タグ:△ ( 39 ) タグの人気記事


2009年 09月 22日

△「TVピープル」 村上春樹 文春文庫 480円 1990/1

b0037682_5293160.jpg あの話題になり過ぎて、一時は品切れ続出の『1Q84』・・・実は、品切れ続出時にある高貴なご婦人からプレゼントとして貰っている評者・・・まだ読んでいない。所蔵してから3か月は経とうとするのにである。これって、村上春樹的な発想ならば、凄く贅沢なことなのかもしれない。

 時間にゆとりのあるときに読もうと思っているのである。丸二日くらい、夜も晩酌はしないと決め、家族の雑音もなく、携帯の電源は切って、朝から読み始めて、眠くなったら昼寝などして、起きたら続きを読んで、一日で一気に読めればそれもいいし、夜になって続きは明日と決めたら村上春樹を夢の中に抱いて眠って、起床して長いしょんべんをして顔を洗ったら、まずはコーヒーでゆっくり脳を温めてから続きを最後まで読むような、そんな時間を作って読みたいと思っている評者なのである。

 ということで、家族に告ぐ!近々、2泊3日くらいでディズニーあたりに旅行すべし。

 そういうわけで、評者にとって村上春樹は大事な作家ながら、村上春樹に餓えているわけではない。だから、長編作品はコンプリしていても、短編集に読み残しは随分とあるし、随筆、ノンフィクション、紀行集に至っては全然手つかずなのである。これも、凄く贅沢なことなのかもしれない。村上春樹の作品は全部読んでいるというファンはたくさんいるわけで、それでももっと村上作品が読みたくて、再読、再再読したり、中には村上春樹翻訳本の中に村上春樹を感じようとして翻訳本を全部読んだという読者も少なくないと思う。それなのに、なんて贅沢な評者のことよ。

 で、贅沢って何?って、贅沢の定義を知りたい方のために贅沢を定義しておくと、贅沢は北京ダックである。評者にとっての美味しい皮が長編で、短編その他は別料理の皿で、まあ食べてもいいし、食べなくてもいいし、みたいな。もっと、別な定義をすれば、贅沢というのは余っているのである。一人暮らしの独身貴族が、外車を4台持っていたりするよく聞くような話もあるわけで、多分その4台を洋服のように着替えるわけで、当然一人で同時に4台運転できるわけはないわけで、3台は余っているわけで、これが贅沢なのである。まあ、そういう意味では、洋服を何枚も余らせている現代人は昔人に比べると、相当に贅沢なわけなんだけどね。

 今回、本書『TVピープル』を図書館から借りてきたのも、一言でいうと何気なくであり、二言三言でいうと、『1Q84』を読む前の試合前練習であったり、細切れ時間読書用に打ってつけかな、なんてところなのである。
で、感想なのだが、やっぱ北京ダック村上は皮の長編のところが評者の好みであって、本書は同じ村上春樹が書いた作品でも、なんだかなあ、やれやれなのである。

 「TVピープル」「飛行機-あるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか」「我らの時代のフォークロア-高度資本主義前史」「ゾンビ」「眠り」と6つの短編が収められた作品集である。「ゾンビ」を除いて、ひとつひとつの雰囲気は嫌いじゃないが、じゃあこういう作品をどんどん読みたいか?と問われれば、違う違うカフカやダンスダンスや世界の終りみたいなのをどんどん読みたいのですと答えたいわけで、やはり雰囲気短編だけじゃ、なんだかなあ、やれやれなのである。

 問題は「ゾンビ」。内容は、星新一的ショートショート。いやね、これが何かの雑誌の特集に寄せた作品とかだったらいいんだけど、書き下ろしでこんなの書かなくていいじゃんと評者的には村上春樹に言いたいわけである。マイケル・ジャクソンのスリラーの焼き直しのような話で、スリラー自体が何かの焼き直しのようなストーリービデオなんだけど、焼き直しがいけないんじゃなくて、「ゾンビ」という作品がスリラーの映像に頼って成り立っているようなところが、孤高の作家村上春樹に物申したいところなのである。

 でも、文章自体は大好きな作家なので、たまーにポツポツと短編集も拾っていこうと思っている評者なのである。(20090918)

※『さよなら、愛しい人』レイモンド・チャンドラー:村上春樹訳も図書館にあったので、何気なく借りてきたが、村上春樹訳を読みたいというのではなく、『長いお別れ』清水俊二訳(村上春樹訳は『ロング・グッドバイ』)でマーロウが気に入ったので、村上春樹新訳でのマーロウはどんなものかと興味で借りてみたのであるのことども。(書評No913)

