいたことを持ちかけると、すぐに道筋を示してくれて、あまりにも便利すぎるのである。イオリンらしくないのである。おかげで主人公の魅力であるヘトヘトなハードボイルド部分が影を潜めてしまって、魅力に欠けてしまっているところが残念なのである。

 話は柿島の死から始まる。柿島?誰?と思って、慌てて前作『てのひらの闇』を再読した評者。おお、主人公にとって、随分と大事な人物の死である。前作で、飲料会社の希望退職に応じた主人公の良き相談相手でもあり、飲み友達的な信頼関係にあった人物でもある。その柿島が、オヤジ狩りにあって死んだところから、今回の物語は始まるのである。当然、主人公としては、単なるオヤジ狩りでなく、意図を持った殺人として背景を探り始めるのだが・・・。

 前作に比べ、今回は全体的にイマイチである。主人公のハードボイルド度合いが低いし、女性とのロマンス度合いも期待以下だし、謎の蓋然性も薄いし、それと前述したご都合主義的解決が随所に散見され、いつものイオリンらしくないのである。

 しかし・・・イオリンはもういないのである。ガンで亡くなっちゃったのである。“このミス”に誰かが書いていたけど、あの稲見一良よりもずっと若くでこの世からいなくなったのである。次作に期待しようもないのである。

 もし、イオリン知らない方がいたら、とにかく『テロリストのパラソル』を読んで欲しい。短編『雪が降る』を読んで欲しい。それで気に入らなかったらそれでいい。気に入ったら、とにかく前作読むべし。著者による出来、不出来はあるが、他にこれほどのハードボイルド作家はいなかったなあという思いになるはずである。稲見一良も藤原イオリンも原りょうも、他の追随を許さぬ孤高のハードボイルド作家なのだから。(20080819)

※孤高は死んでも孤高なり。(書評No827)

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by kotodomo | 2008-08-19 16:54 | 書評 | Trackback(1) | Comments(0)
2008年 08月 19日

藤原伊織のことども

b0037682_12211665.jpg  ◎ 『ダックスフントのワープ』
◎◎ 『テロリストのパラソル』 既読書評なしm(__)m
  ◎ 『ひまわりの祝祭』
◎◎ 『雪が降る』
  ◎ 『てのひらの闇』 既読書評なしm(__)m
◎◎ 再読再評価『てのひらの闇』
  ◎ 『蚊トンボ白髭の冒険』
◎◎ 『シリウスの道』
  〇 『ダナエ』
  ◎ 『遊戯』
  〇 『名残り火-てのひらの闇Ⅱ』

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by kotodomo | 2008-08-19 01:57 | メモる | Trackback(1) | Comments(2)
2008年 08月 18日

◎◎ 再読再評価「てのひらの闇」 藤原伊織 文春文庫 660円 1999/10

b0037682_11371288.jpg 先日から、自分の中でマイブームになっているのが、デフォルトという考え方である。デフォルトとは何か、そういうことを、色んな局面で考えているのである。

 で、この場合のデフォルトの意味だが、元々英語でいうところの債務不履行だとか怠慢だとか、そちらのほうではなく、コンピューターでいうところの「標準値」「初期設定」のほうの意味である。

 最初に話題になったのは、友人たちとの飲み屋での会話。友人“俺、外で飲む機会多いけど、家では飲まないから”。評者“俺はお前さんほど外では飲まないけど、ほとんど家では晩酌するよ”そういう会話にソフト会社を経営する知人が“要は、何がデフォルトかということだと思うよ”そう言ったのが発端である。要するに、どういう状態に軸足があるか、通常性があるかと言うことである。

 つまり、原則的に晩酌をする評者は、デフォルトが飲酒、飲まないのがイレギュラーもしくはコンフィグということになる。友人の場合は、デフォルトが飲み癖なしということになる。評者も友人も、一年365日のうち、結果的に340日飲酒したとしよう。でも飲まなかった25日については、友人の場合は飲まずに済んだからであって、評者の場合は飲まないぞ!とか決心があった結果か、うう・・・風邪で飲めない・・・そんな状態になったからである。

