「本のことども」by聖月

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2008年 11月 27日

◎「東京島」 桐野夏生 新潮社 1470円 2008/5

b0037682_9125953.jpg この作家に書かせると、無人島物語もどこかグロテスクなお話になってしまうのだなあ。

 設定は、無人島で生き延びる人々の物語。男性は複数、その中に女性がたった一人・・・普通だったら20代から30代の女性を設定し、いかにもありそうな起きそうなイベントを物語にしていけばいいのだが、本書の場合は40代も半ば過ぎの女性主人公なのである。島に辿り着いて既に6年が経過、まあ最初のうちは40代前半で妙齢だったのかもしれないが、40も半ば過ぎちゃうとなあ・・・評者が2008年現在46歳なわけで、同級生を想像すればいいわけで、でも本書の女性主人公は豊かな島の生活で太っちゃったりしているわけで、太った同級生を想像すれば、やっぱりオバチャンでしかないわけである。

 だから、本書の中でも男と女の関係は描かれはするのだが、やはりどこかでグロテスクでチープな感じは否めないのである。さすが、女傑桐野大先生の作品!というところである。

 題名の『東京島』の東京というのは、架空の名前である。島に辿り着いた人々が、トウキョウと呼び始め、島の各地区をシブヤだとかコウキョとか呼び習わすことから始まるのである。

 とにかく、考えられるイベントはおおよそ盛り込みましたよ的な無人島物語である。リーダーシップ競争、外部から人が来た形跡、村八分、脱出劇、ぬけがけ、不信な死・・・。今年の押さえ本である。読むべし、である。(20081109)

※鹿児島市立図書館は、ネット予約が可能なため、予約が100件\(◎o◎)/!鹿児島県立図書館は出向かないと予約出来ないため、予約が2件(^.^)約3週間でゲットできたのであったのことども。(書評No841)

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by kotodomo | 2008-11-27 09:13 | 書評 | Trackback(2) | Comments(2)
2008年 11月 27日

桐野夏生のことども


◎◎ 『グロテスク』
  ◎ 『残虐記』
◎◎ 『アイム ソーリー、ママ』
  ◎ 『魂萌え!』
  ◎ 『アンボス・ムンドス』
  ◎ 『東京島』

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by kotodomo | 2008-11-27 05:25 | メモる | Trackback(2) | Comments(4)
2008年 11月 26日

◎◎「忍びの国」 和田竜 新潮社 1575円 2008/5

b0037682_14104727.jpg 噂に違わぬ(っていうか、実は評者、8月頃に旬の作家と知ったのだが)面白エンタメ忍者時代劇である。

 前々から書評内でも書いてきたのだが、評者は時代劇というジャンル自体は好きではない。一つの理由に、歴史は苦手、習ったはずなのにもう忘れてしまったということがある。だから、評者が評判を聞きつけて読む時代物は、荒山徹、飯島和一、翔田寛、米村圭伍といった史実に頼らない作風の小説群になる。もっというと、その中でも、妖術、忍術が出てくるものは好みで、そういう意味で、本書『忍びの国』は文字通り忍びの話であり、評者好みであったのことよ。

 著者和田竜は、脚本『忍ぶの城』で城戸賞を受賞、その小説化作品『のぼうの城』で第139回直木賞の候補にあがり、本書が二作目にあたる。題名から察する通り、忍びの活躍する物語である。その忍法も本書の面白さの一つなのだが、巷での人気の理由として察せられるのが、等身大の人間としての忍者の描き方にあるのかもしれない。

 “ねえ、ねえ、あのさあ・・・”というふうに、普通の人が会話してもおかしくないが、忍者が自分の連れ合いに“ねえ、ねえ、あのさあ・・・”と語りかけるような場面が本書には頻出するわけで、つまり普通はおかしくない会話が、忍者の口から出ると可笑しいわけで、要するに本書の忍者たちは人間味がありすぎて可笑しかったりするわけである。

 忍び=請負仕事=カネ=いかにすればもうかるか?なんて構図も素敵で可笑しい、そんな忍者ワールドを是非お試しあれ。(20081106)

※『のぼうの城』のほうは、現在、図書館で予約待ちである。(書評No840)

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by kotodomo | 2008-11-26 14:11 | 書評 | Trackback(3) | Comments(2)
2008年 11月 06日

