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2008年 12月 30日

×「マリッジ・インポッシブル」 藤谷治 祥伝社 1575円 2008/7

b0037682_15325.jpg 何回も書いてきたことだが、評者は売文という行為は否定しない。作家が生きていくためには、やはりその文章や作品を買ってくれる人、読んでくれる人がいる世界が必要なのであり、誰にも見せず“自分が書きたかっただけの小説”を銀行の貸金庫の中に仕舞うのもそれはそれで自由な世界なのだが、作家であるということは文章や小説を売るというこが必須条件なのである。

 解りやすいのがライターあがりの作家で、重松清などが典型的な例であろう。純粋に作家を目指した人たちと違い、重松作品はある意味“売文プラス商業的”な香りもする。こんなの書いたら読者が喜ぶんじゃないの、そんな感じで作品にアプローチしているような気がする。否定しているのではない。『流星ワゴン』が沁みた評者だし、『いとしのヒナゴン』の話の紡ぎ方には大いに感心した評者なのである。描きたい作品を書くアプローチも、売れる作品を書くアプローチも、結局は読者が喜んでくれれば、結果的には一緒なのである。

 ただ、よく作家インタビューなんかで“いやあ、これを書いてる最中は自分でも楽しかった”なんてコメントもあるので、生み出したかった作品と、読者に受け容れられた作品がシンクロするのであれば、それは何よりの幸福でもあるかと思う。
 
 逆に、普通の小説を書きたいのに、編集者から言われてミステリーを書くなんて場合もあるだろうし、食わなきゃいけないのでポルノ小説に手を染める?なんて場合もあるかもしれない。後者の場合は、まさしく狭義の売文という行為である。

 でも、本書『マリッジ・インポッシブル』を読んでみると、売文にも“いい売文”と“悪い売文”があるのではないかと考えてしまう。いや、“結果としての悪い売文”の例が存在して、本書なんかはその範疇じゃないの?と言い換えるのが妥当かな。

 “結果としての悪い売文”というのは、評者的には連載された小説に多く見られるという印象が強い。“なにこの出来映え?”なんて思って奥付を見ると、「小説○○に○年○月から○年○月まで連載(されたあと作者が加筆修正を加え云々・・・)」なんて記載されていて、そういうとき評者は勝ち誇ったように“やっぱりね!!!”と快哉を叫び、風呂に入って“ユレイカ!!!”と雄叫び、晩酌して酔い潰れながら逃げた女房のことを考えてしまうのである(ウソ、逃げてましぇん)。

 結局、雑誌に連載が決まるってことは、その段階でまだ書いてもいない文章が売れてしまっているわけで、だから手抜きをするわけでもないのだが、月刊誌の編集者に迷惑をかけずに文章を納めるというのもビジネス上の代価となり得るわけで、結局、脳みそを捻り、言葉を搾り出すなんてことが疎かになってしまう温床というのは存在すると思うのである。

 本書の場合、29歳主人公女性が結婚するぞ!と決意し、その先にあるドタバタを毎回趣向を変え、もしくは発展させながら描いていくのみで、結局、読後、だから何なんだ?藤谷治君?と言うしかないのである。

 好きな作家なのである。だから、調子こいただけの文章で小説を書いてほしくないのである。評者は、この作家、感性の作家だと個人的に思っている。『恋するたなだ君』然り、『おがたQ、という女』然り、『誰にも見えない』然り、好みにもよるが感性の詰まった作品だと思っている。しかしなあ、今回はなあ、筆が滑ったまま運動神経だけで書いてみましたって感じで、やはり好きな作家でも評価できないのだなあ。(20081228)

※この作家の口直しに『いなかのせんきょ』読もうかな。(書評No849)

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by kotodomo | 2008-12-30 15:03 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2008年 12月 01日

×「カカオ80%の夏」 永井するみ 理論社 1365円 2007/4

b0037682_9564839.jpg いやあ、ずっと間違っていました。なんで、こんなにも長い間、間違うことが出来たんだろう?いや、著者の名前である。この著者の名前を捕捉したのは、もう4年くらい前だろうか。『枯れ蔵』より後、『俯いていたつもりはない』の頃に、北上次郎の書評かなんかで補足し、その後も色んなところで名前を見かけていたわけだけど、そして本書を半分ほど読んだところで気付いたわけなのだけど、ずっと永井すみゑだと思っていたのであった。“するみ”と“すみゑ”じゃ違うのだけど、でもほら見てごらんなさい!“すみゑ”の名前の中に、“”も“”も“”もあるじゃないか、がはは。

