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「本のことども」by聖月

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2005年 06月 10日

◎◎「アラビアの夜の種族」 古川日出男 角川書店 2700円 2001/12


 うーん、大傑作である。夢と魔法のファンタジックアドベンチャーである。アラビアを舞台にした比類ない冒険活劇である。砂漠の町を舞台の中心に据え、砂漠の地下に存在する迷宮へ読む者を引きずり込む幻想世界である。そんな設定のみでなく、著者の精緻な文体も冴えまくり、言葉の引き出しから繰り広げられる魔法に酔いしれる評者。自分の心の奥底がどんなに想像力を膨らませても、紡ぎ出せない不思議な世界の体感は、只ただ、著者の筆力に平伏(ひれふ)す感動としてのみ存在する、、、のだが。

 エジプト、カイロの町に、ナポレオン・ボナパルト率いるフランク軍隊が迫って来ている。迎え撃つエジプトの騎馬隊は、歴戦の勇者揃い。その優雅にして鍛え上げられた軍団は、向かうところ敵なしのはずだった。フランク軍の火縄銃の部隊と相対するまでは。

 町を率いる実力者の一人は、そんな戦況を予測していた。カイロを救うためには、あの書物を手に入れるしかないと考えていた。あの書物とは、読む物を物語の世界に没頭させ、その書物を読み続けるためなら、周囲の状況、事情などお構いなしとする「災厄(わざわい)の書」。その書物を、敵国軍隊率いるボナパルトに読ませることにより、フランク軍の戦意を喪失させたいと考える。

 ところで、その「災厄の書」は何処に?捜し回った結果、麗容な女、その名はズームルッドという、書物の内容の語り部と邂逅する。敗戦を回避するため、毎夜、語り部ズームルッドの口から物語は吐き出され、いわゆる口述筆記され、敵国語に訳され、「災厄の書」が紡ぎ編まれていく。毎夜、毎夜。アラビアの夜の種族たちが集う。

 ズームルッドよって語られた物語には、三人の主要な人物が登場する。一人目は、邪教に近づくためには友も敵も裏切る魔法の使い手アーダム。邪教に近づき、邪神と契りを結ぶアーダムの物語が展開される。舞台は、砂漠の町。そして、砂漠の町の下の迷宮(ラビリンス)。

 二人目は、色彩のない赤子、欠色(アルビノ)としてこの世に生を受けたために、森に捨てられ、森と、そこに住む「左利き族」に育てられたファラー。ファラーの血をめぐる物語、魔法によって部族内での自分の存在意義を見出そうとする物語が、著者の精緻な描写のもと紡ぎ出されていく。ここまでで、全650頁中の260頁。ここまで読んでもまだ、評者は断読を考えていた。読みやめることを。確かに、精緻な筆体で綴られる不可思議な物語は、それとなく面白いが、こんな調子のまま物語が最後まで進むようなら、それは少し退屈なことであると考えて。ところが、ところが。

 三人目、サフィアーン、王の血を継ぎながらも赤子として捨てられ、砂漠の町の一人の住民として育てられる、後の剣王となるサフィアーンのこのくだりから、物語はリズム、息吹を与えられる。それまで精緻だった著者の筆致も、踊り、遊ぶ。原文そのままではないが、父王が病に伏してひきこもり、空いた玉座を見ながらの姫君のセリフの引用。"あたし、この席、この椅子に座っちゃってもいいかしら。座っちゃおうかな。座っちゃった。まあ、この椅子、私にぴったし。オケツにぴったり。"これまでの古川日出男の小説で、こんなリズムの表現はなかったのでは。

 冒険に、活劇に、著者の言葉遊びに、評者は先へ先へと読み進めた。評者が昔はまったテレビゲーム"ドラクエ"や"女神転生"を思い出したりしながら。地下迷宮の魔物を倒すため、各地の勇者たちが砂漠の町に集まる。自称:勇者たちが、どんどん集う。剣豪の勇者、魔導師の勇者などなど。地下迷宮に入っても、すぐに目的の最終ボスのところへは行かない。ちょろい魔物たちを倒しながら、経験を積み、魔物が持っている財宝を稼ぐ。そうして機を見計らう。大物を倒すときも、決して単独というわけではない。武術の使い手と、魔法の使い手が複数のパーティーを組んで挑んでいく。誰が魔王に挑んでいくのか。魔王の正体は。三人の主要登場人物たちの物語は、合わさり紡がれていく。