書評一覧
↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
[PR]

by kotodomo | 2009-09-22 05:30 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2008年 08月 14日

△「愛しの座敷わらし」 荻原浩 朝日新聞出版 1890円 2008/4

b0037682_8293542.jpg 今回の第139回直木賞候補に挙げられた作品だが、これを推した出版社になるのか編集者になるのか、そこらへんの直木賞の仕組みみたいのはよくわからないのだが、これを推した人は駄目である。非常に冗長で、こういう作品が受賞し、多くの読者に読まれるということは、大衆文学の今を映すという意味では評価されない作品である。勿論、荻原浩といえば、東野圭吾受賞後、伊坂幸太郎と並んで受賞を期待される作家であり、評者としても受賞に値する作家だと思うが、少なくとも直木賞は作品に対する賞であり、そういう意味で本書を推す人々がいるというのは信じられない。荻原浩に獲らせたいのはわかるが、近著をなんでもかんでも推すのではなく、作品を吟味して推してほしい。そういう意味では、これまで候補作に挙がった『四度目の氷河期』『あの日にドライブ』もやはり駄目なのであって、『なかよし小鳩組』『僕たちの戦争』『サニーサイドエッグ』ならOKというのは評者の個人的評価である(笑)。

 物語の中身は、題名から推して知るべし的内容。夫婦姉弟+祖母の5人家族が、田舎の田舎風家屋に越してきて、座敷わらしの存在にそれぞれが気付きだすドタバタ劇で、どこがいけないのか、どこが冗長なのかというと、気付いた後、座敷わらしとの心の交流が半分くらいを占めるのかと思いきや、座敷わらしの存在を家族全員が認識するまで、ほぼ全編を使い切っているところにある。要するに、家族全員がドタバタしながら、最終的にはその存在を共通認識するだけの物語なのである。なんじゃそりゃ。

 勿論、それだけじゃない部分もなくはない。ギスギスしていた家族の絆が深まるという家族小説的な部分もあるにはあるのだが、これもドタバタに終始して落ち着きがないのである。

 同じ著者の短編集『押入れのちよ』に▲の評価をつけた評者だが、その書評内で“表題作の「押入れのちよ」は◎◎である”みたいなことを書いたわけで、要するに今回、本書『愛しの座敷わらし』で『押入れのちよ』の長編版みたいなのを期待したわけなのだが、随分と期待を裏切られて残念なのである。(20080810)

※直木賞が期待される作家で、作品の力にバラツキが一番ないのは白石一文かなあ。早く獲ってほしいなあ。(書評No825)

書評一覧
↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
[PR]

by kotodomo | 2008-08-14 08:30 | 書評 | Trackback(3) | Comments(0)
2008年 04月 03日

△「ラットマン」 道尾秀介 光文社 1680円 2008/1

b0037682_10102063.jpg 最初、図書館の棚で見かけた本書『ラットマン』なのだが、巷で評判のよかった『シャドウ』がイマイチだった評者なので、借りるのを見送った経緯にある。その後、新聞書評を読む機会があったのだが、そこで“今年のランキングに触れるのは尚早の気もするが、上位に入り込むはずの作品”みたいなことが書いてあって、しまったなあ。でも、また図書館で発見!嬉々として借りてきたのだが・・・。

 個人的に、道尾作品は駄目なようである。ミステリー読みのために、語られるミステリー。ミステリーのために、話が構築されていて、どうも蓋然性に納得がいかず、謎が解かれても、ああ、そうですか、そうだったんですか、としかいいようがないのである。というか、大体そんなところだろうという結末で、なんのサプライズもなかったのだが。

 人が一人殺される。殺されるのはいいのだが、殺意に蓋然性がなく、謎を作るために登場人物たちが行動しているようで、なんだかなあなのである。

 あとですね、どうも道尾作品を好きになれないのは、謎を作るために、世界が不健康なんですよねえ(←なぜか、口調が変わってしまった)。子供たちは、みんな虐待にあっていそうだし、大人たちはみんな幸せな結婚生活が保障されていないし・・・。

 なんか合わない理由を語るのが、面倒になってきたので、あとは『シャドウ』の書評内で書いた、合わない理由をコピペしましょう↓。

 では、評者の評価がイマイチなのはなんど?と思う方もいらっしゃろう。大変に評判のいい作品なので、個人的なミスマッチ感覚としか言いようがないが、説明させていただこう。

