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「本のことども」by聖月

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2005年 06月 03日

◎◎「晴子情歌」上下 高村薫 新潮社 各1890円 2002/5

◎◎「晴子情歌」上下 高村薫 新潮社 各1890円 2002/5_b0037682_0522835.jpg◎◎「晴子情歌」上下 高村薫 新潮社 各1890円 2002/5_b0037682_052836.jpg 少し長い話をしよう。高村薫の本と出逢ったときの話を。今も覚えているあの本屋での出逢いの話を。

 評者はある時期、5年間くらいに渡って長野県の高原に居住していた。高原といっても標高1200メートル、今評者が居住する鹿児島の象徴桜島より高いところに住んでいたのである。評者にとっては、本をまったくと言っていいほど読んでいなかった時代でもある。仕事のない余暇の時間は、たとえばドライブして花咲爺さんが出てきそうな見事な桜の名所まで行ってみたり、初秋に標高2000メートルのあたりを目指して車を走らせ、高度によって深味をます紅葉を愛でたり、雪の中をズボズボわけもなく歩いてみたり、そんな日々を過ごしていた。もしくは、酒を飲み(長野の日本酒は旨かった、多分水のせいだと思う)、観光地のフランス料理を食べ歩き、一人で部屋にいるときの時間潰しにはファミコンをしたり、音楽を聴いたりしていた。長野での5年間はそんな生活だった。本屋に行かなかったわけではないが、本屋のあるところまで車で山を降りること1時間。それも、駅のターミナル(と言っても小さい施設)に付属している本屋なのである。別に1軒だけ本屋があるにはあったのだが、農業専門の本のコーナーがはばをきかせており、利用するのはもっぱら駅に付属した本屋のほうだった。それもファミコン雑誌を買うか、もしくは面白くもないサイエンス雑誌、動物行動学の本。例えば「動物は何を考えているか」という本を買ったのを覚えている。これはミミズが捕食のために土を食らいながら進むが、そのとき何を考えながら移動しているのかを素人向けにわかりやすく書いてあった本だったと思う。レジで本を買おうとしている横で、知人が"ミミズが何か考えているわけないじゃん。そんなの読むだけ人生の無駄じゃない"と言っていたのを覚えている。一冊だけ、小説の部類を読んだのも覚えている。「リプレイ」ケン・グリムウッド。これも読んでいたファミコン雑誌のコラム担当者が"面白い"と書いていて、たまたま駅に付属した本屋に置いてあったから買っただけなのである。結果として、非常に面白かった。今で言う◎◎の評価であった。当時読んだ小説は本当にこれだけだったので、人に"何か面白い本知らない?"と訊かれれば「リプレイ」と断言していたし、人に"これ面白いよ"
と言っては「リプレイ」を無理矢理貸していたのを覚えている。

 結果的に鹿児島へ帰ろうという時期に重なったのだが、長野5年目のある時ふと、"本を読むぞ。面白い本を買いにいくぞ"と思い立った。面白い本が必ずあるだろうと思い、県庁所在地長野市の多分ここが一番大きいだろうという本屋に入っていった。何の知識もないまま平積みのコーナーを見回した。その時目立つように置いてあった4冊を、今でも本屋の中で眺めているような気持ちで思い出すことができる。買わなかった2冊は「四十七人の刺客」池宮彰一郎と「火車」宮部みゆきである。買った2冊が「リヴィエラを撃て」高村薫と「法律事務所」ジョン・グリシャムである。忠臣蔵が苦手な評者は、池宮彰一郎のほうはすぐに候補から落としたが、「火車」か「リヴィエラを撃て」にするか相当迷った。勿論、どちらの作者名も知らないし、どんな内容の本かも知らなかったわけで、結局は勘で決めたのかと思う。その時"よし「火車」のほうは文庫化されたらすぐ読むぞ"と決めたのも覚えている。文庫化されたらすぐ読んだのだが、文庫化されるまでがエライ長かった「火車」。評価は今で言う×。世間の評価はすこぶるいいのだが、単に個人の感性の問題だと思う。要するに、その時長野の本屋で手にした、選んだ本が高村薫の本であったわけで、これが評者の運命的な出逢いでもあったのである。なぜって、そこから読書の喜びを思い出し、今の評者の本との関わりの出発点になったからである。なるほど「リプレイ」も「法律事務所」も面白かったが、それはお話としての面白さであって、読書の喜びというほどのものではなかったと思う。