 で、昨年、評判が良かったようなので、本書で初するみである。女性の視点から描いたハードボイルドという評判だったのだが・・・そんなことはなかった。確かに、女子高生主人公の視点で描かれてはいるが、休みなくハードに動いているだけで、ハードボイルドというにはなあ。おまけに、あまりにもご都合がいいのだなあ。子供用のロールプレイングゲームってとこだろうか。

 夏休みに入ったと同時に、同級生の女の子が置手紙を残して失踪。主人公は、特にその娘と仲良くもしていなかったのだが、つい最近、ショッピングに同行したばかり。いつしか、彼女と失踪の理由を追うことになる・・・って、評者にしては珍しく、帯の惹句みたいな説明。

 でだ、ここからが余りにもご都合のいい話が続くのである。色んな登場人物が出てくるのだが、すべて役割でしかない。ロールプレイングゲームで迷う主人公に、右に行きなさいとか、そういえばあの人がこういうことを言っていたよ、みたいな、ヒントを与える役でしかないのである。なんだかなあ。

 終ってみれば、主人公がシブヤで襲われた理由や犯人は置き去りにされたままだし、犯人や失踪した同級生の動機に蓋然性はないし、困ったものである。

 でも、いわゆるライトノベルって観点からすれば、こういうのもありのような気がするし、粗筋を楽しむ読書人には案外ウケがいいのかもしれない。評者の上の娘、中学二年生あたりが読んだら、面白がるかもしれないと思いながらも、評者はもういい歳なので、駄目だったのことども。(20081111)

※久々の×評価。結局、読書中ずっと退屈だったということである。(書評No842)

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by kotodomo | 2008-12-01 09:56 | 書評 | Trackback(1) | Comments(0)
2008年 06月 11日

×「ステップ」 香納諒一 双葉社 2100円 2008/3

b0037682_93999.jpg amazonでの評価を見たら、2008/6/8現在、3名の方が感想を書いていて、3名ともに5つ星である。しかし、評者の評価は×。つくづく、人の好みは・・・なんて思った次第である。

 評者的には、決して天邪鬼な気持ちはない。これまで、この作者の本を4冊読んできたが、すべて◎以上の評価で、この作家に対する信頼はあるし、その作家がタイムスリップ物を書いたということで、図書館に入荷されるやいなや、いわゆるアズ・スーン・アズで期待して借りてきたのである。ところが・・・。

 とにかく、読んでいて、ハヨオワレ、と久々に感じた物語であったのことよ。読み始めこそ、そのハードボイルドな筆致に“おお、いつもの香納節!”と思ったのだが、主人公の人格も次第に揺らぎ始め、最初こそ心の強い男と映ったのだが、中盤からはふにゃふにゃグダグダ男になってしまう。また、その他の登場人物の行動も蓋然性に乏しく、なんでそういう行動を取るのかわからないのである。物語の都合のいいように動いているだけなのである。
 
 色々と注文はあるのだが、次の二点が評者の納得のいかないところである。

 まず一つ目は、ルールが明確になっていないことである。『リプレイ』グリムウッド、『Y』佐藤正午、最近では『リピート』乾くるみ、『七回死んだ男』西澤保彦など、同様の設定の物語は読んできたが、好悪は別にして、すべてルールは明確に定義されている。もしくは、読み進めるうちに、明確になってくる。本書『ステップ』の場合、主人公の男が難局を乗り切ろうとするのだが、結果殺されてしまい、なぜか時間を遡って蘇生しまたその難局に挑むも結局殺され・・・それを繰り返す物語である。結局、なぜそのリプレイを繰り返すのか理由が明確でない。謎の香水が、その理由かも?みたいな描写はあるのだが、それでは読者に対して不親切である。SF的根拠で構わないので(っていうか、リプレイ物語はSFから逃れられないのだが)、しっかりと提示してほしいものである。また、ルールが明確になっていないので、話に破綻が生じている。最初の挑戦では出会わなかった女性。2回目の挑戦(1回目のリプレイ)で、小山というやくざ者の家に忍び込んだときに出会う。3回目のときは、その忍び込みの場面より時制が手前にリプレイするのだが、そこでは二人が小山というやくざ者の家で出会ってないことになっている。じゃあ、2回目に起こったことは3回目の既成事実とはならないんだと思うが、その後のリプレイにおいては、それ以前のリプレイで起こったことは既成事実として話が進行していくわけで、ルールが曖昧なのである。