 まず、読んでいて色んな謎が出てくるのだが、それを形作る物語の骨子が評者的にあまり面白くないのである。評者はどちらかというと謎読みミステリー派ではなく、紡がれる物語耽溺派なのである。読んでいる途中も、読んでから全篇振り返ってみても、なんか大した話じゃなかったな、というのが評者的概観なのである。

 次に、謎のピースの断片たち。色んな謎が提示されて、一体いかなる全体像が浮かんでくるのか?そんな興味で物語を読み進め、なるほどすべてのピースがうまい形で嵌っていく終盤なのだが、その全体像を見せられたとき・・・ああ、そうですか、そうだったんですか、みたいな感じで奥深さを体験できなかったのが一因である。嫁さんや娘たちが膨大なピースのパズルに取り組んでいて、どんな画が浮き上がってくるんだろうとワクワクしていたら、浮かび上がってきた画が、みかんとりんごとなしとぶどうの画だったみたいな。ああ、そうですか、そうなんですかみたいな。

 それと一番大きな理由は、最大の謎であるところの、屋上から飛び降り自殺した女性の動機が、結局のところ判然としなかったことにある。説明的な描写がないではない。でも蓋然性を感じられないのである。ミステリーの最大の勘所は動機の必然性である。何ゆえに自殺するまでの心境に追い詰められたのか、何ゆえにそういう形で自殺する気になったのか・・・本を後ろから読んでも、逆さに振っても、評者が得心のいく答えはそこにはなかったのである。

 悪い本ではない。むしろ良心的に作られた物語である。特に、謎解きの好きな方には、お誂え向きのミステリーである。
(20080402)

※そうはいっても、このミスランクインは間違いないだろうなあ。(書評No783)

書評一覧
↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
[PR]

by kotodomo | 2008-04-03 09:48 | 書評 | Trackback(2) | Comments(0)
2008年 02月 25日

△「忍法さだめうつし」 荒山徹 祥伝社 1890円 2007/7

b0037682_10205737.jpg 『魔岩伝説』までの荒山節と、それ以降とは随分違ってきてる感。重厚壮大、緻密にして奇なる冒険譚だったのが、段々と骨格が細くなり、最近では歴史を背景にして登場人物が活躍するのではなく、朝鮮史を描くために物語られているようで、篤姫も知らない薩摩人たる評者にとって、史実の薀蓄は肌に合わない。

 あの、荒山節に再度出会えるのかなあ・・・。(20080217)

※「作家のことども」荒山徹、最近の作品、どんどん評価が下がってきてるなあ。わざとじゃあ、ないよ。(書評No772)

書評一覧
↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
[PR]

by kotodomo | 2008-02-25 08:53 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2008年 01月 10日

△「夕陽はかえる」 霞流一 早川書房 2205円 2007/10


 このミス2008年版ランクインということで一応読んでみた本書『夕陽はかえる』。『デッド・ロブスター』にて初読以来、現在の霞流一は如何に?そんな感じで読み始めたのだが、やはり△作家は△評価のままであった、ははは。

 いや、駄目だろうなあなんて思いながらも手に取ってみたわけは、その設定が意外に面白いかもと思ったわけで、影ジェント(エイジェント=殺し屋)とか、影ジェンシーとか、影業部(営業部)とか入殺(入札)とかの言葉の設定もそうだし、特色を持った殺し屋たちが競い合うというのが何だか楽しそうで・・・なんだかなあでした(笑)。

 一番退屈に感じたのが殺し屋たちの特色。冒頭で、メスで攻撃するドクター影ジェントとか、鑿で攻撃するカエルと呼称される影ジェントだとか出てきたときは、まあそれなりに面白く感じたのだが・・・あとは、そう『仮面ライダー』に出てくるショッカー改造の怪人○○○のオンパレードみたいな感じで、毎週一話ずつの登場なら興味もわくが、次から次へと一つの話の中で出てくると、飽きちゃってくるわけである。

 バカミスながら、物語は本格。終盤、解き明かされる謎は、それなりに鮮やかなのだが・・・って、上手くこじつけただけで、全然証拠が提示されないのが、やはりバカミスなのかな。

 覚悟して読んだので、×評価はつけなかったが、このバカミスに2205円も出して買っていたならば、怒っていたやも知れんなあ。(20071231)