 ところで、この本書紹介の最初のほうで、"感動としてのみ存在する、、、のだが"と書いた。本書は傑作なのである。大傑作なのである。だが、ゆめゆめ侮るなかれの本なのである。カイロを舞台にした物語内における現在の部分の筆致は、精緻過ぎて万人には受け入れられない。読み始めて、"自分には読み進められない!"と思ったら、5行ずつ飛ばし読みしながら読んでもいい。とにかく、語り部ズームルッドの口から語られる物語内の物語のほうが中心であり、面白さは格別である。物語内の物語が面白くないと思われる方も、どうか三人目の登場人物サフィアーンが出てくるまで我慢して読んでほしい。評者も、我慢して、我慢して、我慢して読み進めた。途中からは、我慢の必要もなくなった。逆に、読み続けたいのに、済ませなきゃいけない用をしなければならなく、読み続けたいという願望を我慢する結果になってしまった。

 本好き、読書好き、知性派、冒険派、是非お試しあれの大傑作。古川日出男が生み出した比類なき「幸福(よろこび)の書」を、是非に、是非に。

※インターネットで調べてみたら、鹿児島市立図書館にあり。ということで、図書館で捜したが見つからない。図書館の検索装置で調べたら、貸し出し中ではない。係の人に相談したら、裏の倉庫から真新しい本書が出てきたではないか。汚さないように、汚さないように大事に読んだ。返却したが、買うことにした。先を急ぐあまり、評者も精緻な文章を味わって読まなかった気がするし、すぐの再読にも耐えられる大傑作であったからである。

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by kotodomo | 2005-06-10 07:49 | 書評 | Trackback(4) | Comments(0)
Tracked from 日々のちょろいも 2nd at 2006-04-12 23:24
タイトル : 『アラビアの夜の種族』読了。
 古川日出男『アラビアの夜の種族』の感想をこちらに。  や、素晴らしかった。第55回日本推理作家協会賞、第23回日本SF大賞ダブル受賞というのもダテじゃない。推理小説というの... more
Tracked from ぱんどら日記 at 2006-04-30 15:11
タイトル : 古川日出男【アラビアの夜の種族】
いつだったか、夜中に目がさめて、なんとなくテレビをつけたらドキュメンタリー番組をやっていた。 ある職人の話。残念なことに、その人には技術があっても商才がない。お金がなくて材料を買えないのだ。でも品物をつくって展示しなければ注文が来ない。そこで、借金を....... more
Tracked from モグラのあくび at 2007-03-25 03:56
タイトル : 『アラビアの夜の種族』古川日出男(後編) 〜多層化された..
{{{ 「物語とは語られている言葉そのものなのです」 ――バルガス=リョサ『若い小説家に宛てた手紙』 }}} 本作は、日本語の持つあらゆる可能性が収められた書物である。 = 私は、日本語でこの本を読めたことを幸せに思う。 = 漢字、カタカナ、ひらがなによって編まれる豊穣な言葉の数々――それは「日本語だけ」が成しえることのできた「奇跡」なのだとすら思う――は、時に視覚的に、時に聴覚的に、「物語」の強度を高めていく。 独特な漢字の使用と、その横に振られたルビは、物語世界の雰囲気を存分...... more
Tracked from モグラのあくび at 2007-03-25 03:56
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{{{ 「一冊の書物にとって、読者とはつねに唯一の人間を指すのです。 だから、どのような経緯で? 強制? 偶然? だから、運命? わたしは惟うのですが、書物はそれと出遭うべき人間のところに顕われるのではないでしょうか。 書物じしんの意思で。」 }}} 『13』、『ベルカ』と、古川作品にはずいぶんと「苦労」してきた。 それは、「つまらないから」、ではなくて、「面白いのに」と前置きしなければいけない「疲労」である。 = 本作もまた、実に「消耗」する物語であった。 = 「...... more


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