 二つ目は、リプレイの仕方が、ワンパターンであること。結局、本書の構成は、初期の頃のパソコンアドベンチャーゲームと一緒で、冒険の途中、道が左右に分岐していて、右を選んだら死んじゃったから、やり直しのゲームでは左に行ってOK、次の分岐で間違って死んじゃったら、またやり直して話が進み・・・延々それの繰り返しなのである。だから読んでいて、モウワカッタカラ、ハヨオワレ、と、うんざりしてしまうのである。

 とにかくこういうリプレイ物は、もう何度も色んな作家が試してきた手法で、香納諒一バージョンは如何に!と期待して読み始めただけに、落胆の大きい評者なのである。そこに新しさはなく、『七回死んだ男』西澤保彦の模倣以上のものはなく(いや、この作家は模倣なんかする作家だとは思っていませんが)、大変に大変に残念なのである。(20080607)

※途中から、軽読みしてしまいました。(書評No809)

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by kotodomo | 2008-06-11 09:39 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2008年 01月 12日

×「さよなら、そしてこんにちは」 荻原浩 光文社 1575円 2007/10

b0037682_1028443.jpg 評者は、売文のための連載物みたいなのが、本当に好きくない。それが、あの名作『なかよし小鳩組』『僕たちの戦争』『サニーサイドエッグ』を書いた荻原浩だと、“なにやってんだよ!”とまで言いたくなるのだなあ(ちなみに評判になった『明日の記憶』は、問題提起作だとは思うが、普通の面白さだと評者は受け止めている)。

 表題の「さよなら、そしてこんにちは」の主人公なんて、笑い上戸の葬儀屋というふうに設定が陳腐な上に、その設定が生かされていないし、生まれてくる子供の将来を想像してニヤケテしまうなんざ、あまりにも勝手な連想で文章を埋めているだけで、売文の謗りを免れない。

 いやあ、食っていかなければならないから売文という行為は否定しない。否定しないけれども、自分が売文した文章を、他の作品と同格に出版するのはいかがなものか。

 頑張れ!荻原浩!そして、『明日の記憶』みたいなワンアイディアの作品ではなく、『なかよし小鳩組』や『サニーサイドエッグ』のような、自分が書いていて楽しくなってくるような作品で直木賞を取るべし。(20080102)

※(書評No765)

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by kotodomo | 2008-01-12 09:15 | 書評 | Trackback(2) | Comments(2)
2007年 12月 26日

×「夢見る黄金地球儀」 海堂尊 東京創元社 1575円 2007/10

b0037682_10292627.jpg 評者は、読書する前に、必ず奥付を見るほうである。書き下ろしか連載かの見極めとか、発行年月日の確認のためとか・・・本書は2007/10の発行、しかも宝島社からではない。ということは、今回のこのミスでランクインの可能性もあったはず・・・ということで、このミス2008年版のリストを確認。ちゃんと本書もリストに挙がっている。しかし、圏外にもランクインしてない・・・。

 こんなの書くなよ、というか、読ませるなよ、海堂ちゃんである。プロローグだけは面白く読んだ評者なのだが、あとは全部、惰性で読んじゃったげな(ってどこの方言?)。1億円の黄金地球儀を自治体展示場から盗む話。模造品を代わりに置く話。目的を遂げたら、本物をまた返す話。たった2行で説明つく話を、読まされた方はたまらんげな(って、だからどこの方言?)。