◎「ことばの国」 清水義範 集英社文庫 460円 1990/9

b0037682_8484466.jpg 評者の持つオリジナルなオヤジギャグのひとつに“そんなことは近江俊郎(お見通し)だ!”というものがあるが、どうもウケがいまひとつである。ピンと来なかったり、意味が通じても笑えないギャグと位置づけられてしまったりするわけである。困ったものである。加えて、最近では意味を(なんてないが、一応駄洒落であることを)説明しても、近江俊郎自体をご存じない不甲斐ない輩が多く、つまるところ死にギャグ化の坂道をローリングストーンなのである。なぜ、最近の若者は近江敏郎を知らないのだろう?亡くなったから仕方ないか・・・えっ!若くないあなたも知らない?あの「湯の町エレジー」をヒットさせた近江俊郎を?「オールスター家族対抗歌合戦」や「お笑いスター誕生!!」に「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」の審査員として活躍して、近江俊郎=審査員という印象のある近江俊郎をあなたは知らない?知らないかもね。まあいいや。

 もうひとつのオリジナルオヤジギャグに“昔取った篠塚(杵柄の駄洒落)”というのがあるのだが、なかなか使用する場面がなく、困り果てている。例えば、独楽(コマ)遊びをしている子供たちがいて、飛び込みで参加して、すっげえ巧く回して“凄~い!”なんて言われたときに“いやあ、昔取った篠塚でさ”なんて使ってみたいのだが、実は評者、独楽回しは巧くないし、今の子供たちは独楽遊びすらしなくなっているので、お蔵入り状態ギャグである。

 こんなつまらないことを考えるのは、自分だけかも・・・なんて思っていたら、先日、品川のラーメンミュージアムみたいな「品逹」という7軒のラーメン屋が競い合っている場所に行きまして、「なんつっ亭」という店でラーメンを頼みまして、待っている間に壁の落書きみたいな、装飾みたいな詞書を眺めていたら、“昔取った篠塚”って書いてあったのことども。なんだ、評者だけじゃないんだの一回目。そして、本書『ことばの国』で、二回目出くわしたのことども。

 日本語についての様々な面白考察エッセイを12編収めた本書なのだが、中に「使用禁止ことわざ辞典」というのがあって、ロクでもないことわざもどきを掲載しているわけで、その中に“昔取った篠塚”ということわざが掲載されているのである。

 例えば、“目は口ほどに物を言う”とは、“鬼太郎の父親のこと”とサラリと解説しているが、この“昔取った篠塚”ということわざではこういう風に解説している。

 昔取った篠塚

 以前に首位打者のタイトルを取ったことのある篠塚は、たとえ最近少々当っていなくてもやっぱりこわいバッターである。ワンナウト、二、三塁というような、一打出れば逆転という時には、決して油断できない、というところから、実績ある相手はあなどれない、という意味。

 [使用例]
 「首位打者を正田と篠塚が争っているわけですが、どっちが勝つでしょうか」
 「そりゃあ、昔取った篠塚でしょうねえ」
 ちなみに、この時二人は同率で、二人とも首位打者であった。

 ・・・意味と使用例が違うし、いらない解説つきで笑った評者なのである。

 他に「ファッション用語の不思議」というエッセイも、可笑しく笑いながらも共感を覚えた評者である。確かに、昔チョッキだったものが、今はベストだし、今はスパッツではないらしく、カルソンやレギンスというらしい・・・が、評者から言わせてもらえばアウターな股引である。

 一番共感を覚えたのが、パンツ。評者は幼い頃パンツを穿いていたが、今はトランクスを穿いている。トランクスもパンツではあるのだが、評者が幼い頃穿いていたものと区別するなら、やはりトランクスの呼称がしっくりくるわけで、ちなみに昔穿いていたものはブリーフと呼称したい。女性もパンツを穿くのだが、評者幼きときより、その呼称はパンティーであった。ちょっと色っぽかった。それが最近ではショーツというらしい。今でも慣れていない言葉は・・・これもパンツである。女性が“パンツ”と口にすると、なんか厭らしい言葉っていうか、男がその会話聞いていいの?って感じになるのだが、最近は女性のズボンをパンツというわけで、それでも慣れない評者には女性が“生理”と口にするのと同じくらいに聞こえてしまうのである。その場に居るのが、少し恥ずかしく思えてしまうのである。

 言葉にまつわる馬鹿ばかしい話、共感する話、そんなものが満載の本書である。笑える本であり、頷ける本である。(20081103)

※暇潰しに読み始めたら、あっという間に読み終えてしまった。(書評No839)

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by kotodomo | 2008-11-06 08:49 | 書評 | Trackback | Comments(4)
2008年 11月 04日

