2009年 02月 04日
短編集の場合、それぞれの短編に題名がついているわけだが、そのどれかが本そのものの題名になっている場合が多いわけで、例えば評者が今読んでいる短編集『傍聞き』の中にも「傍聞き」という題名の作品が収められている。いわゆる表題作というやつである。 実は評者、その表題作が収められていない(逆にいうと収められた短編から本の題名をとっていない)短編集のほうが、単に個人的な好みの問題として好きなのである。例えば藤田宜永の『理由はいらない』に収められているのは、「憧れた理由」「踊らない理由」「選ばれた理由」とか「~な理由」という題名の短編たちが収められていて、そいでもって本の題名が『理由はいらない』なわけで、おしゃれだなあ、いいなあ、と嬉しくなってしまうわけである。 本書『草祭』も、そういう意味で好きである。「けものはら」「屋根猩猩」「くさのゆめがたり」「天化の宿」「朝の朧町」という短編たちが収められているのだが、本の題名は『草祭』・・・う~む、いいのだなあ、雰囲気的に。 実は、この短編たち、架空の田舎町美奥というところをモチーフにして描かれていて、そういう意味では『美奥物語』なんて直訳的な題名をつけても違和感がないとは思うのだが、それが『草祭』・・・う~む、たまらんなあ。“草祭”というものが何を意味しているのかもよくわからないし、それぞれの短編が全然“草祭”を連想させるような話ではないのに、読み終えてみると『草祭』を読んだ!という気分にさせてくれるのは、やはり恒ちゃん、只者ではないのことども。 それぞれの短編は、いつもの恒川ワールド。どこか隣に存在しそうなパラレル空間と日常、そういったものを組み合わせた不思議な物語たちなのである。こういう作品に直木賞や本屋大賞やランキング1位を飾ってもらって、多くの人に読んで欲しいなあと思うのは、多分評者だけじゃないんじゃないかな。そういう良書なのです。(20090125) ※この作家の描く不思議な世界って、ちょっとノスタルジックだなあ。(書評No856) 書評一覧 ↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
by kotodomo
| 2009-02-04 07:59
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