 元々コミカル小説として書かれたものなので、蓋然性とか必然性は問わないが、ギャグが笑えないし、内包したオカシミが可笑しくないし・・・昔、ある作家さんとのやり取りで、一生懸命書いているものに酷評するのはいかがなものかと問われたことがあるが、評者は基本的に甘口。しかしながら、一生懸命でも出されたものが駄目だったら駄目は駄目。お母さんが一生懸命作ったのにぃ、と言っても、塩の入った失敗作のケーキはやはり駄目なわけで、最後まで食べて、そして美味しいと言って♪と言われても、それは無理な話というもの。

 では、どこがいけないのか?『チームバチスタの栄光』を楽しく読んだ読者に、こんなものを読ませてはいけない。自分の読者層を軽んじてはいけない。別名で出版するか、講談社ミステリーランドあたりから、別層に向けて出版すべきであると、そういう風に評者は主張したいわけであるのことども。ご清聴ありがとうございました。(20071224)

※口直しにと思って、次の本は藤谷治をチョイス。これが良かったのだなあ。『誰にも見えない』(書評No762)

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by kotodomo | 2007-12-26 09:15 | 書評 | Trackback(2) | Comments(0)
2007年 01月 13日

×「僕たちは歩かない」 古川日出男 角川書店 1260円 2006/11


 最近の古川節には、もうなんだか飽き飽きしてきた評者である。そう、飽き飽きしてきた評者である。なんていう“そう”の多用が好きくないのである。

 僕たちは、歩かなかった。そう、歩かなかった・・・みたいな。

 夕べ、聖月様は牛丼を食した。そう、牛丼を食した・・・みたいな。

 “そう”ってなんだろう。再確認?再認識?強調語句?おぼろげな認識から確信?

 とにかく、面白くなかったのである。そう、面白くなかったのである『僕たちは歩かない』は。(20070111)

※こんな短いお話を、途中から流し読みしたのは初めてである。そう、初めてである。(書評No689)

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by kotodomo | 2007-01-13 08:41 | 書評 | Trackback(2) | Comments(0)
2006年 01月 17日

×「摩天楼の怪人」 島田荘司 東京創元社 3000円 2005/10


 評者は幼き頃、読書好きだったのかどうかよくわからない。理由はひとつ。本を買ってもらうようなことが、滅多になかったからである。ただし、学研の科学と学習のうち、科学のほうはずっと買ってもらえていたので、次の号が出るひと月の間、繰り返し読んでいた記憶がある。

 でも、多分、読書好きだったんだろうと思うわけで、それはなぜかといえば、毎年、新学期、新しい教科書をもらうたびに、家に帰ったら自分の国語の教科書と、二学年上の姉貴の教科書をその日のうちに全部読み終えていたわけで、普通こんな子は読書好きなんじゃないかな。

 国語の教科書を楽しく読んでいた評者にも、好きくない文章というのがあって、それは紀行文とか説明文とかに分類されるやつである。いや、その気になれば読解力はあるとは思うのだが(ちなみに小林秀雄とか嫌いじゃないよ)、読み物として読んでいる姿勢では面白く感じないのである。だから、評者が得意でない本格を、それでも気になって読んで、特に評価が悪くなるときは、説明に終始して、結果として動機や行動に蓋然性がない場合が多い。

 というか、その前に悪い読者であって、説明にあたる部分をしっかり読んでいないのである。例えば『姑獲鳥の夏』京極夏彦を読んだときも、事件が起こったとき色んな説明がされて“そこは密室だったのだ!”となるのだが、評者は全然説明されたことを頭の中で構築しないので“わかりました。密室なんですね。続きをどうぞ”といって読むしかないわけである。でも、そこにそれ以外の物語性があれば、それはそれで楽しく読んじゃうわけで、榎木津って馬鹿みたいでオモロイじゃんと評価が高くなるわけである。