〇「ザ・ロード」 コーマック・マッカーシー 早川書房 1890円 2008/6

b0037682_13374181.jpg 評者は幼い頃から夢想家であり、例えば布団にもぐり込み天井を眺めながら、もしもこの家の構造が逆さまになったら・・・なんてことを考え、、、ということは、この茶の間から隣の部屋に移動するには、あの鴨居を跨がねばならんのだなとか、トイレに入るにはドアが随分上のほうにあって大変だなあとか夢想するわけである。実に意味のないことだが。ついでに言っておけば、トイレに入っても便器が上じゃできないじゃんという声が聞こえてきそうだが、とりあえずそれは考慮外で、移動についてのみ考察する僕ちゃんなのである。

 また、評者の住んでいるのは鹿児島市。目の前に錦江湾が広がり、雄大な桜島がそびえており、市内から桜島まではフェリーで15分というところなのだが・・・錦江湾の水が全部なくなったら、桜島まで歩いて渡れるなあと夢想するわけである。でも、途中に大きな岩があったり、もしかしたら地溝があったりして大変かも、なんて想像で心配したりするわけである。実に無意味な夢想であるが。

 しかし、やはり究極の夢想は、この世から一瞬で周りの人がいなくなったら、というやつである。一応、この夢想は、色々と自分で条件付けが必要で、①テレビ放送や、電気、水道の供給も一瞬に止まることとする、とか②みんながいなくなったことに、自分が素早く気付いていることにする、だとか③一瞬にしていなくなると、道路に車が放置されることになるが、そんなことはなく、世の中は一応整然とした状態のほうが夢想しやすいなあとか、自分で考えやすい状態を作って夢想するわけである。

 食う、寝るは、一応保証されるだろう。人ん家に入って缶詰なんか食い漁って、ローソンでジュース飲んで、夜はビール飲んで晩酌して、でも刺身は食えないなあとか、屋根と布団はどこにでもあるのでノープロブレムだし(鹿児島でしか物を考えていない。これがシベリヤだと大変、大変\(◎o◎)/!)、そいでもって、食う、寝る、遊ぶの、遊ぶのほうなんだけど、まあ本屋、図書館はそのままの状態という条件付けをすれば、本でも読んで暮らすかなあってとこである。そういうことを夢想するとき、例えば車は燃料が残った状態で存在していることになっているので、鍵さえ見つけ出せれば乗り捨てで使い放題なわけで、問題は・・・さほど問題じゃないのだけど、交差点で曲がるとき、いつもの癖でウィンカー出すんだろうなあということくらい?誰もいないのに、無意味なのに。

 無駄話が多くなったが、本書『ザ・ロード』は近未来?の、例えば人類がほとんど滅亡した後の、数少ない生き残りになった父と息子のロードノベルである。なぜ、そういうことになったのか(原爆?惑星衝突?)も語られず、ただ父と息子の道行きだけが描写される物語なのである。

 既読の、著者の『すべての美しい馬』も、広義の意味でロードノベルであり、少年と馬の友情、愛、冒険といったものを、しんしんと深深と森々と描いたものであった。本書の持つテーストも同様のものがある。ある意味、冒険物でありSF風味なのだが、降積る雪のように、しんしんと言葉と描写が綴られ、大きなうねりもなく終盤に至る。

 あとがきにも書いてあったが、北斗の拳の世界を想像するとわかりやすいだろう(って書きながら、実は評者は漫画もテレビアニメも見たことない。パチンコで打ったことあるので、多分そうじゃないかと・・・)。崩壊し砂埃が舞うような世界。少年と父親は、既に荒らされた家屋、店、そんな場所で、役に立ちそうな物、隠されていた食べ物、そんなものをピックアップしながら南に移動していく。似たように生き残った人々もいる世界、既に多くの場所が探索されつくした後で、食糧なども中々手に入らない旅行きである。人が人を食べたような残骸もあり、生き残った他の人々に出会っても、そこに喜びはなく、警戒心だけが存在する。信じられるのは、自分たちだけなのである。

 とにかく独特の世界観だけを語る物語である。設定はSFでも、内容は冒険でも、SFや冒険につきもののスリルやサスペンスはそこにはなく、ただ文学が語られるだけである。要するに、何を言いたいかというと、インパクトはないよ、ということである。それでも、良質の文学には間違いない作品である。

 粗筋もないと言い切っていいくらいで、そういうのが好みでない方には、『すべての美しい馬』のほうがお薦めかもしれない。(20081030)

※昨年のこのミスで『血と暴力の国』がランクインした著者だが、本書はその手の本ではない。(書評No838)

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by kotodomo | 2008-11-04 06:34 | 書評 | Trackback | Comments(2)