※2007年最後の読了本。結局、読めない年が2年連続、最終的な冊数は79冊でした。今年2008年は生活習慣が変わるので(単身赴任終了=メシ、洗濯、掃除、アイロンしなくていい)、一応140冊を目標に(^^)v(書評No764)

書評一覧
↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
[PR]

by kotodomo | 2008-01-10 11:31 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2007年 09月 22日

△「6時間後に君は死ぬ」 高野和明 講談社 1680円 2007/5

b0037682_10482953.jpg 同じ著者の、評価×をつけた『幽霊人名救助隊』の書評内で、評者はこう書いている。

 で、この幽霊人命救助隊たち。自殺者を救う。そして自殺者を救う。そしてそして自殺者を救う。同じ話の繰り返しなのである。途中から、まだこの話続くの?と、読書中に時間の無駄を感じた評者なのである。ドラマの水戸黄門を一日で10話連続見るのと同じくらい苦痛になってきた読書体験だったのである。大好きなケンタッキーフライドチキンだって、最近では3本目はもう飽きがきて食いたくないのに・・・って話は関係ない? 巻末の参考文献を見れば、作者は本書のために自殺者の心理学を相当勉強したようだが、学んだだけの数の自殺者のパターンを繰り返し並べられても、結局は救出作戦の繰り返しでしかなく、評者にはちっとも面白くなかったのである。(20040905)

 今回も、なんか不吉な予感はしていた。『6時間後に君は死ぬ』という題名からして、またワンアイディのみで、最後まで読まされるんじゃないだろうかと。悪い予感は的中。他人のビジョン(将来の異常な出来事)を見ることのできる青年の登場。あとは、その青年を中心に、そのワンアイディアをこねくりまわして、話を作っていっての連作短編集なのである。

 それぞれの短編集の切り口は違う。しかし、中身はほぼ一緒。青年に6時間後に君は死ぬと告げられた女性の話。カウントダウンミステリー。他人のビジョンの中に、自分が3時間後に死ぬことを見た主人公青年の話。カウントダウンミステリー。あとのお話は運命話。

 最初のうちは丁寧に読んでいた評者なのだが、途中からはかったるくなって、骨子だけ読み進め、会話の妙(あるのかないのか?)とか主人公の心情とかは置き去りに。結構評判の「ドールハウスのダンサー」も、だからどうした?感の強かった評者の読み方は、どこか間違っていたのだろうか?(20070921)

※評者は、荒削りながら、この作家の『グレイヴディッガー』は評価している。それ以外の『13階段』やら『K.Nの悲劇』やらは、ちと合わないなあ。(書評No745)

書評一覧
↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
[PR]

by kotodomo | 2007-09-22 09:36 | 書評 | Trackback(1) | Comments(0)
2007年 09月 13日

△「恋する組長」 笹本稜平 光文社 1470円 2007/5

b0037682_10505424.jpg 『天空への回廊』以来、久々の著者の本である。2003/8に書評を書いている、ということは、4年ぶりなのだな。何ゆえに4年ぶりになったのかと言えば・・・

 評者は冒険物が、あまり好きくないのである。『天空への回廊』も◎印はつけたが、その書評内でこういう風に書いている。

 前略・・・面白いのが主人公の動きである。エベレストを想像するのは難しいので、次の例を想像してほしい。高さ100メートルのところに、A地点からB地点まで橋が架かっているとする。この橋、幅1メートルで頑強なのだが、手摺りもフェンスもなにもない長~い板のような橋なのである。あなたは任務のため、A地点を出発して、中間にある衛星の部品を回収してB地点に到達せよとの指令を受ける。嫌だといってももう遅い。任せたからな。手摺りもなにもない板のような上、下を見ると100メートルの高さがクラクラ、幅1メートルなんて地上では充分な幅も心理的にえらく狭く感じる、仕方ない、任務だ、と、あなたは腹ばいになりながら、心でヒーヒー言いながら進み出す。ついでに気温はマイナス10度ということにしよう(笑)寒くて怖くてヒーヒー言いながら、無事真ん中へ到着。衛星の部品回収。ヒーヒー言いながらB地点へ向かう。B地点まであと20メートル、もう少しというところで、あなたの携帯が鳴る。なんでも、A地点寄り10メートルのところに、道に迷ったお婆さんがいるので(いるか?そんなの)、引き返して助けろとの指令。ゲゲッ!嘘だろ!と思いながら、引き返して駅までの道を教える。そして、またB地点へ向かうあなた。おお、もうすぐだ!と思った瞬間、あなたの携帯が鳴る。なんでもA地点寄り15メートルのところで、財布を落とした小学生が泣いているので(いるか?そんなの)引き返して助けろとの指令。仕方がないので、ヒーヒー言いながら這うように戻るあなたは、小学生に1000円貸して、今一度B地点に向かって、携帯が鳴って…というように、本書の主人公はエベレストの上で右往左往、おーい、早く降りてこいよ!というのが、読書中の評者の心中なのであった。