 なにしろ何の情報も予備知識もなく買った高村薫「リヴィエラを撃て」。読み始めてから国家をまたにかけたスパイ小説、謀略小説だとわかり、話に引きずり込まれ、またその硬質で精緻な文体に"確か高村薫って女だったよなあ"と思って、今一度表紙にある著者の写真を眺めたものである。とにかく、しびれた、読書というものに。それから評者は、本を読み始めた。まずは高村薫から。「黄金を抱いて翔べ」や「神の火」は、ややかたすぎて評価は▲。「我が手に拳銃を」が○。「マークスの山」や「レディ・ジョーカー」が◎。しかし評価はこれ高村薫作品の比較上の評価で、一般の評価とは違う。評者の心に「リヴィエラを撃て」という物差しがあって、それと比較してどうかという結果の評価なのである。唯一、短編集「地を這う虫」が趣が若干異なりながらも◎◎。「照柿」は母親が未だに返さないので未読。などと言いながらも、評者はすべての作品を評価している。

 今、手元に1989年第2回日本推理サスペンス大賞のリストがある。大賞は「魔術はささやく」宮部みゆき。他に最終候補に幸田精という人の「リヴィエラを撃て」というのが記述してある。そうなのである。たとえ加筆したにせよ、評者の心の中では高村薫の実質的なデビュー作「リヴィエラを撃て」が最初の物差しであり、一番の作品であり続けていたのである。(高村薫は、結局幸田精の名前をやめ「黄金を抱いて翔べ」でデビューを飾る。本名は林みどり(^o^)

 ところで、高村薫といえば「照柿」論争(作品をめぐっての賛否両論)も物議を醸したものではあるが、なんと言っても一番は直木賞受賞時の著者自身の発言をめぐる論争であろう。「マークスの山」で受賞したときの"自分の書くものをミステリーとは思っていなかったが、常にミステリーといわれて、すっきりしないものを感じていた。今回初めて小説として読んでいただけたのが一番嬉しい"の発言をめぐっての大勢の人の"反応""反論""反論に対する反論"だろう。高村薫自身が言いたかったことはわからなくもないのだが、慎重な発言ではない。冒険物もサスペンスもはたまた文芸作品も、もはやすべてミステリーと呼べるほどに、"ミステリー"の言葉の解釈が広義に広義に進化している昨今、当然に反発を招いた事件であった。評者も、夏目漱石の「こころ」を読んだのが最初のミステリーとの出逢いだったと言って憚らないように、書かれた内容は変化しなくても解釈が変化してきているのである。正直言って、評者が大好きな高村薫の言だとしても、やはり計略や謀略や殺人や警察が背景にあったこれまでの作品は広義の、もしくは作品によっては狭義のミステリーだと思う。この発言の後で書かれた「レディ・ジョーカー」も社会的な、立派な、歴史に残る作品であるが、やはり広義のミステリーの作品に他ならなかった。

 そして長き沈黙のあと発表されたのが本書「晴子情歌」である。この作品にはミステリー性は皆無であり、文芸作品としての急いで語られない真実のみが内在されているだけである。評者の中で「リヴィエラを撃て」を超えたのかどうかはわからない。でも、もう作者に謀略小説を書く気持ちがないのなら、こっち側にずっととどまってほしいと思った作品である。どうやら作者自身もそのつもりらしいので、嬉しいのだが。

 現在の晴子の息子の描写、晴子が息子に宛てた手紙による過去から現在に至る描写、その2本の流れで組み立てられた四代に渡る大河小説である。勿論、川の流れは、過去から現在に近づくにしたがって、その川幅も広く、ゆっくりとしていくのだが。今回の、筆致も精緻で硬質である。硬質ではあるが、男と見まがう文章ではない。瑞々しさ、たおやかさに溢れる文章である。また、ちりばめられた表現の中には女性のかわいらしさが感じられる描写も多い。「嵐が丘」や「アンナカレーニナ」その他の引用には古典作品への渇望を覚え、文学性の高みを感じる。

 粗筋は書かない。読め、読め、読めの一冊である。ただし、辛抱のいる読書を強いられる一冊でもある。ゆっくり噛みしめながら味わってこそ、満腹感を覚える一冊である。粗筋を追っても仕方のない全体としての芸術作品である。(20021014)


※また出逢ってしまった。鹿児島県立図書館の棚に、普通に"借りてください"と上下巻が並んでいた。家へ帰ってページを繰りながらわかった。少なくとも評者が手にしたこの本を評者より先に繰った人が
いなかったことを。今、手元に評者に初めて読まれるために生まれてきた本がある。
返したくないが、返さなきゃ。
図書館本には別れがつきもの。

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by kotodomo | 2005-06-03 00:53 | 書評 | Trackback | Comments(0)


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