 本書『摩天楼の怪人』の場合、各所で評価が高いのだが(このミスでも惜しいランク外、ネット上でも結構評価がいい、amazonでも★たくさん)、評者的にはちっとも面白くなかった。まずもって設定が奇異。『斜め屋敷の犯罪』のときも評者はこう書いているが・・・本書の屋敷は、床が斜めになるように建てられた少し大きなペンションくらいの建物なのである。床を斜めに建てるな!と評者は主張したい。そんなもの建てたら、床が斜めなのをトリックに利用した犯罪が起こるのは必然だ!と評者は主張したい。・・・今回もこう主張したい。二世帯の居住空間を一世帯に改造するのは構わんが、そこにビル外に突起するような筐体空間を作るな!あるエリアだけセキュリィティをあげるな!筐体空間を利用した密室的殺人が起こるのは必然だ!と

 まあいい、その部分は説明部分、よく読まなかった自分が楽しめなかったのだろうと反省したとしても、すべての謎が収斂したとき・・・蓋然性がないし、別の角度から見たとき、物語が破綻まではしていないが説明が足りない。○○が、○○の理由で、こうやって、こうしたと作者はいうが、○○がやったとしても、そういう理由でやる?そこまでしてやる?そこまでしてやったとして技術的、タイミング的に出来る?そういう風に思ってしまうのである。

 例えば、ウクライナの女子高生ベビンが、評者宛に“お前の母さんでべそ”と悪意あるメールを送ってきたとしよう。そんなので殺意を持つ評者ではないが、作者が評者に殺意を持たせたとしよう。そこまでは、作者の筆でなんとか読者を説き伏せたとしよう。で、ベビンをやっつけるために評者が可愛い娘を殺人マシーンに仕立てたという話になったら読者はどう思うだろう。自分でやれよ~と言いたくならないか?

 まあ、いいや。そんなに言うなら島田荘司読むのやめなさいよ、あんた!と御手洗ファンから悪意あるメールが着そうなので、話の展開を変えよう。実は評者は島田作品に期待している。物語性のある島田作品を読みたいと思っている。贅沢を言えば『異邦の騎士』のような物語、まあ譲って『魔神の遊戯』のような作品を。だから、過去の作品をもう読み気はなくても、新作が出ると食指が動くのである。今度こそ、と。

 まあ、これまでのゴタク、島田ファン、御手洗ファンには申し訳ない。申し訳ないが苦しい読書であったからこの評価である。(20060117)

※次の『エデンの命題』を読んだら、しばらくは図書館利用生活から遠ざかるので、島田作品からも遠ざかりそうである。(書評No618)

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by kotodomo | 2006-01-17 20:05 | 書評 | Trackback(1) | Comments(0)
2005年 09月 24日

×「探偵ガリレオ」 東野圭吾 文春文庫 540円 2002/2


 例えば、評者はテレビという機械にもう何年も親しんできているのだけど、結局画面になぜ画像が映るのか、そういう仕組みはまったくわかっていない。放送局が電波を飛ばして、それを受信して映像と音声に変換するわけなんだけど、どういう仕組みで空気中の電波が番組として目の前に出現するのか、技術的なことは全然わかっていない。ビデオも然り。あのブヨブヨした磁気テープで再生されるということが理屈ではわかるのだが、技術的にはわかっていないのである。だから、トリックに技術を持ち出されても、ああそうですか、そうだったんですか、そう言うしかないのである。

 例えば、何故彼らは離れた場所で、犯人たちのアジトでの会話を知りえたのかなんていう謎があった場合、普通でいう盗聴とか、犯人の中にスパイが混じっていたとか、初歩的なトリックの解明というレベルではなく、いやFBIは離れた場所から照準を合わせ盗聴するハイテク機械を持っていたからですと言われても、ああそうですか、そうだったんですかとしか、言いようがないのと同じなのである。

 本書は、天才物理学者湯川と警視庁の草薙が事件解明に挑む連作短編集なのだが、常識的には不思議な謎が、科学的には不思議でもないよという落ちのパターンで、そこに出てくる人々がステレオタイプの人間ときたひにゃあ、まったくもって評者のような読み手には面白くもなんともないのである。

 まだ『バケツのできるまで』とかいう題名で、謎なんかそこにはなくとも、そのために男の意地をかけた人間模様とか、バケツがなければ世の中こんなに不便になるみたいなシュミレーション物語で想像力をかきたてるような、そんな物語のほうが評者は好みなのである。以上。(20050924)

※それでも同じシリーズの『予知夢』読むんだけどさ、ははは。(書評No571)