 調べてみると、現代用語としてもある程度普及しているようで“自分は自転車通勤がデフォルトだから・・・”とか、“お昼ご飯のデフォルトは会社の隣の中華屋”とかいう言いようもあるようである。

 そこで、最近の評者は色んなことをデフォルト考に置き換えてマイブームになっているのである。評者のデフォルトは・・・“餃子の王将でのデフォルトは、餃子2人前にライス”“デフォルトで読書”“携帯はデフォルトアイテムではない”“ブログの更新は、以前はデフォルトだったが、最近ではなんだかなあ”そんな感じである。

 読書の話を出したが、書評ブログなんてやっている方は、おそらく本を読むことはデフォルトであろう。本を読み終えたら、何も考えず次の本を手に取るような。これが、デフォルトでない人の場合、さあ、たまには本でも読むか!なんて、ひとつの決心が入っての読書となるわけである。ちなみに、我が家の娘たちは読書がデフォルトで、嫁さんの場合はデフォルトではない。

 で、ここらへんで話を本書のほうに向けるが、評者の場合、シリーズ物を順序よく読むのがデフォルトであり、多くの読書人がそうであろうと思う。そして、今回やっと藤原イオリンの遺作である『名残り火-てのひらの闇Ⅱ』を図書館で借りることができ、『てのひらの闇』を既読の評者は早速読み始めたのであるが・・・前作の内容をすっかり忘れていることに気付いて、慌てて前作の再読に取り掛かったというのが事の次第なのである。やくざ、手の火傷痕、バイク、その3つのキーワードくらいしか記憶になかったのが、読み進めるにつれて、線となり像を結び、結局、本当に内容を忘れていたわけで、話がどう展開していくのかワクワクして読んだのである。いやあ、かつて(10年ほど前に)読んだはずなのに面白かったあ(^O^)/

 しかし、この主人公の生き方のデフォルトは渋いなあ。評者もハードボイルドな生き方がデフォルトだったら格好良かったのだが、元来デフォルトがお茶目なもんで、ただただ憧れるのみである。

 飲料品メーカーの早期退職に応じた主人公。その会社の会長の自殺。会長とは、自分をこの会社に引き入れてくれた人物である。その理由を探るべく行動する主人公の周囲には、やはりハードボイルドのデフォルト定番、一緒に行動してくれる粋な美女や、粋な飲み屋、粋な音楽に粋な飲み方、粋な会話が登場するわけで、周りに粋な美女がいなく、ダラダラ飲むだけの飲み方しかできない評者の場合、やはりハードボイルドをデフォルトにするには無理があるようである。

 ところで、『名残り火-てのひらの闇Ⅱ』のほうは、もう2/3くらい読み進めているところだが、これからこの遺作を読もうという方は、是非前作『てのひらの闇』を直前に読んでいただきたい。いや、昔読んだよ、なんて方も、背景の見え方が全然違ってくるので、是非に是非に。

 そして、昔読んで適当に面白かったはずのイオリン本が、こんなにも面白かったのかと再確認してほしい。まだまだ次作が読めるだろうと思って読むイオリン本と、もう次作は読めないのかと思って読むイオリン本じゃ、評価が全然違ってくるはずだから。要するに、イオリン本同士を比較してしまうとまあまあかなと思ってしまう過去の読書体験があったとしても、やはりイオリン本はこんなにも全部面白かったんだと思う、今の気付きがあるはずだから。(20080816)

※『雪が降る』手持ち本も、どこかで再読したくなってきたのことども。(書評No826)

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by kotodomo | 2008-08-18 11:37 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2008年 08月 14日