 今回思ったのだが、どうも評者は、冒険物を心から楽しんで読めないようだ。ハラハライライラして、ハヨ終ワレ、ハヨ終ワレと祈りながら読んで疲れてしまうようだ。多くの読者には◎◎の作品だと思うのだが、そういう個人的な理由で評価は◎なのである。(20030805)


 ということで、笹本稜平という作家を敬遠してきたのだが・・・今回のこの題名『恋する組長』・・・どう考えても冒険物じゃないぞと思い、多分、文章なんかもこの4年間にこなれているんだろうと思い、図書館で手に取ったわけなのである。

 実際、読み始めてわかったのだが、裏探偵稼業の主人公を据えた連作短編集である。どちらかというとコミカルハードボイルド風味・・・なのだが、結局、風味だけで、コミカルハードボイルドではないわけで、評者は風味は好きくないわけで、例えばカレー風味のグラタンは好きくないわけで、カレーならカレー、グラタンならグラタンを食わせてくれ!と言いたいわけで、風味は元来好きくないのである。

 コミカルな描写が多々散見されるのだが、結局、どの言い回しにもニンマリできなかったし、ハードボイルドな部分にも男の哲学や美学みたいなものが垣間見えない。そして、ありえないような、それでいてありきたりな設定が多く(双子だったとか、もうけた7000万の金を一週間でラスベガス散在だとか、重要人物が別人だったとか)、なだかなあなのである。

 4年ぶりの再会に、作家の成長を期待していたのだが・・・本書は連載されていた小説・・・売文作家に成り下がったような、そんな読後感であったのことよ。(20070909)

※今度からこの作家は、評価されたもののみ読むことにしよう。(書評No743)

書評一覧
↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
[PR]

by kotodomo | 2007-09-13 08:04 | 書評 | Trackback | Comments(0)
2006年 06月 11日

△「ルート350」 古川日出男 講談社 1575円 2006/4


 いやあ、書評のアップにこんなにもブランクが空いたのは2年ぶりのことである。なんせ、前回アップしたのが5/21の『プラスティック・ソウル』阿部和重なわけで、そこから3週間である。2年前も大体そんだけブランクがあったわけで、そのときは実は、とある県の県知事選挙に3週間借り出されていて、その選挙事務所に行って“僕ちゃん、何しましょ?”って訊いたら、いきなり“候補の車の遊説ルートを毎日作ってくれ”って言われて、適当に作っていたら、ちゃんと当選しちゃったわけで、何をさせてもスーパーな聖月様であることは証明されたのだけど、そんなこんなで忙しくて、当時ブランクっちゃったわけである。

 今回はというと、ある仕事のプロジェクトのためで、朝6時半に起床して夜の9時までお仕事が毎日で、雨にも負けず風にも負けず頑張ったのはいいのだけど、仕事を終え帰ってくると、とりあえず雨にも負けず風にも負けず病にも負けず晩酌を頑張って次の日の励みにしていたので、こういうテイタラクになってしまったわけなのである。お蔭で、本も読めず、それどころか床屋にも行けず、凛々しかった聖月様の髪型もだんだんと長髪になってきちゃったりして、最近では“駿河のヨン様”と呼ばれてしまうくらいのテイタラクで、これじゃあ出世も覚束ない。

 だから、本書『ルート350』という古川日出男の初短編集を読むのに、普通なら1日もかからないところを3週間もかかったのは、これは話の流れからして“忙しくて読む暇がなかったから”だと思うかもしれないが、実はそうではなくて“忙しいけれど、飲む暇はあって、でも読んでる本がかったるくて、読む気があまり起こらなかったから”なのである。しかし、初短編集と著者は言っているが、『gift』は短編集ではないのか?そんな疑問が沸き立つ、父の日一週間前の梅雨の日曜の朝である。英語でいうと、レイニーサンデーモーニングノットファーザーズデイハマダイッシュウカンサキである。

