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「本のことども」by聖月

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2005年 06月 14日

◎◎「アジアンタムブルー」 大崎善生 角川書店 1500円 2002/9


 デパートの屋上の場面からこの物語は始まる。そしてその場面は、評者に忘れていたことを思い出させてくれた。小さい頃、大好きだったデパートの屋上。最近も娘を連れて訪ねたデパートの屋上。今も昔も、子供の心をときめかせる遊び場であることには変わりないのだが、少なくとも評者が子供の頃から行きつけの、鹿児島では一番大きいYデパートの屋上にはなくなってしまったものがある。懐かしい紙コップ用のジュース販売機や、スマートボールのゲーム機などが、技術や機械の進化とともに変わっているのは仕方がないことで、別に取り立てて挙げることでもない。そういうことではないのだ。科学や技術の進歩や発展とは関係ないところで、なくなってしまったものがYデパートの屋上にあることを思い出したのである。そうだよな。いくら百貨店だから、品揃えだからといっても、もうあんなもの置いても需要がないのだろうなあ。そう、ペット売り場。植物売り場。なんで、デパートの屋上にあんなものがあったのだろうと、不思議に思いながらも懐かしく思った評者なのである。

 本書の主人公が仕事にも行かず、時をただやり過ごすだけのデパートの屋上には、まだペットショップの喧騒がある。当然子供たちの騒ぐ賑やかな声も聞こえる屋上なのだが、そこに大人が一人佇んでいても誰も見向きもしないエアーポケット。そこで主人公は退屈と、そして憂鬱をやり過ごす。愛する人をなくした空虚な自分の心までもやり過ごすために。

 話の向きをちょっと変えさせていただこう。小説は絵画に似ていると評者は思う。美術に無関心な評者の知識の中にある絵は、これはすべて世間一般に名画と言われるものである。ピカソ、ゴッホ、ダリ、セザンヌ…いろいろ。でも、名画であるのに、好き嫌いは人それぞれに趣味がわかれる。ピカソは好きだけど、ダリはあまり好きじゃないとか。これは、人それぞれの感性だと思う。名画は名画のまま、変わりない。ただ、個人の趣味っていうやつである。小説も同じだと思う。本書も、読む人によりその評価、感じ方は変わってくるだろう。でも。。。

 実は、本書を読んで、評者はボロボロ泣いたのである。"愛する人が死を前にしたとき、いったい何ができるのだろう?"それを描写していく本書を読んで、評者のように心底感じ入ってボロボロ泣く人と、そうではなく"わざとらしく泣かせようとして、鼻につく"と感じてしまう人とがいる。その違いは何なのであろう。勿論、ひとつの理由は感性であり好みである。本書の場合、それ以外に決定的な要素がある。前作「パイロットフィッシュ」を読んでいるか読んでいないかなのである。

 ピカソの絵を観て、"何、この絵。こんな絵だったら私でも書ける"とか"子供でもこんな絵書けるんじゃない"とか、ダリの絵を観て"なんか、風刺漫画みたい。意味はよくわからないけど。これって名画?"と思う人がいたとしよう。そういう人は、ピカソやダリが普通の風景画、静物画、人物画を巧みに描ける技量を持っていることを知らない。既存の方法じゃ、自分の描きたいものを表現できないから、ああいう作風になっていることを知らない。「パイロットフィッシュ」で作者の沁みいる透明な文章方法がわかっている読者なら、読みながらボロボロ泣いても、作者が意図的に泣かせようとして自分が泣いているのだとは思わないはずである。作者の透明な文体が心に沁みて、たまたま死に行くありようを描写した箇所で、いたく感じ入ってしまっただけなのだと思うはずである。

 本書は「パイロットフィッシュ」と登場人物が重なったり、主人公の仕事も前作同様エロ本編集者であったりして、"「パイロットフィッシュ」の続編"だとか、"「パイロットフィッシュ」より数年前に遡った話"だとか誤解されやすいが、それは間違いだと思う。前作とくらべ微妙に話が食い違う箇所があったり、何より主人公の記憶や感情が、前作とはまた別バージョンで語られる。評者は、本書「アジアンタムブルー」は前作「パイロットフィッシュ」のパラレルワールドストーリーだと思っている。設定、人物は同じながら、また別のお話という。

 ◎◎をつけたが、これは「パイロットフィッシュ」を読んだ後に本書を読むことを条件にしている。先述したような理由もあるのだが、別に少しだけ単体作品としては本書には欠陥があると思うのである。例えば、前作で描写された主人公の職業。これをあえて再度詳しく描写しないでいる。再度、同じ様に書く必要はないと思うのだが、主人公の人物造形に欠かせないいくつかのファクターが、重複をおそれたために抜け落ちてしまったような気がする。どこかに置き去りにされたような気がする。

 大崎善生。「聖の青春」「将棋の子」と素晴らしいノンフィクションを手がけたと思ったら、「パイロットフィッシュ」で瑞々しい感性を伝えてくれ、本書でも愛や慈しみの感情を透き通るような描写で伝えてくれる。評者が今後もずっと追っかけていく作者の一人である。本書を読んで、幸せな人が死に向かうということは、決して不幸せなことではないのだと思った読者は多いのではないだろうか。

 評者は、今死んでも幸せである。いつ死んでも幸せであるように精進することが、これ日々の努めなのである。(20021017)


※付録:アジアンタムブルー 
    和名ホウライシダ 科名ワラビ科 原産地 主に熱帯アメリカ 

特徴
黒く光る葉柄に、イチョウに似た形の淡緑色の小葉を多数つけた繊細で優雅な涼感のあるシダです。涼しげな雰囲気から、夏に需要が多いのですが、用途が広く人気のある種類です。葉面に水がつかないところから、アジアンタム(水に濡れないの意)の名前がついています。アジアンタム属は数種が利用されますが、ラディアナム種が最も代表的です

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by kotodomo | 2005-06-14 20:37 | 書評 | Trackback(7) | Comments(2)
Commented by june at 2006-01-29 23:30
パラレルワールドストーリーというのは、なるほどです。前作の別バージョンと言われると、納得できます。
これは読んでよかったです。私にはこちらの方がわかりやすかったようです。泣きました・・。
Commented by 聖月 at 2006-01-29 23:37
juneさん 私、これ寝転んで読んで、洟すすって、読み終えて起きたら、鼻から水がボワーッとでした。
泣くんだ自分は、って思いながら、泣いた作品でひた~。


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