△「愛しの座敷わらし」 荻原浩 朝日新聞出版 1890円 2008/4

b0037682_8293542.jpg 今回の第139回直木賞候補に挙げられた作品だが、これを推した出版社になるのか編集者になるのか、そこらへんの直木賞の仕組みみたいのはよくわからないのだが、これを推した人は駄目である。非常に冗長で、こういう作品が受賞し、多くの読者に読まれるということは、大衆文学の今を映すという意味では評価されない作品である。勿論、荻原浩といえば、東野圭吾受賞後、伊坂幸太郎と並んで受賞を期待される作家であり、評者としても受賞に値する作家だと思うが、少なくとも直木賞は作品に対する賞であり、そういう意味で本書を推す人々がいるというのは信じられない。荻原浩に獲らせたいのはわかるが、近著をなんでもかんでも推すのではなく、作品を吟味して推してほしい。そういう意味では、これまで候補作に挙がった『四度目の氷河期』『あの日にドライブ』もやはり駄目なのであって、『なかよし小鳩組』『僕たちの戦争』『サニーサイドエッグ』ならOKというのは評者の個人的評価である(笑)。

 物語の中身は、題名から推して知るべし的内容。夫婦姉弟+祖母の5人家族が、田舎の田舎風家屋に越してきて、座敷わらしの存在にそれぞれが気付きだすドタバタ劇で、どこがいけないのか、どこが冗長なのかというと、気付いた後、座敷わらしとの心の交流が半分くらいを占めるのかと思いきや、座敷わらしの存在を家族全員が認識するまで、ほぼ全編を使い切っているところにある。要するに、家族全員がドタバタしながら、最終的にはその存在を共通認識するだけの物語なのである。なんじゃそりゃ。

 勿論、それだけじゃない部分もなくはない。ギスギスしていた家族の絆が深まるという家族小説的な部分もあるにはあるのだが、これもドタバタに終始して落ち着きがないのである。

 同じ著者の短編集『押入れのちよ』に▲の評価をつけた評者だが、その書評内で“表題作の「押入れのちよ」は◎◎である”みたいなことを書いたわけで、要するに今回、本書『愛しの座敷わらし』で『押入れのちよ』の長編版みたいなのを期待したわけなのだが、随分と期待を裏切られて残念なのである。(20080810)

※直木賞が期待される作家で、作品の力にバラツキが一番ないのは白石一文かなあ。早く獲ってほしいなあ。(書評No825)

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by kotodomo | 2008-08-14 08:30 | 書評 | Trackback(3) | Comments(0)
2008年 08月 11日

〇「さよなら渓谷」 吉田修一 新潮社 1470円 2008/6

b0037682_11544258.jpg 桐野夏生『グロテスク』や、町田康『告白』、実際にあった事件をもとに、作者の想像力を加え、事件に忠実だったり、相当脚色したり、そんな手法が最近散見されるのだが、本書『さよなら渓谷』も、同様の形式に則って描かれた小説である。読み始めて・・・近所の少年を殺害し、我が子も橋から突き落としたあの事件が彷彿される・・・だが、吉田修一描くところの本書は、その事件に沿ってではなく、その周囲に物語を張り巡らせていく。

 しかしなあ、話は変わるが、昨今のニュースを考えると、一体何がその事件を起こしたのだろう、背景は何だったんだろう、そんなニュースが多すぎて、一般人でさえ、色々と想像力を働かせてしまう事件の多いことよ。夕食を一緒に作った一見仲の良い父娘。それが、夜中に娘が就寝中の父親を刺殺してしまう。納得がいかず、小説読みの評者としては、新聞に報道されない何か、例えば性の強要みたいなのがあったりしたのか、そんなことまで想像してしまう。秋葉原複数殺傷事件。昔だったら、孤独犯的な事件も、本人にとっては携帯掲示板を通じての劇場型犯罪に受け取れたのか想像してしまう。本書『さよなら渓谷』のモチーフに使われているあの事件も、評者にはまったく理解できない事件で、なぜあの母親はそんなことをしたのか理解できないし、実はあの母親は事件に何の関係もなかった!なんてことになっても、それを消化できても疑念は残るわけで・・・とにかく、蓋然性のわからない事件が多すぎるのである。