 評者はオリジナルな古川日出男ファンである。どういう風にオリジナルかというと、『13』を誰に薦められることもなく率先して読んで、『アラビアの夜の種族』に圧倒され“聖月様は古川日出男のファンだす!”と訛って宣言して以来のオリジナルぶりで、『サウンドトラック』あたりからファンを主張しだした生半可似非急造な輩たちとは一線を画す者である。

 だから好きな作家なのだけれども、どうも本書は評者にはよくないのである。まずは、物語が紡がれていないことかな。『13』や『アラビアの夜の種族』で、もしくは『中国行きのスロウ・ボート RMX』文庫改題『二〇〇二年のスロウ・ボート』で、もしくはもしくは『ボディ・アンド・ソウル』では物語が紡がれ、読み手としても話がどこに行き着くのか、そんな感じで頁を繰る手が止まらなかったのだが、本書にはそれがない。短編集といっても、そこらへんは大事なことで、本書を俯瞰してみたとき、落ちのないショートショートを短編の長さにまで拡大したような感じで、はてさてそこに何が紡がれていたのかは、随分と不明瞭なのである。これが純文学や“古川文学”みたいな感じで高みにあれば、それも結構な手法かもしれないが、う~ん、これはやはりそんなことはないよなあ、と思う評者なのである。

 もうひとつ気になるのが『ベルカ、吠えないのか』以降の他者視点の記述というか、カメラアイ的視点というか、そういうのが評者には合わないのである。“そこで、お前の右手に何かが見えてくる。海だ。そう暗い海だ。”みたいな感じの。普通に書けば“ふと見ると、右手に暗い海が広がっている。”みたいな表記で済むわけで、何故に著者がそういう視点、記述に拘るのかが不明であり、その理由がわかったとしても、評者自身はこういう文章はお気に召さないのである。

 操り人形劇的な古川作品ではなくて、やはり骨太の紡ぎだされる古川節物語が読みたい評者なのである。いや、文体は重厚でなくて結構。『中国行きのスロウ・ボート RMX』文庫改題『二〇〇二年のスロウ・ボート』や『ボディ・アンド・ソウル』なんかは、軽くて軽くて、それでも大いに楽しめた聖月様なのである。(20060611)

※生半可似非急造ファンの方で、本当に古川日出男のソウルを知りたい方にお薦めなのは、『中国行きのスロウ・ボート』村上春樹と『中国行きのスロウ・ボート RMX』文庫改題『二〇〇二年のスロウ・ボート』の連読かな。どこがRMXなのか、そこらへんから面白い(^.^)(書評No651)

書評一覧
↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
[PR]

by kotodomo | 2006-06-11 09:39 | 書評 | Trackback(1) | Comments(4)
2006年 05月 07日

△「キッチン」 吉本ばなな 福武書店 1050円 1988/1


評価記号について疑問を持たれるバナナファンも多いと思うので、まずは評者が初めて読んだバナナ作品『哀しい予感』の転載を御一読くださいませ。




◎◎「哀しい予感」 吉本ばなな 角川文庫 380円 1991/9
 初吉本ばななである。村上春樹を「本当は読書人でないイケスカナイやつらがファッションで読む本」と頭から思い込み、最近になって読んでよかったと感動しているところへ、吉本ばななである。吉本ばななは「本当は読書人でない頭スッカラカンの女どもが、わかる、わかる、私わかるなあ、この気持ちってな程度の共感本」だと頭から思っていたのだが、いやあ読んでよかった。『インストール』の綿矢りさの才能がどうのこうのと褒めちぎっていた自分、俺、吉本ばななはどうよ?凄いね。上手いね。天賦の才だね。これが小説だね。

 ところで、読もうと思ったきっかけは、リンク先の四季さんが、以前読んだ本書を再度読んで、"いや、この本はいい。とってもいい。枕の中に入れて眠りたい…"ウソウソ(笑)とにかく、しんみりと高い評価をしていたからである。しんみりと評価されると、実は評者、とっても読みたくなるのです。では、早速図書館へ、いざいざいざ!