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by kotodomo | 2005-09-24 11:45 | 書評 | Trackback(6) | Comments(6)
2005年 07月 01日

×「幽霊人命救助隊」 高野和明 文藝春秋 1680円 2004/4


 『13階段』で第47回江戸川乱歩賞を受賞した著者が、第2作以降『グレイヴディッガー』ではジェットコースターノベルに挑み、『K・Nの悲劇』ではホラーサスペンスを描いてみせ、そして本書『幽霊人命救助隊』ではドタバタ泣笑いコメディーに挑戦したという意気込みは、作家としての引出しの多様性に挑戦という部分では評価されるのだが、さて違うジャンルに挑戦するということが、すわ読者の楽しみに繋がるのかというと、そういうものではないのである。まあ、本書を読むと、あの『13階段』を書いた著者はこんなのも書くんだ!という新鮮さはないでもないが、それは作者に対する新鮮さであって、作品が新鮮かというと、そんなことはないのである。

 自殺したが浮かばれない、死んだ時期も死んだときの年齢も違う男女4人が、新たな自殺者の逓減に努めるべく奮闘するという設定は、面白く書ききれば楽しい物語に仕上がる要素は孕んでいるし、その4人のかつて生きた時代や年齢による食い違いというのも、気の利いたアクセントではある。自殺したばかりの主人公格の青年以外は、当然現在の街頭の風景に驚く。猫も杓子も金髪やら茶髪やらの風景に、こはなんぞ!と驚いちゃうわけである。逆に"ハクいスケは、トランジスタグラマーのボインちゃん"なんて表現を使う仲間の老人の言葉が、主人公格の青年には通じなかったりで面白い。少しだけ面白い。そして、そういう世代のギャップを、これでもか!と並べれられると、また、それ?もういい加減飽き飽きしてくるのである。

 ちょっと脇道に逸れるが、評者は最近の猫も杓子も金髪や茶髪というのは嫌いである。大抵の場合、センスの悪い、もしくは奇抜さだけのファッションにしか映らないからである。最近(でもないが)久方ぶりにイギリスから来日した歌手デヴィッド・ボウイが、記者会見で"実は自分からも質問があるのだが、日本の若者はみんな髪を染めているようだが、あれは何なのか?流行なのか?"と日本の記者連中に対して、逆に質問していたのがおかしかった。よっぽど奇異に映って、よっぽど訊いてみたかったのだろう。だから、しばらくぶりに下界に舞い戻ってきた幽霊人命救助隊たちの反応は、やはり正しいのである。ちなみに、評者が好きだった流行のファッションもかつてあった。ワンレン・ボディコンのボディコンは好きくなかったが、ワンレンは嫌いじゃなかった。ついでに評者の好みを言うと、ソバージュも似合えば好きだし、ポニーテールの似合う娘は筋がいい、とわけのわからないことを言いたい。

 で、この幽霊人命救助隊たち。自殺者を救う。そして自殺者を救う。そしてそして自殺者を救う。同じ話の繰り返しなのである。途中から、まだこの話続くの?と、読書中に時間の無駄を感じた評者なのである。ドラマの水戸黄門を一日で10話連続見るのと同じくらい苦痛になってきた読書体験だったのである。大好きなケンタッキーフライドチキンだって、最近では3本目はもう飽きがきて食いたくないのに・・・って話は関係ない? 巻末の参考文献を見れば、作者は本書のために自殺者の心理学を相当勉強したようだが、学んだだけの数の自殺者のパターンを繰り返し並べられても、結局は救出作戦の繰り返しでしかなく、評者にはちっとも面白くなかったのである。(20040905)

※ちなみに、読む前までは、すごく読みたい本であったことも追記しておこう。

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by kotodomo | 2005-07-01 14:05 | 書評 | Trackback(6) | Comments(0)
2005年 07月 01日

×「狗」 小川勝己 早川書房 1785円 2004/7


 本好きの方は、読書の敵というのを考えたことがあるかもしれないし、考えたことがなくても色々挙げることができるだろう。煩い家族に家事、近所の騒音、評者の場合の飲酒癖、遅くまでの仕事、オリンピックテレビ観戦(評者はニュースのみ)、新作のゲーム(評者は8年くらい前に卒業)、資格試験の勉強などなど。