 本書は、自分の息子を殺害した疑いで、若い母親が逮捕されるところから物語が始まる。それを傍観者的に眺める近隣の夫婦。その夫婦をとりまく、過去と現在と心情、そういったものが物語を構成していくのである。子殺しの事件ではなく、容疑者の近隣に住む夫婦の過去に起こった事件が浮き彫りにされるところで、物語自体が構成されていくのである。

 さすが、吉田修一という感じで精緻で静謐な筆で物語は進行していくのだが・・・どこか物足りないのである。謎が予定調和的だからということでもない。蓋然性に説明が少ないせいでもいない。う~ん、何というか厚みみたいなものがないところなんだろうなあ。『グロテスク』や『告白』があれだけの分量で必要充分であったのとは反対に、本書の場合、必要充分なはずのこの分量が、厚み(本の厚みではなく、中身の厚み)にまで踏み込めていないのだろうなあ。だから、読み終えたあとも、やはり何か釈然とせず、昨今のニュースに消化不良を覚えるような、そんな感覚が残ってしまうのである。(20080807)

※一応ミステリー性はあるので、『悪人』みたいに、このミスランクインもあり得る作品である。(書評No824)

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by kotodomo | 2008-08-11 11:54 | 書評 | Trackback(3) | Comments(0)
2008年 08月 08日

最近アクセス数が急増中のことども

それはなぜかというと
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映画化の影響みたいですね・・・

ということで、おおもとの書評は↓
随分と真面目に書いた書評がよろしいのかな(笑)

○「闇の子供たち」 梁石日 解放出版社 1800円 2002/11


 読書人たるもの精神力があれば、大抵の本は最後まで読み通すことができる。途中、理解できない記述や、自分には面白くない内容をやり過ごす気さえあれば、精神力で読み続け、読破することは可能である。評者も経験がある。片田舎の高校生に、当時の教師たちは、自分でもよく理解していないだろうと思われる書物を与えていた。あれって青少年の読書離れを助長させる一端じゃないかな。でも、しかし、前向きな青年評者は、とにかく読んだぞ、当時、精神力で。小林秀雄『無常といふ事』三木清『人生論ノート』亀井勝一郎『現代人の遍歴』、ついでに井上靖『敦煌』などなど。え!井上靖?とお思いかもしれないが、彼の作品には読んでいて楽しい作品がたくさんあるのに、なぜか片田舎の教師というものは、中でも難解な作品を与えてしまうのである。これって、なんかいな?ついでに言っておくが、この片田舎の高校名は鹿児島県立鶴丸高等学校である。まだ、あるかな?

 話を戻して、精神力では読み通せない本も存在する。本書『闇の子供たち』を最後まで読みきるために必要なのは、精神力ではなく、精神の体力である。神経及び感受性の耐久力が必要なのである。評者は、毎日昼休みに40分間本書をヒーヒーいいながら読んでいた。昼休みの間、会社の同僚は「昼どき日本列島」や「笑っていいとも」で脳みそをくつろがせているわけだが、評者の頭の中では幼児が虐待され陵辱される闇が広がる。毎日毎昼ヒーヒー言いながら読んだ評者。小説としては、さほど面白くなかったが、読んでよかったと思っている。精神は疲弊してしまったが。

 著者梁石日(ヤン・ソギルと読む)は、この本の中身について、出版前から大体次のようなことを言っていた。東南アジアを中心とした幼児売買、幼児買春、幼児臓器売買について書かれた本は数多くある。実態を伝える人権のためのレポートなどもある。でも、自分(梁石日)はそこで本当に何がおこなわれているかを伝えたいと。確かに、評者が普通に暮らしていく中で、日本人が買春ツアーを組んで東南アジアに出向く話、ジャピーノの話、その他色々な話が伝わってくる。でも、この話だけでは、これは幸せな話なのである。ツアーに出て行ったおっさんは気持ちよくて幸せ、現地の女性はお金をもらって幸せ、道徳的にはよくないが、幸せが散らばっているようにしか聴こえてこない、そんな浅いところの話なのである。しかし実態は…。