 図書館から借りてきたのは、単行本のほう。1988年の刊行。今からざっと15年前。当然、本自体は少しボロくなっている。いや、それより驚いたのは、後ろの扉に「図書貸し出しカード」が付いているのだ。今は、手持ちの個人図書カードと、本のバーコードで、ピッッピノピと借りれるのだが、当時は手書きで借りていたのね。なんて驚きながら、いつ読もうと思っていたら、他の本に手間取って返却期限到来。再度、借りてきて、書斎で読書していたら、トイレへ行きたくなる。長いほう。で、書斎に戻ってみると、嫁さんが無断侵入しているではないか。トイレに座っているとき、何か嫁さんの気配がしておったが…と嫁さんの手を見ると、何か持ってる。"何?それ?"な、な、な、なんと!それは!!!『哀しい予感』吉本ばななであった。それもボロくない綺麗な本。なんでも、妹が県外に出て行った際に置いていった本(嫁さんの実家は、我が家の隣。評者はマスオさんと呼ばれている)で、評者がトイレで哲学している間に机の上のボロい本を見て"なんだ、吉本ばなななら、妹が置いていった本がたくさんあるはず♪"と捜して持ってきてくれたのである。机の上に『哀しい予感』が二冊。はい、ここで問題です。あなたなら、読みかけのボロい図書館本を読み続けますか?それとも、気分一新、綺麗なほうの本を読みますか?あなたならドッチ?評者は、ボロい本を読み続けた。深い意味はないが、今まで読んでいた本がそれだったからである。普通、そうしないかな、人によって違うかな?

 ところで本書『哀しい予感』は、大きくふたつの意味で好きである。ひとつは題材に、世界最強の家族が描かれていることである。伊坂幸太郎の『重力ピエロ』の書評でも書いた表現だが、世界最強の家族とは、こういうことである。これが私の父です、これが私の娘です、これが私の弟です、と胸を張って家族全員がそれぞれを誇れる関係にあるということである。そして、会話を通り越したお互いの理解が、そこには存在する。家族ひとりひとりが、愛情に満ち溢れ、ハードボイルドな強さを持っているのである。本書内に登場する、私、母、父、弟、おばの関係はまさしくこの通り。本書は世界最強の家族の物語である。

 好きな理由のもうひとつは、これはもう吉本ばななの筆致、筆の才。こんなに洗練された無駄なく美しい文章を書く人だとは知りませんでした、私。共感本なんて、頭から決めつけていて御免なさい。いや、しかしこれは才能ですね。今まで、こんなにひとつひとつの言葉を大事にしている小説は読んだことがない。四季さんが再度読んだというのも頷ける。多分、今すぐ評者が読み返しても、新たな言葉の響きが聴こえてきそうな、そんな無駄なく美しく大事な言葉が使われている本書である。

 そんな本書を読んでいて、全然関係ないはずなのだけど、少し昔のことを思い出した評者である。まだ結婚して間もない頃、外で飲む機会があって、結婚して初めて夜タクシーで帰った晩、家の前を照らすタクシーのヘッドライトの中に、佇む姿は寝巻き姿の嫁さん。車から降りると"お帰りなさい♪"首にかかっているのは双眼鏡。"もう帰ってくるかなあと思って、やって来る車をずっと双眼鏡でみていたの。でも楽しかった♪""どのくらい待っていたの?""1時間くらい♪"

 粗筋は書かない。吉本ばななは「本当は読書人でない頭スッカラカンの女どもが、わかる、わかる、私わかるなあ、この気持ちってな程度の共感本」だと頭から思っていて、読まず嫌いなそこのあなた。しんみりと言おう。読むべし。(20031123)

※嫁さんの妹の蔵書から、あら『キッチン』が。あら『白川夜船』が。家にあるとすぐ積読しちゃうから、無かったことにして、やっぱ借りてこようかなあ。


 というような、非常に良い出会いをした作家が吉本ばなななのである。そして、上記の最後に書いたように『キッチン』が家にころがっていたので、今回読んでみたのである。「キッチン」「満月-キッチン2」「ムーンライト・シャドウ」の3つの短編が収録された本書である。

 表題作の「キッチン」。キッチンに安堵感、やすらぎ感を覚える、女性主人公の物語である。実は評者は、キッチンというものの概念があやふやである。何をしてキッチンというのか?自宅の家族揃ってメシ食うところがキッチン?いや、あれはダイニング?あのテーブルはキッチンテーブル?ダイニングテーブル?まあ、少なくともだ、キッチンの場合は飯を作る場所を概念的に含んでいそうだなあ。いわゆる台所ね。台所と限定してしまえば、そこにはやはり評者もこだわりを持っている。どういうこだわりかというと、台所に2人以上の人間が立つのが大嫌いなのである。自分がラーメンでも作ろうと台所に立って湯でも沸かし始めたとして、そこに別の人間がやってきて、なにかし出そうものなら、もう飯作るの(ってラーメンだけど)やめちまおうかと思うほど、その空間がイヤになってしまうのである。戸棚を開け、冷蔵庫を開け、ガスレンジを捻り・・・そういう作業をする空間は一般家庭では一人用にしか出来ていないと評者は主張してやまないのである。というこだわりを持つ評者は実に男らしく益荒男(ますらお)である。

