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2006年 02月 07日
2000/11発行の文春文庫のほうには、表題作「ダックスフントのワープ」と「ネズミ焼きの贈りもの」「ノエル」「ユーレイ」と4つの作品が収録されているようだが、評者が今回読んだ単行本のほうは、「ダックスフントのワープ」と「ネズミ焼きの贈りもの」の2作のみの収録。そして「ダックスフントのワープ」は第9回すばる文学賞受賞作である。評者は学生時代を無為に過ごし、駒込から早稲田まで通っても大学の授業にはほとんど顔を出さず、麻雀の相手を捜し、飲食をともにする相手を捜し、学校に足を向けない日には、駒込でパチンコばっかりしていたものである。実に勿体無い日々であったと今更に思う。今でも、もし叶うならあの時代に戻って、しっかりと授業に出て、人生に対する知識の足腰を鍛えなおしたいもんだと思う。思うけど、そうなったらそうなったで、やっぱり勉強は面倒だと思って、結局授業に出なくなるのは夢ばかり語る人間の性で、それでももう少し本は読んでおきたかったなあとは思う。 あまり本も読んでいなかった学生時代(何しろ、麻雀とパチンコと飲食で忙しかった)であったけれど、すばる文学賞との出会いは当時である。大学に入った年に、本間洋平が『家族ゲーム』で第5回すばる文学賞を受賞。何気なく買った単行本(鹿児島の高校生が都会に出てきて初めて買った新刊単行本)を面白く読み、こんな賞があったとは、これはこの賞につき、気をつけねばならんと思い、そのうち映画になった『家族ゲーム』を横目に、いや映画なんかダメダメ、本がいいんだよ本が、なんて映画も観ないで嘯きながら、翌年は雑誌すばるに受賞作が掲載されると早速買って読んだっけ。三神弘の『三日芝居』と伊達一行『沙耶のいる透視図』。どっちも難解な作品であったのことよ。確か、女優の高木沙耶は、この『沙耶のいる透視図』の映画化でデビューで、でも完成しなかった映画じゃなかったかな?まあいい。そして翌々年もめげずに受賞作掲載のすばるを買って、平石貴樹の『虹のカマクーラ』のほうはどうでもよかったのだけど、佐藤正午の『永遠の1/2』の面白さに感動したもんだった。のに、だったのに、なぜかその後、すばる文学賞を追わなくなった評者の若き日々。もしそうしていたら、2年後には本書の『ダックスフントのワープ』に出会っていたはずなのに、結局読んだのは、それから21年後ということになる。随分とワープしてしまった。時間的空間的に連続性がないので(科学的な意味では本当はある)、これは読書のワープなのである。 評者は、藤原イオリンのことを講演会や文章を通じ多少知っているが、イオリンは元々海外翻訳物の読者である。そういう意味で、本書の静かなハードボイルド性には、同じく海外傾向の強い村上春樹の羊シリーズ(鼠三部作?)やねじまき鳥と共通したテーストがあるし、同じ賞を受賞した佐藤正午あたりの『王様の結婚』あたりとも似たような香りを持っている。静物画的なハードボイルドの風味を湛えているが、最近のイオリンの作品や、ハードボイルドといえばの原りょうの作品群と、前述の本書及び村上作品、並びに佐藤正午の作品には、根底に大きな違いがある。文学性である。 最近のイオリンの作品や原りょう作品は小説ではあるが、評者の個人的な印象では文学ではないと思っている。いや、極めて上質の小説だと思うのだけど、大好きなのだけど、そこは文学性とはまた違う土台の上に築かれた小説群だと思っている。そういう意味で、本書は明らかにイオリンのハードボイルドなのだけど、文学性を持った別の世界の、どこか形而上性を湛えた小説世界なのである。村上作品とか、佐藤正午がわからなければ小川洋子作品群とかと同類の。 「ダックスフントのワープ」は、ダックスフントがワープする話・・・そういう作り話を10歳の女の子に、主人公が語って聞かせるこちら側の話と、ダックスフントが登場するあちら側の作り話の世界で構成されている。寓話と静寂な現実世界とが、最終的には文学として調和して、だからすばる“文学賞”なんか貰えるわけなのだなあ、なんて納得する佳作である。 「ネズミ焼きの贈りもの」は、主人公青年と少女の三年ぶりの邂逅を描いた一夜だけのお話。これもいたって静寂なハードボイルド。昔純文学読みの評者は、こういう作品も好きである。 しかし・・・イオリンコンプリのつもりで本書を読んだのだが、読み終えて調べてみたら、まだ小品2作が残っていたとは・・・というのが、なぜか嬉しい(^.^)(20060207) ※イオリンの作品には、主人公と年下の女性もしくは女の子という設定が多い。本書内の二作品ともにそう。そういえば一昨日、評者は少女の夢を見た。ラグビーをやっているという女子高生にいきなり告白される夢だった。ラグビーやってるっていっても、まあ例えば見た目はソフトボールでもやっていますって感じの健康的な女の子。で、一方評者はっていうと、多分、夢なのでよくわからないが、未婚の30歳半ば過ぎ。現実世界では既婚二人の娘持ちの43歳なのに、夢の中のそういう設定に疑問を持たないわけだ。それが夢。そして、夢の中の評者は、歳がエライ離れているじゃん、なんかよくないじゃん、でもこの子悪くないじゃん、なんて思っているわけで、つまり評者の心の中にイオリン的な小説世界は構築され得るが、そこにはちーっともハードボイルドがないことがわかったのである。(書評No629) 書評一覧 ↑↑↑「本のことども」by聖月書評一覧はこちら
by kotodomo
| 2006-02-07 11:45
| 書評
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