 評者の上の娘は9歳、3年生、夏休み、プール、海水浴、工作、ニコニコ。本書の冒頭で親からブローカーに売られる娘は8歳である。組織のアジトに着くと、早速身体を貫かれる。8歳の娘である。貫くのは、性産業を生き抜いている男の持ち物である。想像してみるといい。あなたの鼻の穴に、キュウリが捻じ込まれると思えばいい。要するに調教とかいう世界ではない。破壊の世界である。子供たちは男もいれば女もいる。買いに来る大人たちは男もいれば、女もいれば、夫婦もいる。客の前で、12歳の少女と10歳の少年が交わる。客の男が、少女の身体をまさぐり、少年の身体をいたぶる。「なぶる」という字は、「嬲る」と書く。分解すると男女男、男二人の中で女が嬲られる。ところが、本書の世界では、男、女、少年、少女、夫婦、レズ入り乱れて嬲り嬲られる。だからレズの二人連れが少年を買いにきて陵辱することを考えれば女男女という字面で、なぶる場合もあるわけなのである。とにかく狂気までとはいかないが、異常な世界である。読み進めていけばわかるが、子供たちには苦痛や悲観はない。あるのは絶望だけである。評者の娘の夏休みの朝は、希望から始まる。さあ、きょうは何をしようかしらと。本書の子供たちの目覚めは、絶望から始まる。

 子を手離す親、子供たちを仕入れて売るブローカー、買いにくる人間、一体誰が悪いのか。すべての立場の人間がいけないのだが、行政的にはブローカーをなくすことが望ましい。望ましいのだが、警察や役人はブローカーを守るために動く。だから、子供たちには逃げればなどという希望はない。

 自分とは、関係ない世界?そうではない。あなたに子供がいたとしよう。可愛くてしかたないその子に、臓器の疾患が見つかる。なにをしてでも、助けてあげたいとあなたは思うだろう。あと一年の命。その間に臓器を移植すれば、なんとかなる。命を繋ぎとめられる。だが、米国や豪州に行って、順番待ちをしている間に命の灯火は消えかかる。そんなあなたに朗報がくる。4000万かかるが、タイに行けば2ヵ月後、臓器移植が受けられると。お金はなくても借金して申し込むだろう。そのお金の大部分が、暴力団やマフィアの資金源になると聞いても、申し込むだろう。子供の命が助かるのであれば。そのために、現地の子供の命が失われると聞けば?申し込む。それが親だ。我が子を持った責任だとなるのか、他人の命に替えてまで、と思うのだろうか。

 内容は暗く深いが、文章は教科書的、説明的と言えばよいのであろうか。初梁石日につき、ゴツゴツした益荒男(ますらお)な文章を想像していたら、どちらかというと手弱女(たおやめ)、男の臭いのしない文章にちょっと驚いた評者である。小説としての評価は△。しかしながら、やはり機会があれば読んでほしい気持ちもあり、材料を含む評価は○。評者のように毎日ヒーヒーいいながら読まなくても、立ち読み程度の流し読みでもいいし、図書館から借りてもいい。買いなさいとはいわない。機会があれば読みなさいと言っておこう。(20030718)

※図書館から借りる。実は初梁石日だが、手持ちの梁石日本はある。『終わりなき始まり』上下巻。嫁さんが出してくれた懸賞で当たってきたのである。発売後すぐに。でも読んでいない。すまん、嫁さん、今度読む。

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by kotodomo | 2008-08-08 08:35 | メモる | Trackback | Comments(0)