 で、ここで評価記号の話になるのだが、本書の中身は非常に手弱女(たおやめ)。実に、どこをどう切り取っても女らしいのである。女らしさは、よくわからない評者なのである。『哀しい予感』の最後に書いたような「本当は読書人でない頭スッカラカンの女どもが、わかる、わかる、私わかるなあ、この気持ちってな程度の共感本」を読んだような読後感なのである。いや才能はある。言葉も文章も非常に瑞々しく、沁みるような透明感を持っている。でも、評者にはチンポがついているので、結局は手弱女な良さの存在は感じても、共感できる実感は持てないのである。『センセイの鞄』川上弘美や、『ナラタージュ』島本理生なんかが好きな人には合いそうな気がするのだけど。(20060507)

※『永遠の仔』に手を焼き、気分直しに読んだ本書。さて、『永遠の仔』下巻を読み始めましょうかね。(書評No647)

書評一覧
↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
[PR]

by kotodomo | 2006-05-07 04:59 | 書評 | Trackback(4) | Comments(4)
2006年 04月 22日

△「七回死んだ男」 西澤保彦 講談社文庫 620円 1998/10


 題名から持っていた印象と大いに相違した読書中、読後感。勿論、西澤保彦はSF的本格パズラーの作家という印象は持っていたのだが、この題名から受ける印象では、かなりシリアスな文体の物語だろうと、勝手に思っていた評者なのである。ところが・・・大いにライトなノベル。『七回死んだ男』というより、『祖父ちゃんが七回も死んじゃった、困った困った、なんとかせにゃならん、主人公悪戦苦闘のリピート物語』という感じの物語なのである。

 主人公は、特異な体質を持つ。幼いときからの能力で、いつ自分でも気付いたのかわからないのだが、“反復落とし穴”に嵌まってしまうのである。この“反復落とし穴”に嵌まってしまうと、同じ日をプラス七回繰り返してしまうのである。そのプラス七回の中で、オリジナルな日を修正していくことができ、最終日のプラス七日目の出来事が事実として残り、その後の人生を歩んでいく・・・なんていう特異体質なのである。

 例えば、うまいこと高校受験の際にその“反復落とし穴”に嵌まってしまえば、プラス七日間で問題に対する解答をみつけることで、落ちるはずだった高校に合格することができるし、何か大きな失態を演じた日ならば、それを修正することも可能なのである。

 勿論、オリジナルな日が問題なければ、退屈かもしれないけれども、プラス七日間を同じように過ごしてしまえばいいわけである。オリジナルな日に、手を加えなければ、オリジナルな日はそのままなのである。

 ところが、“反復落とし穴”に嵌まった初日、オリジナルな日では起こらなかった、お祖父ちゃん殺人事件が起こってしまうのである。お祖父ちゃんが死なないように、“反復落とし穴”の二日目、三日目と孤軍奮闘の主人公青年。しかし・・・要するにお祖父ちゃんは七回死んでしまうのである。うまくいかないのである。

 なんか、面白そうでしょう。ちなみに、本書の巷での評価はパズラーとして高い。

 だけどさあ・・・だけど、主人公が同じ日をオリジナルも含め八回繰り返すということは、読者も同じ日を八回読まされるわけで、それがライトなノベルだと、評者の場合、極めて退屈なのである。

 『リプレイ』ケン・グリムウッドに対するオマージュ的推理作品と捉える読者も多いようだが、深さの面ではまったく違う位置に存する作品であると評者は感じる。『リプレイ』の場合も、同じ人生を三回過ごすわけなのだが、そこには推理はないが文学があり、哲学があり、深い面白さが存在する。本書にも、少しそんなことを期待して読んだ評者なのだったが・・・肩透かしな読書であった。(20060420)

※なんだか読みたくて読みたくて、最近やっと古書店で見つけ350円で買ったのだったが、350円は高かった。(書評No644)

書評一覧
↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
[PR]

by kotodomo | 2006-04-22 11:25 | 書評 | Trackback | Comments(2)