 鹿児島の家族の元を離れ、東京で一人暮らししている評者の場合、その多くをシャットアウトできる環境にある。だから、今、図書館から予約した本が怒涛のように到着している現状も、読書の敵を排除することにより、なんとかやり過ごしている。一番の敵は、これはどうしても排除できない、休みの日の半日が潰れる書評という作業だが。

 ところがである。これまでになかった読書の敵が、評者の部屋に現れたのである。ある程度無視することもできるのだが、やはり邪魔者である。結局、無視できないものとは・・・虫である。ショウジョウバエである。どこから湧き出してきてるのか、探索しても不明。ならばと、殺虫剤を噴霧しても意外に効かない。これが普通の蝿とかゴキブリだったら、殺虫剤で効果覿面なのだが、どうもこのショウジョウバエという生物、下等な生物なんだろう、息をあまりしてないんだろう、弱りこそすれ、結局復活してしまう。結果、五月蝿いなあと思いながらも読書を続け、机にとまったとこなどをタイミングよく叩き潰す毎日なのである。

 昔よくあった蝿とりリボンでもあればいいのになあ。もうあんなの売ってないだろうなあ。そう思っていたら、近くのスーパーにありましたがな。いや、蝿とりリボンはなかったのだけど、その名も「アース ハエ取り棒」。台座に穴があいていて、そこに4本の棒を立てるの。その棒が甘い匂いを出すの。そいでもって、その棒、ベットベットのネッチョネッチョなの。だから、ショウジョウバエのやつもこれにとまったら身動きとれなくなるの。飢え死になの。ちょっとハエのかかった棒なんて、見た目不潔な気がしないでもないけど、これで退治しちゃうんだもんねえ、なのである。買って、設置して、ワクワクの評者。もうかかったんじゃないか?もうかかったんじゃないか?と、しきりにハエ取り棒を見遣り、もう読書どころではない。って、本末転倒。

 ところが・・・ショウジョウバエの下等さをどうやら甘くみていたらしい。殺虫剤を吸収しないくらい下等な生物は、甘い匂いにも反応しないのである。全然、よりつかないのである。だから仕掛けて一週間経ったのだけど、今のとこの収獲は、犬も歩けば棒に当たる的に、ただ運悪くぶつかってしまった蚊が一匹だけなのである。グスン。で、ショウジョウバエはどうなったかって?全部、手で潰した。壊滅した。多分、気候も穏やかになりつつあるので、もう沈静化するんじゃないのかな。

 さてと、そろそろ本題に入らなければいけないのだが。本書の題名の『狗』これを読めない方のために、今までの文章に読みも意味も一緒の単語を埋め込んでおいたのだ。さて、どれでしょう?答えは、犬も歩けばのイヌ。本書の背表紙にも意味が書いてある。"狗=①犬。家畜の一種。②卑しい者のたとえ。③小川勝己が描く美女"

 本書には5つの短編が収められているが、③の意味にあるように、空恐ろしい女たちが題材になっている短編集なのである。ところがである。面白くないのである。どのくらい面白くないのかというと、電車の網棚で拾った、普段読んだこともない週間ナントカコミックの読み切り漫画だけ読んでみたけど、どこが面白いの?この漫画?ってえなあくらいに面白くないのである。

 自分の結婚式を台無しにしてくれた悪女な元カノの結婚式に復讐を企む話。初めて行ったキャバクラの女に、滅茶苦茶しつこくされる話。生徒の親と関係を持ってしまう教師の話などなど。そしてそれがそれだけの話なのである。

 実は、評者はこの作家好きなのである。特に既評の『撓田村事件 iの遠近法的倒錯』なんか、めっちゃ完成された小説だと評価している。だから読んだのだが・・・時間の無駄だった。こういう本の存在自体も、読書の敵に他ならない。でも、小川勝己殿。次は期待してまっせ。連載で金稼ぐのではなく、渾身の作品をみせてちょ。(20040825)

※図書館予約本の中のハズレ本である。

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by kotodomo | 2005-07-01 13:56 | 書評 | Trackback | Comments(0)